蟹江に次ぐ女子高生2

 その時、ピーンポーンと間延びしたインターホンが鳴り響く。

 突然の来訪を知らせる音に、弥冨がびくりと肩を驚かした。


「だ、だれ?」

「来たか」


 蟹江は苦笑いする。


「え、何? 陽太の知り合い?」

「ああ、一応」


 弥冨の問う視線から目を逸らして、蟹江は玄関に向かう。

 ドアの外からししょう、と隣室にまで聞こえかねない少女の声に呼ばれた。


「師匠って、まさか陽太の事?」


 弥冨は蟹江の背後から尋ねるが、蟹江は答えずドアノブに手をかけている。

 ドアが開かれると一昨日と昨日、蟹江の部屋に押しかけてきた樺色のボブカットに、近くの中学校の女子制服を着た少女が立っている。

そして無性に嬉しそうな笑顔。


「師匠。今日も来ました。よろしくお願いします」


 少女は蟹江に最敬礼を送った。


「俺に敬礼するな。警察学校か」

「はい。わかりました」


 素直に敬礼をやめて、手をもう片方の手で提げている通学鞄の把手に添える。


「誰、その子?」


 後方から冷ややかな声が突き刺さる。

 はっとして蟹江が振り向くと、弥冨が非難するように目を細めていた。


「誰って」

「師匠の弟子です」


 蟹江が言い切るのに先んじて、少女はニコリと笑って答えた。


「ねえ陽太。弟子ってどういうこと。聞いてないんだけど?」


 露骨に不機嫌になって、弥冨が詰め寄った。

 蟹江は身を引くようにしてたじろぐ。


「落ち着け。話せばわかる」

「どこから連れてきた子なの?」

「連れてきたって、それじゃまるで俺の方から弟子にさせたみたいじゃねーか」

「答えて。どこから連れてきたの?」

「師匠? その人、師匠の彼女ですか?」


 弥冨の事を知らない少女は、蟹江に尋ねた。

 蟹江は弥冨と少女に視線を彷徨わせながら、首を横に振る。


「彼女のわけないじゃない!」


 必死そうに声を一段と高くして、詰問されたわけでもないのに弥冨が顔を赤くして否定した。


「蟹江なんかに彼女なんているわけないじゃない。ねえそうよね?」


 捲し立ててから、赤い顔で蟹江に確認するように訊く。


「さらりと酷い事言うな」

「じゃあ、いるっていうの?」


 彼女がいたらただじゃ置かない、という目で蟹江を睨みつける。


「いたらダメなのか?」

「ダメに決まってるじゃない」

「なんで?」

「理由なんてどうでもいいの。とにかくあんたに彼女なんていない!」

「へえ。いないんですかぁ。なら……」


 少女が新発見でもしたような口を挟む。

 蟹江と弥冨が禅問答を止めて、少女に目を向けた。


「あたしが彼女になってあげますよ」

「はあ、何言ってるの?」


 蟹江ではなく、弥冨が激しく反応する。

 それ俺のセリフな、と蟹江は弥富に心の内で突っ込んだ。


「どうしてあなたが蟹江の彼女になるのよ。論理的におかしいわよ」

「おかしいですかね。どう思います、師匠?」


 少女は小首を傾げて、蟹江に判断を仰ぐ。

 勝手に話が進んでいくので、蟹江は傍観者になりたかった。

 だが少女二人からの物問う視線を前に、一応言葉を継ぐ。


「そんな話に巻き込むなら、俺の家じゃなくていいだろ?」


 少女と弥冨はポカンとした顔になる。


「二人はこんな話がしたくて、俺の家に来てるわけじゃないんだろ?」

「そうですね」

「そうね」

「だろ。だからこの話は終わりだ。俺の家に来たなら、メモリスポーツの話をしよう」


 蟹江は内心、冷や汗ものだった。

 お茶を濁そうとしているのが見抜かれていないか、二人次第である。

 幸い少女二人に異存はないようで、忙しかった会話が一時途絶えた。

 機を見て、蟹江が少女に声をかける。


「それでお前は何用だ?」

「師匠。あたしにご指導の程をお願いします」

「ねえ蟹江。話戻るけど、この子誰なの?」


 弥冨が蟹江に訊くと、蟹江はあっと思い出したように声を漏らす。


「そうだ。聞き忘れてた。君、名前は?」

「そんな大事な事を忘れてたのね、あんた」


 今更に名前を尋ねる蟹江を、弥冨は呆れた目で見る。

少女は蟹江に身体の正面を向けて、丁寧に名乗る。


「小牧梨華です。中学三年生です」

「そうか。それでご指導とは言っても何を教えてあげればいいんだ?」

「ちょっといい?」


 教程に入ろうとしていた師弟に、弥冨が割り込む。


「ん、どうした?」

「小牧さんだっけ。蟹江が弟子にするくらいなんでしょう? どれほどの力があるのか、私に見せてくれない?」


 弥冨の提案に、小牧は自信たっぷりに言う。


「師匠を驚かしたぐらいなんです。ね、師匠?」

「ああ、確かに驚いたな」


 蟹江は頷く。

 というわけで、三人は誰から言い出すでもなく、ダイニングテーブルに足を向けた。

 小牧が鞄からトランプ二ケースを出して、椅子に座る。


「ちょっと待ってろ。タイマー用意しないと」


 蟹江がスタックタイマを取りに、テレビ台の抽斗からメモリスポーツの用具が数々ある中タイマーだけ手に取ってテーブルに戻ってくる。

小牧は記憶用のトランプを右手に持って、スタックタイマの計測をスタートさせる。

 トランプを右手から左手に繰りながら、一カ所に四枚、変換したイメージをストーリーに繋げて、脳内のルートに焼き付けていく。

 最後の一枚が左手に移ると、スタックタイマの計測を止めた。


 44秒34。


 記憶から回答へ移行するのにひと息挟んでから、小牧は脳内のルートを辿り、回答用のトランプを広げて、一枚ずつ探して右手に集めた。

 五十二枚揃ったところで、蟹江に振り向く。


「師匠。答え合わせをお願いします」


 蟹江は頷いて、二束のトランプを並列させた。一枚一枚、確認していく。

 五十二枚全ての答え合わせが終わり、ミスなし。


「驚いたわ」


 結果に、弥冨は目を瞠った。

 蟹江が弟子として迎え入れたとすれば、相当の力量を持ってるとは思った。しかしまさか45秒を切るとは想像していなかった。

 内心、恐ろしい思いだった。

 もしも彼女が次のSCCに出ることになれば、と弥冨はいても立ってもいられなくなった。万一に記録が抜かれるようなことがあれば、蟹江に相手にしてもらえなくなっちゃうかも。


「蟹江」

「なんだ?」


 小牧にイメージ変換の細目を聞き出していた蟹江は、弥冨の呼ぶ声に会話を止めて顔を向けた。

 強い対抗心の浮かんだ表情で、懸念していることを口に出す。


「小牧さんは、次のSCCに出場するの?」

「SCCか。小牧、どうする、出たいか?」


 蟹江は小牧に向き直って尋ねる。

 小牧は首を傾た。


「SCCって師匠が前に出ていたやつですよね?」

「そうだな」

「出たいです。大会に出てみたかったんです」


 心からワクワクしている顔で、小牧は声を弾ませた。


「だとさ、弥冨」

「そう、わかった。それじゃ、私帰るわ」


 そう唐突に暇を告げると、弥冨はバッグを持って蟹江の部屋から去っていった。

 ドアが閉まると、小牧が不思議そうに蟹江に訊く。


「弥冨さん。突然帰るなんて言い出して、どうしたんですかね?」

「用事でも思い出したんだろ。まあ、あいつのことは気にするな。小牧はSCCに出たいんだろ。なら、ルールと対策を今から教えるよ」

「あっ、はい。ありがとうございます」


 小牧の気をいなくなった弥冨から逸らして、蟹江はSCCについて説明を始めた。

 その日から二週間余り。小牧は蟹江の指導のもと、SCCにむけてトランプ記憶のトレーニングに励んだ。

 そしてSCC当日がやって来た。


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