プロローグ

 十二月の第三日曜日。

 文化会館の図書室で中学二年生の小牧梨華は、教材を広げたテーブルの上に頬杖をついてもう片方の手でシャープペンシルをくるくると回しながら、辟易していた。


「勉強しろって言われてもなぁ」


 受験生になり常々教育に熱心な母親から、地元の中でも一番の進学校への志願を強いられ、乗り気でない勉学に意欲を傾けて三時間くらい経ったところだ。

 親が何故そこまで進学先に拘るのか、小牧当人には理由がわからない。

 始めは几帳面に記していた大学ノートも、退屈を感じ始めてからはミミズの這った字が並んでいるだけだった。


「なんか、面白い本でもあるかな」


 午後の一時から詰めていた彼女は、気を紛らすつもりで席を立った。

 テーブルから近い本棚に子供向け絵本のコーナーがあり、懐かしい気持ちで本棚へ歩み寄る。

 本棚に近づこうとした時、紺色セーラー服のスカートの裾が、案内用立て看板の角に引っかかった。

 うんざりしてスカートの裾を立て看板の角から離す。ふと、看板の内容に彼女の目が留まる。

 看板には図書室の上階、第一会議室で開催されているイベント名が記されている。


『SCC(トランプ記憶大会)』


 SCCとは『Speed Card Challeng』のそれぞれ頭文字を取った略称で、スピードカードと呼ばれるジョーカーを抜いてシャッフルしたトランプ五十二枚を可能な限り速く覚え、回答用のトランプ五十二枚を覚えた順番通りに並べる、という記憶力競技の花形のみを行う大会だ。


 小牧は聞いたことない大会だな、と思いながらも、記憶という単語が気に掛かった。

 ちょっと見に行ってみよう、と小牧は退屈な勉強の時間つぶしになるならとテーブルの荷物をまとめて二階へ上がる。

 二階は通路の右に一室、左に二室の会議室があり、第一会議室は右の一室だ。

 小牧は第一会議室の後ろ出入り口の引き戸を開けた。

 引き戸の近くにいたブルゾン姿の丸顔の男性が、突然入ってきた小牧に大袈裟というほど驚いた顔で振り向く。

 丸顔の男性は入室してきた人物が少女だとわかると、驚きを誤魔化すように笑いかけて近づいてきた。


「今から記憶が始まるから、大きな声出さないでね」


 抑えた声で小牧に言う。

 小牧は男性の言葉には耳も貸さず、好奇心に従って幾数ものテーブルで何か細かいことをしている様子の室内の人達に目を向けた。皆が揃って遮音用のイヤーマフを耳に当てている。


「今から何が始まるんですか?」

「え、ああ、お嬢ちゃんは知らないのか」


 小牧が大会の内容を知らないとは思わなかった男性は、間抜けた声を出した。


「はい。知りません」

「今から始まるのはスピードカードだよ」


 男性は小声で答える。


「スピードカード?」

「うん。トランプのジョーカーを抜いた合計五十二枚のランダムな順番を出来るだけ速く記憶するんだよ。今から丁度、あそこのお兄さんが記憶を始めるところだよ」


 男性が顔を向けた方向、外の窓際の最後列にいた黄土色の髪をした青年が、ブーメランのような形をしたタイマーのようなもののボタンを両手で押して、二束置かれたトランプの一束を持ち、数字を見るぐらいしか出来ないスピードで繰っていく。

 二十秒しない時間でトランプ五十二枚を捲り終えてタイマーを再度押すと、もう一つの束の隣に置き直した。

 両腕をテーブルの上で組んで数秒の間じっとした後、腕を崩してシャッフルしていない方の束を手にする

 テーブル上で扇の形に広げると、一枚ずつ選んで扇の下のところで裏面を上にして積み重ねていく。

 積み終わると、男性が顔の前で手を合わせた。


「ちょっとごめん。確認してくる」


 男性はそう詫びてから青年へ歩み寄ると、シャッフルした束を同じく裏面を上にして積み重ねた束と並べ置いた。

 両束を律義に一枚ずつ捲っていく。一枚、二枚、三枚――。

 二束で同じスーツが順番を一致させて重なっていく。

 束も少なりなり、残るところ三枚。五十枚、五十一枚、五十二枚――。


「ノーミス。記録二十秒。すごいな蟹江、日本記録更新だ」


 男性が興奮気味に告げると、青年は男性に頭を下げた後、まだまだですよと謙遜した。

 何が起きてどうして日本記録なのか、小牧には皆目わからなかった。

 それでも、ただ青年が凄いというのは何となく伝わってきた。

 確認を終えた男性が青年に断って、彼女の方に戻ってくる。


「どうだった。蟹江君のスピードカード、凄いだろう?」

「はい」


 小牧は今まで感じたことのない酩酊しているような高揚感を抱いて、青年を指さし尋ねる。


「あの人、蟹江さんて言うんですか?」

「うん。蟹江陽太選手。日本一の、あっ、お嬢ちゃん」


 小牧は男性の答えを最後まで聞かず、踵を返し会議室を飛び出していた。

 無性にトランプを記憶したい、と小牧は思った。

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