静緑館に探偵は眠る

角谷鳰

前編 取り返しのつかない事態

 昨晩、取り返しのつかないことがあった。


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 僕らは目の前にある静緑館の主人の緑川正美みどりかわまさみに呼ばれて都心から離れた山の麓にあるこの館にやってきた。


 なぜ、僕ら戸川探偵事務所の2人が呼ばれたかといえばそれはつい先日静緑館で殺人事件が起きたらしいのである。しかし、警察は事件性はないものとみて早々に捜査を打ち切って帰っていたそうである。

 まさか、自分たちがこんな珍妙な依頼を扱うことになるとは思ってもみなかった。なんせ一般に探偵の仕事といえば浮気調査や人探しなどで殺人事件というようなものに関わることなどまずない。そのせいでうちの社長である戸川歩とがわあゆむは不謹慎なことにうきうきしている。


 殺人事件にうきうきするのはどうかと思う。しかし、こういうことは滅多にないことなので浮き足立っているのは自分も同じだろう。

 しかし、この依頼はなかなか厄介だ。昨今の警察は科学の力を借りているし解決できない事件などそうない。漫画などでよくある密室殺人などほぼ起きていないだろう。そんな警察が捜査をすぐに打ち切った事件に自分たちができることがあるのかと思いつつも高額な報酬につられてノコノコやってきたわけである。


 その問題の事件は。なんでも妻が殺害されたというのだ。まぁ、これでは流石にざっくりとしすぎているからより詳しく言えば、死因は薬による中毒死で。睡眠薬の多量摂取によるものだそう。警察はこれを自殺と見たようだ。

 夫婦仲もあまり良くないようで結構な頻度で喧嘩をしていて思わず「殺すぞ!」などと口走ってしまったこともあるというのは本人の談である。険悪な夫婦生活によって、数年前に夫人は精神を病んでしまったらしい。緑川氏が傘寿が近づき、現役を退いてから家にいる時間が増えたせいだと思われるが、わざわざ指摘はしない。

 夫人の精神状態を考えると、鬱病故の自殺だと思うはずだ。しかし、夫人は日記をつけていたものの死にたいといった趣旨のことは書いていない。では、緑川氏が無理やり薬を飲ませたのかといえば、それは無理がある。なんせ緑川氏は齢83で寝たきりなのだ。持病もあってもう長くはない。

 対して見せていただいた写真に写っていた夫人は、背筋もピンと張った70というその齢からすればむしろ若いくらいのお人だ。少し待っていれば主人が死んで遺産と保険料も手に入り、後は余生を謳歌するだけで今更自殺したところでしょうがない。

 しかし、事件性もないので警察は普段の喧嘩が原因で鬱になったことによる衝動的な自殺と判断して引き揚げて行ったわけである。


 だが、警察の捜査後も緑川氏は夫人は金のために殺されたのだという。誰の犯行なのかといえば氏の2人の息子うちの長男の正次まさつぐさんによるものだという。

 しかし、彼は54歳でちょっとしたメーカーの社長をしていて経営状態も良好らしくわざわざリスクを負ってまで金が得ようとするだろうか。もちろん、もっと金が欲しくなったからと言われれば、人の欲に理屈をつけられるものでもないしあり得なくはない。確かに彼女の契約していた保険会社であれば鬱状態での自殺ということであれば夫人の分も保険金は下りるし、父親である緑川氏が寿命で死ねばその分も手に入る。

 しかし、捕まるというリスクが高すぎて現実的ではないはずだ。

 それに正次さんはかなり気が滅入っている様子だった。近隣や屋敷内で聞き込みをした際もかなり母親を慕っていたことがわかっている。正直、彼は白だと思う。


 これが呼ばれてからの5日間の調査結果である。自分は警察と同じ見解に至った。つまり緑川氏の奥さんの自殺であり、殺人事件というのは緑川氏の現実逃避によるものである。自分が妻を間接的にとはいえ殺した現実に耐えられず、仲の悪い息子に罪をなすりつけようとしている。そう自分たちは受け取った。

 そして、明日朝に今回の依頼結果を報告して事務所に帰る予定だ。とはいえ本人に対して直接伝えるのは問題があるので、本人には正次さんが犯人ではないことを伝えて、遠くから母の死に駆け付けたらしい次男の達美たつみさんに緑川氏を精神状態が不安定なので精神科に連れて行くよう促すのに留めておく。彼も緑川氏とは仲が悪いらしいので、あまり意味はないかもしれないが。

 今は午後16時。あとは夕食を食べて寝て、明日の朝に報告を行ってから11時ごろに1日3本しかないバスに乗って帰るのみである。

 ちなみに食事は家政婦として雇われている妙齢の女性である新田さんに用意してもらっている。

 緑川氏の世話もこの人がしていて、大きな館の維持と併せて仕事が大変な分なかなか良い給料をもらっているようである。


 今回の報酬は館に来る前の調査と、館に来たあとの現地での調査の3日間分の時間報酬に加えて500万という法外な報酬もついている。更に見事正次さんを犯人として逮捕してもらうことに成功すれば追加報酬も1000万ついてくる。どれだけ親子関係が拗れたものかがうかがえる。

 成功報酬が無くても、かなりの額にはなっているとはいえ少々残念ではある。

 だが、自分の横にいるこの男の顔。戸川所長の顔、これは何か悪巧みをしているような顔だ。まさか犯人がわかったのか?それとも、館に沢山ある調度品を何かくすねようとでもしているのか?いや、善人ではないとはいえ彼もさすがにそこまでの悪人ではない。

 聞いて欲しそうな表情しているし、所長の思う壺になるようで少し癪に触るが気にはなるし聞いてみるか。


「所長、なにか気になることでもありましたか?」

「おや、遠北あちきたくん。顔に出てたかい?なに、今回の仕事の成功報酬の使い道を考えていたんだよ。」


 相変わらず鬱陶しい喋り方をする人だが、出会ってからずっとこんな調子である。


「それってつまり…」

「ああ、わかったさ。ふん、警察も大したことないね。これが自殺なんてことがあるかい?」

「誰が犯人だというのです?」


 自分の言葉を聞くと所長は大袈裟な身振りでわざとらしく自分を制止する動作をしてから、一緒に食事をしている緑川氏、新田さん、正次さん、達美さんそして自分を見渡して勿体ぶりつつこう言った。


「明日の朝、報告を行うのを楽しみにしておいてくれ」


 そして、夜が明けると所長は死んでいた。首を吊って。




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