出逢いと別れ 3

夢をみた。

幼いころの記憶のかけら。

僕は、人には見えないこの世のものじゃないものがみえる。

すれ違いざまに挨拶を交わしてきては、時には脅かしてくる。

生きた人間じゃない、器をなくした魂の存在。


なんで、僕だけ見えるの?

なんで、皆はみえないの?


其処にいるのに。

目の前にいるのに。


なんで? どうして?


嘘じゃない。本当だって。


……本当にいるのに。


「大丈夫よ、ミヤ。私が貴方を守ってあげる。私には見えないけど、私は貴方を信じるわ」


お日様のような温かい、おばあ様の声。

泣きじゃくる僕の頭を優しく撫でてくれる。

おばあ様だけが、僕の光だった。

おばあ様だけが、僕のことを見てくれていた。


「ミヤ、ごめんなさい。私にはもう、貴方を守ることはできない」


そういって、おばあ様が遠のいていく。

いやだ、いかないで。

おいていかないで!

背中を追っても、その距離は縮まらない。


「いやだ、一人にしないで!」


おばあ様がこちらを見つめ、涙を流す。

僕にだって、わかっている。

もう、おばあ様はいないんだと。


だって、おばあ様は、死んでしまったから――――





海底に沈んでいた意識が、錨を持ち上げられるように、陸地へと投げ捨てられる。鉛の身体は起き上がることさえも、つらい。それでも、起きなければならず。

腕に力を入れて、上体を起こした。

カーテンのしまった部屋は暗くて、時を刻む時計の針が薄らぼんやりとしか見えない。

今は何時だろう。ずきずき痛む頭をおさえ、時刻を確認する。

短針の針は十一の文字を示し、長針は地面へと突き刺すように伸びていた。

寝すぎた。

ミヤは慌ててベッドから出ようとするけど、完全に起動しきっていない身体は、意思に反旗を翻す。

起きたくない。でも、起きなければ……嫌々ながら、無理矢理身体に鞭打ってベッドから這い出た。

服を選ぶことさえも手間になり、クローゼット内にある白いワイシャツと目に入った灰色のズボンを手に取り着替える。

ルーファス家にはそれぞれに専属の世話係がおり、ミヤも例外ではなく眼鏡をした優男の執事が傍についていた。忠実に仕えてはいたが、ミヤの怯える表情や、突然走り出す不可解な行動に、影で「手に負えない。あの方は、狂っている」と漏らしているのを聞いてしまい、それ以降、執事は仮面を被っているようにしか見えなくなった。

誰も、信じてくれない。

信じてくれる人はもう、いない。

祖母をなくし傷心に浸るミヤはしばらくは部屋に来ないでほしいと伝え、誰も己の領域に入り込ませないようにしていた。

凍えた心を癒すように胸元の星のペンダントが輝きを放つ。

深夜に出逢った、不思議な少年。

白銀の髪。蒼い空のような綺麗な瞳。発展途上の小さな体。不釣り合いな大きな鎌。

夢のような出来事だった。

でも、夢じゃない。

少年はまた、夕刻に会いに来ると言っていた。それまでに、大切に持っていなければ。

ぎゅっと握りしめ、「大丈夫」と呟いてから、ミヤは部屋の扉を開けた。



部屋から出たミヤは、食事をとるために、一階のダイニングルームへと足を進める。すれ違いざま、使用人たちから「おはようございます」と挨拶されるが、そのよそよそしさに、ミヤは事務的に返事をする。

それ以上の会話はなし。

みな必要以上にミヤに関わりたくないからだ。担当の執事とすれ違った時でさえも、変わらず。ミヤは淡々と足を動かした。


「――――――――おい」


階段を下りる途中、ふと高圧的な声が降り注ぐ。

顔を上げると、ミヤの兄でありルーファス家の長兄であるミハエル・ルーファスが立っていた。


「……おはようございます。ミハエル兄さん」


「こんな時間にお目覚めとは、良いご身分だな」


ミハエルはミヤの挨拶を無視。ゴミを見るような冷たい視線を送り続けたまま、冷酷な言葉を浴びせる。


「また幽霊でもみて眠れなくなったのか? それともなんだ、幽霊が話したいって、近寄ってきたか?」  


ミヤは、静かに耐えた。


「僕は亡霊が見える、だったか? 子供の頃は構ってほしいからついていた嘘だと聞き流していたが、お前はいつまでそんな嘘を突き続けるつもりだ? 此の世に霊なんてものは存在しないんだよ」


ミハエルがそう言い放った後ろには、愛くるしい少女の霊がふわふわ漂っている。

亡霊は存在しない。では、私はなんなのかしらね?

とくすくす笑っている。


「なんだ、その目は?」


「……いえ、なんでもありません」


滑稽に思えた。

すぐ隣に霊がいるのに、どうしてみえないのだろうと。


「見苦しい嘘はやめろ。お前のその嘘のせいで、ルーファスの名が汚れる」


決して嘘をついているわけではないのに。

本当にこの視界には亡霊たちが映っているのに。

なぜ、こんなにも攻められなければならない。

なにもしてない。なにをしたっていうんだ。


「嘘をついたって、どうせもう構ってくれるおばあ様はいない。……あぁ、そうか。お前は死んでまでおばあ様に構ってほしいんだな。だって、お前は幽霊…――死んだおばあ様のことだってみえるんだろ?」


あざ笑うようにして、言った。人の死を愚弄するかのような発言。

ミハエルは祖母の死を何とも思っていない。それどころか、いなくなって清々するとまで言い放つ。

耐えきれなくなったミヤは、屋敷を飛び出した。反抗できる力は残ってなかった。だから、逃げた。

庭を駆け抜け、門を開いて、街の中を走り抜ける。

昨晩とまるで同じ。

何かに逃げるようにして、ミヤはまた街の中を一心不乱に駆けた。

走って、走って、走って。

逃げた。

ミハエル兄さんから?

いや、違う。

僕は、認めたくないんだ。

おばあ様が亡くなったことを。


滑稽なのは、僕も同じだ。

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