第4話 勇者は救われ、木の葉は変わる

 それなのに。

 異世界に行くための最初のハードルでつまづいてしまった。

「ん〜、そうか、落ちたか。意外と難しいんだな。でも、ここの学校は追加で合格を出すことも多いらしいから、まあ気を落とすなよ。文明生活に慣れた現代っ子にとっちゃ、実際、異世界は想像以上に辛いところみたいだからな。合格したはいいが、やっぱり現実世界で青春を送りたいと思って、入学しない奴も多いみたいだから。4月になるまではまだ諦めるなよ」

 一応、担任の先生に結果を報告すると、心配しているそぶりを見せつつ、事務的といった調子を崩さずに、対応してくれた。

「はあ」

 と、気のない返事をしておいたが、彼が一番気にしているのは、今年度中には早まったことはするなよ、ということであろう。4月になりさえすれば、もう義務教育とは縁が切れる。そこから先は自己責任である。

 しかし、どうしたらいいだろう。

 一応、法的にはまだ両親に扶養義務はあるのだが、彼らはようやく厄介払いが出来たとせいせいしている。今まで15年余り一緒に暮らしてきたが、両親のあんなに清々しい顔は見たことがない。

 これ以上実家にいるのは、裸でドラゴンの巣に飛び込むより危険だろう。

 いっそ多摩川に身を投げようかとも思ったが、幼少の頃より風呂がわりに浸かっていた多摩川である。

 隅から隅まで知り尽くしている。溺れようとしたって溺れられるものではない。

 泳いで川を渡ることも考えたが、自由の国・東京を捨てて対岸に見える国に亡命するなど、前代未聞だ。

 こうなったら無理矢理にでも私立ファンタジア学園に入り込んで、異世界に行ってしまおうか。

 それとも奥多摩の山奥に入って天狗に弟子入りするか?

 そんなことを考えながら、トボトボと重い足取りで実家の前まで来ると、郵便局の赤いバイクが止まっていた。

 困ったような表情の若い男が僕を認めた。

「あのー、ここ、本当に人が住んでんだよね?無学さんって、オタクでいいの?」

 僕は無言で頷くと、彼はホッと安堵の表情を浮かべた。

「ああ、良かった。最近この辺の担当になったばかりでね。はい、これ郵便」

 と、手渡された薄っぺらい手紙は、僕宛てになっていた。

 裏返すと、差し出し人は、私立ファンタジア学園とあった。

 夢中で封を破り、中から一枚の紙を取り出す。

「無学勇者殿。貴殿を私立ファンタジア学園勇者科に補欠合格とする」

 一瞬、目を疑った。今、起きている出来事が、とても現実世界のものとは思えなかった。

 予算をケチったとしか思えない、ペラペラの紙に書かれた無機質な文章を、何度も何度も読み返す。まるでそれが、魔法の国へと続く扉を開く、呪文ででもあるかのように。

「や、や、やったあああああああ!!」

 思わず大絶叫。

 やった、やった、やった、やった!

 僕はギリギリで生きる希望を見出せたのだった。


 だが、一つ問題が解決すれば、また新たな問題が生じる。問題とは、倒しても倒しても現れる黴のようなものであり、常に解決と発生とがセットになっているものであるのだ。それは日本の夏の湿度が低くならない限り、永久に繰り返される。

 補欠合格した喜びも束の間、僕は新たな困難に直面していた。

 はて?どうやって学園まで行ったら良いのだろう?

 自慢ではないが、生まれてこの方、徒歩移動以外したことはない。

 もちろん、東京は世界最高に公共交通機関が発達した都市である。僕だって、バスや電車なるものが存在することは知っている。

 日本全国を鉄道網が覆い、たった2分運行が遅れただけでも謝罪を要するという、神経症レベルが終末的な様相を呈していることも存じ上げている。

 だが、それらは根本的にブルジョワ的乗り物であり、プロレタリアにすら達していない僕にとっては、おとぎ話に出てくるかぼちゃの馬車にも等しいものであった。

 さて、どうしよう?

 学園は富士山の麓にある。

 新幹線という、王侯貴族的未来移動手段が利用できれば事は簡単なのだが、どんなに国家統制的計画経済を実施しても、個人がたった数日で上海のように発展することは不可能だ。

 やはり徒歩で移動するしかない。だが、宿泊は野宿でいいにせよ、飲まず食わずで歩いていくのは不可能だ。

 う〜ん、どうしよう。

 絶望的な頭を抱えて、僕は多摩川べりをトボトボと歩いていた。どこかに恵まれない若者に愛の手を差し伸べることを趣味としている、奇特な紳士がいないものだろうか。

 気がつけば、僕はいつの間にか浅間神社の近くにまで来ていた。

 フラフラと境内に入り、石段を登っていく。こうなれば神頼み、と素直に思えるほど信仰心が厚くはないが、トイレぐらい借りていこう。

 不信心であるが、それでも本殿の前まで来ると、自然と足がそちらに向かう。トイレはこの奥だ。先に礼拝していったって、バチは当たるまい。

 パンパンと柏手を打ち、目を閉じる。

 神様、お賽銭は持っておりませんが、もし僕を憐れとお思いでしたら、どうか先立つものをお恵みください。

 ふう、だからどうってわけではないだろうけど。

 予定通りに用を済まし、立ち去ろうとする。

 そういえば浅間神社は、富士山のところが総本山だったよなと思いつつ。

 ちょっとベンチで休憩していくか。急いで帰ることもないだろう。

 よっこらしょっと、腰を下ろす。

 僕の格好は、外出着はそれしかない、中学の学生服と学生カバン。肩から掛けるタイプの、いわゆるスクールバッグだ。

 カバン、随分とくたびれたな。いつまでも中学校のカバンを使っているのはダサいけど、ファンタジア学園にも、この格好で行くしかないか。

 中の教科書はどうしよう。唯一の愛読書ではあったけど、もう読むこともないかな?

 ある種の郷愁を感じながら、僕はパラパラと英語の教科書をめくっていた。すると、ページの間から飛び出してきたものがあったのである。

 ん?ん?んん!?

 お、お、おお。おおおお!?

 お金がある!?こ、これは、もしや、音に聞く、伝説の千円札ではないのか!??

 え、な、なんで?こんなところに千円札など挟んだ覚えはない。そもそもお札なんて手にしたこともない。

 ここには確か…、そうだ、栞代わりに木の葉を挟んでおいたはず。

 僕は小刻みに震えながら、本殿の方を見た。ま、まさか、まさか!?

 思い当たる節があり、カバンから他の教科書も引っ張り出して、木の葉を挟んでおいたページを開く。

 や、やっぱり!

 急いでさっき参拝したばかりの本殿に戻って、何度も頭を下げた。

 嗚呼、神様!仏様!いや、仏様はここにはいないか。

 とにかく、慈愛に満ちた神よ!地上を歩く者は皆、永久とこしえにあなたの名前を褒め讃えるでしょう。ハレルヤ、ハレルヤ。

 たとえこの世に不信心な者が溢れようと、勇者は決して信仰を曲げたりしませぬ!

 と、宗派も宗教も超えた感謝の祈りを捧げて、ヒャッホウとその場を去った。

 奇跡だ。木の葉が千円札に変わっただなんて!

 ああ、神様ありがとうございます!これで富士山まで行けます!

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