第6話 はぁ!?マジありえねぇ




僕が赤紙に入ることになって、光さんの第一声が


「はぁ!? マジありえねぇ」


だったことは、永遠に僕の記憶に残ることだろう。


僕が緋月様に渡された紙を赤紙本部の入口の人に渡したら、それを炙り出し浮かんだ何かを見た瞬間、顔色を変えて僕を見た。


「緋月様の……?」


と。

しばらく待つように言われ、5分から10分程度待っていたら派手な女性が迎えに来た。

僕を案内してくれたのは、ピンク色のドレスのような白いフリルをたくさんあしらっている服を着ている変わった女性だった。

金色の髪をボブにして、左右の横髪を縦に巻いていた。頭にはリボンで巻くタイプの小さな帽子をつけていて、胸元を大きく開けて豊満な胸を強調している。

見た目が派手だとか、そんなことは些細なことだ。


彼女の背中には大きな白い翼が生えていた。

緋月様の黒い翼と同じような翼。とても飾りものには見えなかった。


「あ、あの時の子ですよね? えーと……智春君……でしたっけ?」


その白い鳥類の翼をもつ女性は、僕のことを舐めるように見つめてきた。

胸元が大きく開いている服であるため、僕は目のやり場に困って目を逸らす。


「別におかしなところは見当たらないですけど……」

「おかしなところって……?」

「緋月様は、精神疾患者をたまに拾ってくるんですよ。あたしも緋月様に拾われたんです」


精神疾患者……僕も自殺しようとした点においては、精神疾患がないとは断言できないところではあるけれど。

そう考えると光さんや渉さんも何かしらの精神疾患があるのだろうか?


「だからあなたも、緋月様に拾われるような精神疾患者なのかと思ったんですが、特に変わった様子はないと思いまして」


僕は赤紙の内部に初めて入ったが、内部で電車が通っていようで、それで広い赤紙施設内を移動しているようだった。

僕は女性に促されるまま電車に乗り、黙って女性の隣に座った。

しばらく電車に乗っていたが、僕や隣の女性をジロジロと見るような視線を感じなかったわけではない。

しかし、右も左も分らない僕は目が合わないようにずっと下を見ていた。


電車を降り、最初の赤紙の本部の雰囲気とは、全然違うところに来た。

内側の壁などが傷だらけで、明らかにここで戦闘があったような跡がついていた。


「まぁ、私もそうでしたけど、緋月様が引き込む子は好奇な目で見られます」


先ほどの視線を女性も感じてはいたのだろう。それを気遣ってか僕にそう言ってくれた。


「赤紙は……入るために試験がありますよね? 僕はいいんですか……?」

「そうですね。緋月様が直々に配下にしている子たちは、試験の必要がありません。でも、やはり正規の試験を受けていないあたしたちは、他の赤紙の人間からは良い目で見られていないのが現実です。特に、各区の最上位者の10人は、私たちに厳しい人が多いです。自分たちも緋月様に目をかけてもらった人たちばかりなのに」


赤紙の最上位者と言えば、1区から10区までを任されている代表の人たちだ。

どの人も特有の精神疾患を患っていると聞いたことがあるが、仕事の腕は確かだと。


女性の後をついて行くと、進んでいくほどに内装がボロボロになっていって、カーテンは破け、壁にはアダムが暴れたかのような爪痕が残っていた。

床にはその壁の崩れたものが散らばっている。ところどころ血のようなものもついていた。


――赤紙の内部で戦闘でも行われたのだろうか……?


僕はおどろおどろしいその雰囲気に、息をするのも疎かになっていた。

一番奥の部屋につき、彼女はその豪華ではあるがボロボロの扉を三度ノックする。


「緋月様、智春さんをお連れしました」

理沙りさ、入っていいよ」


中から緋月様の声が聞こえてきた。どうやらこの女性は、理沙という名前らしい。


「失礼します」


扉を開けると、中は薄暗く破れたカーテンが窓全面にかかっているのが見えた。そのカーテンの破れた隙間から日がかすかに差し込んで、その差し込んだ光の回折で中の様子が見える。

部屋は天井が高く、かなり広い。壁一面の本棚と、大きな机とソファー。緋月様の大きな机。それ以外は絨毯くらいしかない。

奥に更にもう一部屋あるらしく、扉があるのが見えた。


「智春君、よく来てくれたね」


その薄暗闇でも、その白い肌と銀色の髪はよく見えた。渉さんがソファーに座っているのも見えた。そして、緋月様とは反対の部屋の隅から人間ではない者の気配を感じる。

僕はゾッとしながらも気配のする方向を見ると、天井に頭が付きそうになっている巨人の姿のアダムがいた。

僕はその姿に息を呑んだ。気を抜いたら一口で食べられてしまいそうなほどに裂けた大きな口を開き、僕の方を見ていた。


「理沙、ありがとう。自分の仕事に戻っていいよ」

「緋月様ぁ」


理沙さんは甘えた声を出して、緋月様に向かって両手を広げて走っていき抱き着いた。

緋月様は理沙さんの頭を軽く撫でる。


「緋月様、大好きです」


理沙さんが緋月様の首筋に舌を這わせたのが見えた。

僕はドキッとした。

緋月様が怪訝な顔をして理沙さんを引き離す。


「理沙、仕事に戻りなさい」


別に怒ってはいない。ただ少し呆れているような声。


「はぁーい。次の注射は2日後でしたっけ?」

「そうだね。よく覚えていて偉いな、理沙は」

「えへへ」


理沙さんは緋月様に万遍の笑みを見せ、部屋から出て行った。静寂が訪れる。


「ごめんね。ここは変わりものが多いから、君も最初は戸惑うと思うけど、悪い人はいないから。そこは安心してほしい。一先ずこっちへ来て座って」


僕は渉さんと90度の角度になる位置のソファーに座った。渉さんは大量の書類を持っていて何やら書いたり目を通したりしている。


「一応面接しようか。入るにあたって認識の違いがあると大変だからね」


緋月様は僕のテーブルを挟んで向かい側に座った。

机の大きさはせいぜい横2メートル、縦1メートル程度。大理石でできていると思わしき白いテーブルだ。


「改めて名乗るほどじゃないと思うけど、私は緋月ひづき。赤紙の……まぁ、いわゆる一番上の仕事をしている。わたる。私の付き人をしてもらっている。あとこの前いた茨とトカゲの刺青をしているのがひかり。そして私の半身ともいえるべき『悪魔』と呼ばれているアダム。さっきの派手な子は理沙。理沙は『ラファエル』っていう隊の一人。理沙の他にあと4人いるけど、それは追々紹介できたらいいかな」


緋月様が渉さんを『彼女』と言ったことに違和感を覚えた。


――渉さんは男では?


その疑問があったが、僕は黙って聞いていた。ラファエルという隊のことは、最近また赤紙の中でもめていたので記憶に新しい。悪魔細胞の一定の適合者で緋月様にその身を預けた人たちだと。

緋月様が数枚の紙を僕に渡してきた。契約書と、あと赤紙の基本的な理念の書かれている紙のようだ。


「住むところは赤紙内部になる。部屋の手配はもうしてあるから、今夜から入れるよ。家具はそろっているし特に不自由しないと思う。給与は最初はこのくらいになるかな。貢献度を考慮して徐々にあがっていく。普段の行いによっては下がることもあるから気を付けて」


給与の欄を見て僕は息が止まった。


――こんな大金が毎月? しかもそれから更に上がるなんて


僕には使い切れないほどの額面だった。これは緋月様直下の配属になるからなのだろうか。

それだけ危険が伴うということなのだろうか……。


「で、休みは基本的には週休2日だね。あとはする仕事内容によっても変わるかな」

「どんな仕事があるのですか?」

「わ子やレイみたいに、私についてきて現場の仕事したりする仕事か、ラファエルみたいに細かい雑用係したりかな。ラファエルの子たちは、各地の精神科病棟に新しい患者が来たら行って、その内情を確認したり、世話をしたり、後は各地の事件の情報まとめたり、区間移動の処理と管理をする仕事もあるし、色々」


現場の仕事というと、緋月様は全区の担当だから……色々な区の人間に関わる仕事なのだろうか。

僕は非力だからとても現場の仕事ができるとは思えなかった。

特に10区の仕事はとてもではないができそうにもない。


「私が君にしてほしいことは、現場の――……」


現場と言われたときに僕は血の気が引いた。


「あはは、そんな慌てなくても大丈夫だよ。粗っぽいことだけが現場の仕事じゃないから。現場の記録係になってほしいんだ」

「記録係……ですか?」


記録って、何をすればいいんだろう。赤紙の人間は全員記録媒体を首につけているし、それ以上何を記録するというのだろう。


「そう。今はわ子が片手間でしてくれているんだけれど、わ子は罪人を取り押さえることも多いし、そうすると記録まで取っていたらわ子の負担が大きいからね。戦うのはわ子に任せて、智春君には記録係になってほしいの。私が他の現場にいる時にも、わ子一人でなんとかできる事件も、私についてきていたら効率が悪いからね」


わ子とは、渉さんのことでよいのだろうか。

渉さんを見たら、先ほど抱えていた書類が大分少なくなっていた。処理が早い。


「どう? まぁ……最初は怖いと思うけど、危ないところには極力つれていかないようにするから。緊急時はやむを得ないけど――――」

「緋月様」


渉さんが割って入ってくる。


「彼にも武術を教えるべきだと思います」


緋月様は困ったような顔をして渉さんを見て、そして僕を見て、もう一度渉さんを見た。


「……そうだね。いずれは教えようかと思ってはいるけど……まだ早い――――」

「緋月様、どこぞのアホと同じように甘やかさないでください。緋月様の下で働くということがどういう事なのか。軽い気持ちで入られたら困ります。まして彼の命に直接かかわることです。私が教えますから」


有無を言わさない強気な渉さんの口ぶりに、緋月様は目を泳がせた。


「解ったよ。智春君、本当に今引き返すなら今の内だよ。わ子は……仕事に関してはかなり……厳しいよ?」


ここで「やはり辞めます」とは言えない。

それに僕は誰かを救う仕事をしたかった。母さんの為にも、僕は負けてしまったらいけないんだと僕は思っていた。


「大丈夫です。必ずやり切ります」

「言いましたね? 泣き言は言わないでくださいよ?」


渉さんはニヤリと笑った。

それを見て背筋が少し寒くなった。一体何をさせれるのだろう。


「わ子、そんな脅さなくても……」

「緋月様は甘すぎるのです。理沙や牡丹ぼたん千鶴ちづるにも――――」

「まぁまぁ、わ子さん。お茶でも入れてきますから、少しお休みになってくださいよ」


緋月様は適当に茶化して、逃げるように別の部屋へ消えていった。渉さんは頭を手で押さえてまた書類の整理に戻る。


「渉さんは、緋月様に結構遠慮なくおっしゃるのですね……」

「あの方は身内に甘すぎるのです。だから光があんなにわがまま放題になってしまったというのに……緋月様が厳しくしない分、私が厳しくしなければなりません」


緋月様に対してこんな強気で言えるのも、信頼関係があってこそなんだろうなと僕は思った。


「それは別として、智春君。赤紙に入るということはどういう事か、お分かりですよね?」

「辞められないってことについてですか?」

「その認識は少し間違っています。辞めることはできます。ただ、元赤紙だということが周知されていれば、反赤紙勢力に殺されかねないというリスクがつくのです。黒旗こっきをなぜ緋月様が解体しないのか疑問ですが、黒旗の一員が元赤紙の人間を殺した事件は何件かありますし、そのあたりのことは大丈夫なのですか?」

「……緋月様に助けていただいた命ですし……僕は、もう帰る場所もありません。辛いことや苦しいこともたくさんあると思いますが、僕は緋月様の下で最後まで働きたいと考えています」

「ふふ、そうですか」


僕の回答に、渉さんは少し嬉しそうに笑った。

そして緋月様が本当にお茶を入れて持ってきてくれた。高級そうなグラスにおしゃれな形の氷と緑茶と思しきものが入っていた。


「わ子どうしたの? 面白い書類でもあった?」

「いえ、智春君が光よりしっかりしているようだったので嬉しくて」

「本当? わ子に認められるなんてすごいじゃない智春君。わ子はめったに人のこと褒めないからね」

「褒めたわけではありません。光よりはマシだと言っただけです」


渉さんの言葉に緋月様が苦笑いする。咳はらいをして僕への説明を再開した。


「えーと……それで、赤紙に入ると知っての通り、赤紙が法を犯すようなことがあればすぐさま処刑だから。それは気を付けてね。まぁ……余程細かい軽い罪ならまだしも、1区から3区に移動させられるような軽犯罪でも首が文字通り飛ぶからね」


赤紙の人間が窃盗や、わいせつ行為を行った時に盛大に報道されて、そして処刑をされたというニュースを数年前に1度見かけたことがある。


「解りました」

「法を遂行する側の人間が、法を犯すのはご法度だからね」


その後も細かい説明を受けて、僕がそのすべてに同意したのを緋月様と渉さんが確認し、そして契約書にサインをした。


「契約書のここに、血判押してくれるかな」


緋月様が小型のナイフと消毒用のアルコールティッシュを手渡してきた。

僕は血判の契約は初めてだった。

高齢の大人の人ほど、利き手とは逆の手の指の部分に傷痕が多いけれど、こういう契約ごとを行うのが初めての僕は全く傷がなかった。


「怖い? 少し痛いだけだよ。加減を間違えないようにね」


僕はアルコールティッシュで指を拭いてから、左手の人差し指を少し傷つけた。

ナイフの鋭い痛みに僕は驚いてナイフを落とす。指を見るとまだ出血はしておらず、傷の線に沿って少しだけ赤みがあるだけだった。

失敗してしまっただろうか?


「いいよ、ちょっと待っていて。もうすぐ少しで出てくるから。そうしたら右手の親指につけて紙に捺して」


漫画や小説だとすぐに血が出てくる先入観があったけど、こんなに血が出るのって遅いんだと僕は思った。

そして数秒後、うっすらと小さな玉状になった血液を僕は親指につけて、契約書に血判を捺した。

渉さんが何も言わずに軟膏を塗って絆創膏を僕の手に貼ってくれた。


「うん。契約完了だね」


緋月様が渉さんにその書類を手渡した。


「明日から忙しくなるよー。法律の勉強をして、わ子に書類の作り方を教わって、あと武術も無理のない程度に教わって……」


ガチャリ。


ノックもなく扉が開く音が聞こえた。

僕が振り返る前に不機嫌そうな声が聞こえてきた。


「あぁ? この前のガキじゃねぇかよ。なんで緋月の部屋になんかいるんだ?」


光さんの声なのは分かった。


「レイ、ちょうどよかった。智春君が私の側近になったから挨拶を――――」

「はぁ!? マジありえねぇ」


これから先は長いと僕は思った。



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