第23話・蠱毒のグルメとスペクタクル

『あっ、いまランチっちのテーブルに料理が運ばれて来たッスよ! シーザーサラダに野菜スープ、そして色とりどりの肉料理ッス!』

 ここは妖精の胃袋停。

 ショウタ君はランチュウが座るテーブルから店内の反対側に陣取り、マルチカム迷彩の忍者服からフリフリドレスへと変装して盗撮を行っていた。

 ランチュウが味覚を持っていると知るのはショタロリ団のメンバーだけなので、後日3人だけで笑い者にする魂胆である。

『いまスプーンを手に取ったッス! どうやらセオリー通りスープから攻略するみたいッスね!』

 髪飾りにカメラを設定し、食事モーションの最中でも視点は常にランチュウへと向けられている。

 百手巨人に負けず劣らぬ外道の所業であった。

『スープを口に運んで……歪んだあ! ランチっちの顔に脂汗が浮かんだッス! これは激マズだぁ!』

 うぇ~っと顔をしかめるランチュウを密かに笑うショウタ君。

 いまごろ他のメンバーは眠っている頃合いだが、中間テスト明けで試験休みに突入している祥子にとって、多少の夜更かしなどモノの数ではない。

『三ツ星レストラン凄えッス! 見た目はおいしそうなのに、中身は〇国面に支配されてるッスよ……おおっと、ここでランチっちが脂の乗ったステーキに手を伸ばしたッスよ!』

 ただし何の肉かは不明である。

『本日のメインイベント、もといメインディッシュの登場ッス!』

 口に入れた瞬間、百手巨人の顔色が赤くなったり青くなったりした。

「ばぼぶぁ~~~~っ‼」

『ランチっちがついに火を噴いたッス! その姿はまさに魔王! どうやら魔獣肉だったっぽいッスね!』

 メニューの写真から食材の正体を照合するショウタ君。

『ムクムクモッファー……名前だけじゃ何の肉か想像もつかないッスね』

「がぼげぶげげごぶぁおぼぇ……」

 SFじみたフルダイブVRなど存在しないヘスペリデスのアバターに味覚など存在する訳もなく、普通はシェフも含めて魔獣の味など誰も知らない。

 そんな未知の物体を調理して本当に旨いのかわかりたくもないが、いやメチャクチャ不味かったようだが、ランチュウはそれでも懲りずに他の料理へと手を伸ばす。

 魔王なのに、まさしく勇者の雄姿であった。

『今度はローストチキンッス! あれってホントにニワトリの肉ッスかね⁉ いや七面鳥にしても妙にデカい気がするッスよ!』

 きっと頭が余計に生えている魔鳥に違いない。

 メニューと照合すると【クリフォンのロースト】と書かれていた。

『ランチっちが名状しがたい表情に……いや、どうやら気に入ったっぽいッス! 見た目は塩辛そうなのに甘味の塊みたいッスよ!』

 クリフォンだけに栗の味なのだろうか?

『このわざとらしいマロン味……チキンを下げたあ⁉ どうやら口直しのデザートに回すつもりッスね! おおっと、ここでいままでの料理をかっ込み始めたッス! ラストスパート! ランチっちは激マズだろうが料理を残す気はないッス!』

 苦い顔をしてガツガツかっ込み始めるランチュウ。

『うおォン、ランチっちはまるで戦う人間発電所だ!』

 普段の飄々とした態度からは想像もつかない、凄まじい迫力であった。

『見てたら何だかオイラまでお腹が減って来たッス……いかん、ランチっちの雰囲気に呑まれるな!』

 見た目は美しくとも激マズ料理である。

『完食! ついに完食ッスー‼ デザートのローストチキンも平らげて完全制覇ッスー‼』

 そしてランチュウは、ショウタ君に向かって中指をおっ立てた。

 ゲームの自動表現規制機能でモザイクがかかっている。

『バレてるッス⁉ いやそうだとは思ってたッスけど……』

 いままでランチュウに気づかれず盗撮を完遂できた試しはない。

「ごっそさん。旨かったよ」

 店主にサムズアップして颯爽と去るランチュウ。

『さすがはランチっち、マズいからってケチをつけたりしないッス! オイラたちも見習うべきッスね!』

 ヘスペリデスにおける魔法や各種スキルは、複雑なコマンド入力によって発現する。

 そしてデフォルト状態のコマンドでは長すぎて使いものにならず、これらを動作入力などと併用するカスタム化によって簡略化、あるいは使用者の適性に合わせて最適化するのがプレイヤーたちの習慣であった。

 味覚に無縁なバーチャル料理界とはいえ、三ツ星シェフともなれば相当の努力と研鑽があったはず。

 ランチュウは創意工夫を極めるプレイヤーに最大限の敬意を払う主義なのだ。

『思ったより早く済んじゃったッスね……この際ッスし、もうちょっと追跡してみるッス! 街を出てからパーティーをいくつ全滅させるか見物ッスよ!』

 ランチュウの表情から、この苦痛を誰かに味わわせないと気が済まない的なオーラを感じ取ったショウタ君は、手もつけていないコーヒーの代金を払ってランチュウの後を追う。

 店を出た瞬間、足が止まった。

『あれ何ッスかね……?』

 ランチュウの後を追う数人のプレイヤー。

 いや周囲から続々と集まって来る。

『まさかランチっちを襲撃する気ッスか? 数はざっと20人、ランクは推定で上級者から修羅竹級……ぜんぜん足りないッスね。十把一絡げに蹴散らされるのがオチッスよ』

 デストロイな殺戮の予感がする。

 尾行しているうちに30人を超えたが、それでも百手巨人を倒せる気がしない。

『ここはいっちょ襲撃チームに参加してみようと思うッス』

 路地裏で装備を変装用の盗賊衣装に変更し、しれっと集団に混ざるショウタ君。

 マイクは動画収録のみに設定され、口パクさえ入力しなければ、実況を続けても周囲に怪しまれる心配はない。

 話しかけられたらマイク設定がないフリをして、テキストチャットで返事をすればいい。

『いま街を出たところッス。ランチっちまでの距離は推定120メートル……これ確実にバレてるッスね』

 ショウタ君ですら盗撮できないランチュウに、素人集団ごときが気づかれずに接近できる訳がない。

『おおっと、どうやら待ち伏せ担当の別動隊がいた模様ッス! 人数が一気に百人近くまで増えたッスよ! これは挟み撃ち、いや包囲網ッスね!』

 なのにどうしてだろう。

 ここまでやってもランチュウをどうにかできるとは思えないのだ。

『死体と幽霊のアンデス山脈が生まれるッスよ! マップが書き換わるッス!』

 大軍に囲まれても、なおランチュウの歩みは止まらない。

『こりゃハメられたのは襲撃者の方っスね』

 ランチュウの腕と体格なら集団に飛び込んで、足元を走り回って各個撃破したあげく、こっそり逃げ出して遠くから同士討ちを眺めるくらいは容易である。

 並盛りのプレイヤーでは何百人集めたところで百手巨人は倒せない。

 それは2年近くもランチュウを撮影し続けたショウタ君が一番よく知っていた。

『どうせなら飛び道具で矢ぶすまにすればいいッスのに』

 それで倒せる気もしないが、同士討ちで死体の山が生まれる確実な手段ではある。

『……おや? 代表格がいるっぽいッスね』

 待ち伏せチームから戦士タイプのアバターが現れ、ランチュウの前に立ち塞がった。

 手下がミカン箱を出し、代表が乗ってマイク代わりに設定した剣を掲げる。

 どうやら今日のタイムセールで簡易演説台を購入したのは、ソルビットだけではなかったらしい。

「我々はクラン【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】である! 本日は超魔王を名乗る不届き者を……おいちょっと待て動くな!」

「やなこった~♡」

 襲撃者たちの視界から忽然と消えるランチュウ。

「うわ~っ⁉」

 カカカカカカカカカカカカカカカカッ!

 たちまちランチュウの超連打を喰らって天に召される代表者。

 一瞬で敵集団にまぎれ込み、足元を縫って代表者の足元に回り込んだらしい。

『早い! 早すぎッスよランチっち! せめて言い分くらい聞いてから……』

 あっという間に死体の山ができた。

 群衆に紛れたランチュウの現在位置は、もはやショウタ君にもわからない。

『こりゃ巻き込まれる前に逃げないとヤバいッスね』

 とばっちりでブッ殺されるかもしれない。

 距離を離して衣装をマルチカムミニスカ忍者装束に変更、正体を晒しつつも気配を隠し、襲撃者たちの死角から撮影を再開するショウタ君。

『うっわー結構メンバーいるッスね。死体の生産より増援の方が多いッスよ』

 木の枝に上って、高みの見物を決め込むショウタ君。

 ランチュウを襲撃しているクランメンバーは、当初より遥かに人数が増えていた。

 さっきの料理がマズかったせいでランチュウの行動が予定より早く、クラン集結のタイミングを誤ったのか、出遅れたプレイヤーたちが次から次へと現れる。

 いわゆる戦力の逐次投入、各個撃破してくれと言わんばかりであった。

『それにしてもアレなクラン名っスよね……』

【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】。

 それが本当なら、彼らは消息不明だったパルミナの所在を把握している事になる。

『こりゃ負け戦もいいとこッスね。ヘボが何百人いたってランチっちに勝てる訳ないッスよ……いや、いくら予定が狂ったところで何の勝算もなく襲撃する訳ないッス。どこかにとっておきの腕利きでも隠れてるッスかね? 達人級が3人もいれば……たぶん無理ッスけど』

 周辺を探ってみるが、それらしき気配はない。

『超修羅級のプレイヤーはいないっぽいッスね……』

 その時、遠くに街道を疾走する騎兵が現れた。

 ワールドマップの中心エリアにある機械類を除けば、ヘスペリデスで最速を誇る課金で購入可能なテイムスキル対象魔獣、鶏馬である。

 そして、その上空から騎兵を追う巨大な空飛ぶ影が。

『あれは……パルミナ⁉』

 鶏馬が群衆を薙ぎ払って戦場に飛び込むと、それを追うように魔王パルミナが轟音を立てて着地した。

 何せ5メートル強で推定3726キロの巨大美女である。

 地上に降り立つだけで地割れが生じた。

 破片と爆風によるダメージで群衆が薙ぎ払われる。

「ぐぎゃばおぉ~~~~っ‼」

【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】を吹き飛ばし、地面の割れ目に叩き落としながら雄叫びを上げるパルミナ。

 巨人の巨乳が轟音を立てて盛大に揺れる絵面は、女目で見ても壮観としか言いようがない。

 褐色肌に黒ビキニと黒ケープしか纏っていない裸同然の艶姿。

 おかしなファンがつくのも納得である。

『どこかで挑発して、わざわざここまで誘導したッスか……』

 パルミナの長く黒いクセっ毛に、ちんけな矢が何本も絡まっているのが見えた。

 ただし刺さってはいない。

 きっと鏑矢や蟇目のような木製で刃のない鏃を使ったのだろう。

『こうして見ると、確かにランチっちに似てなくもないッスね』

 色違いの親子みたいだとショウタ君は思った。

 ただし目つきはネコ目なランチュウと違ってタレている。

「ガオーッ‼」

 パルミナは【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】のメンバーたちを蹴散らしながら鶏馬を追い、ついに踏みつけて騎士ごと昇天させた。

 それでも怒りは収まらず、熱烈なファンと思われる集団を踏み潰して暴れ放題。

「うぉ~のぉ~れぇ~に~ん~げ~ん~ど~もぉ~っ‼」

 正気を失い見境もなくなっているパルミナは、情け容赦がない。

「ああっ魔王さまっ!」

「パルミナ様バンザ~……ぶぎゅっ」

 PK中と判断したAIがボイスチャットを制限しているため、ショウタ君に声は届いていないが、これぞ本望と言わんばかりに満面の笑みでパルミナに踏まれ死にゆくクランメンバーたちの姿は、まさにスペクタクルであった。

『あれはあれで幸せのカタチってもんッスかねえ……?』

 超魔王の征伐ではなく、パルミナに踏み潰されるのが本当の目的ではないかと疑いたくなるような光景である。

 だが気持ちはわからなくもない。

 ボンキュッボーンな高露出巨大美女の足元から下乳とお尻を見上げつつ、長いシッポに弾き飛ばされたり踏み殺されたりするのは、健全なる男子の本懐といえるのではなかろうか?

 ショウタ君は中身こそ発酵の美少女だが、美女をショタに脳内変換すれば、それなりに理解できそうな気がする。

 ……巨大なショタは、すでにショタではないような気もするが。

「いや~大変な事になったねえ」

 いつの間にかランチュウが隣の枝に座っていた。

「ランチっち……アレと戦わないッスか?」

 ウォーモンガーで吶喊大好きな百手巨人が目先の戦場を放り出すとは珍しい。

「パルミナを殺すと、あとが面倒だからねえ」

 新たな魔王のスペアボディはスタート地点の魔海樹で培養が始まったばかりで、まだ転生先としてパルミナの魂を受け入れられる状態ではない。

 いま倒すとミッション失敗でゲームオーバー……とまでは行かないが、中枢樹の依頼をフルコンプリートできなくなってしまう。

「アイツにアタシの顔を知られたくない。それに、ぶっちゃけめんどくせー」

 ただでさえ旧ランチュウは魔王討伐ミッションでパルミナを散々ブチのめして怨みを買っているのに、超魔王と同一人物だと覚られては厄介極まりない。

「前に戦ったときは、もうちっとペラペラ喋ってた気がするんだけどねえ。ちょいと見ないうちに頭悪くなっちゃったかな?」

 散々な言われようである。

「たぶんランチっちとソルビっちが散々ぶん殴ったからッスよ……あいつ前は大剣持ってなかったッスか?」

 いまは徒手空拳である。

「そういやそうだったねえ。逃げる時は持ってた気がするし、どっかでドロップしちゃったんかいな?」

「そのうち逃げた方角を探してみようッス」

 巨大すぎて誰も装備できないだろうが、いずれ設立するモフモフ超魔王国のクランハウスでロビーの飾りにするのも悪くない。

「あと確か魔海樹って死者の魂をストックする機能があったッスよね? パルミナ殺しちゃっても大丈夫じゃないッスか?」

 いままで発見した多くの魔海樹に、転生を待つ魔獣人たちの魂が大量に保存されているのはランチュウから聞いている。

「スペアボディが成熟するまで、魂を魔海樹本体に一時保存しとけばいいッスよね?」

「あれって樹王の魂じゃデカすぎて入らんのよ。容量はあっても入力機器が対応しきれない感じ?」

 つまり成熟したスペアボディに魔王の魂を直接注入しなければならない。

「幼体でもダメだねえ。成体になるまで待たないと」

 まだ培養が始まったばかりで、幼体どころか胎児として形になっていないのだ。

「ランチっちはどうして転生できたッスか?」

 いまのランチュウは未成熟状態で世界樹から放出され、幼体のまま過ごしている。

「アタシの魂はちっぽけだからねえ。この体じゃパルミナの中身は入りきらないっぽいよ」

 嬉しそうに話す百手巨人。

 きっと小さすぎる更紗の魂では、ランチュウの体がこれ以上成長しないかもしれないと密かに期待しているのだろう。

 目標は幼体固定の合法ショタ、年齢を重ねればショタジジイも夢ではない。

「生前の記憶を完コピするから脳の容量も必要らしいよ」

 胎児や幼体の脳では、小さすぎてストレージが足りないのだ。

 少なくとも培養中のスペアボディが成体になるまでパルミナ討伐はお預けである。

「アイツじゃたとえ転生させても、状況は変わらんと思うけどねえ」

 スペアボディは非常時の保険と笑うランチュウ。

 オルテナス一家が住む超魔王邸が近いので、あくまでも最後の手段と割り切っている。

「ひょっとしたら転生で自動生成シナリオの呪縛が解けるかもしれないッスよ?」

「あっ……そっか。でもまあパルミナの事だから、また取り込まれるのがオチじゃない?」

「それもそうッスね~。じゃあ何か方法が見つかるまで、可能な限りパルミナとの接触を避ける方針で」

「賛成~!」

 専用武器を失っているとはいえ、パルミナがランチュウ以外のプレイヤーに倒される可能性は、おそらくないだろう。

 いざとなれば【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】が全身全霊で守ってくれる。

「それじゃパルミナは放置って事で。アタシゃいまのうちにトンズラこくけど、ショウちゃんはどうする?」

「オイラも逃げるッスよ。ここもそろそろ安全とは言えないッスからね」

 ランチュウに続いて逃げ支度を始めるショウタ君。

【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】の詳細は、あとでネット検索すればわかるだろう。

 クランの規模から広報サイトが存在するのは確実で、しかもネット動画でパルミナの盗撮生映像が公開されている可能性も高い。

 これで最大の懸案事項だったパルミナの動向をリアルタイムで把握する算段がついた事になる。

 モフモフ超魔王国の建国初日から幸先がいい。

「じゃあまた明日~」

 ランチュウが枝から飛び降りた。

「そうそう、たぶんいまランチっちとパルミナの支配領域は隣接してると思うッス! くれぐれも気をつけるッスよ!」

「わかった~!」

【魔王パルミナ様を遠くから見守り隊】が、モフモフ超魔王国の建国宣言からわずか数時間で襲撃できるほど、ナパースカとパルミナの巣は近いと思われる。

 鶏馬の進行ルートから逆算すると、ランチュウの支配領域からナパースカを挟んで反対側、南東数キロ圏内といったところだろう。

 正気を失っているパルミナが魔海樹を操作できる可能性は限りなく低いが、警戒に越した事はない。

「おたっしゃで~ッス!」

 ショウタ君も枝から降りて戦場を後にする。

 背後では暴れ狂うパルミナがデストロイな死体の山を築いていた。

「ギョエエエエェェェェン‼ ぼぅわんっ‼」

 死者を踏みつけ雄叫びを上げるパルミナ。

 もはや昭和の怪獣映画である。

 振り向いて、その光景を遠くから撮影しつつ走るショウタ君。

「夜なべしてラッキーだったッスね!」

 まったくランチュウに関わると面白い事しかない。


「ふぅ……」

 怪獣もとい魔王パルミナが暴れる危険地帯を無事に脱出し、チェックポイントの宿屋からログアウトした祥子は、多機能ゲームパッドをデスクに置いて一息ついた。

「すっかり遅くなってしまいましたね。早くお風呂入って寝ないと華月かづきさんがうるさいから……」

 幸島こうじま華月は祥子が数年前に雇った世話役兼ボディーガードで、いまやすっかり家族同然となった女性である。

 当然ながら祥子が寝ないと華月も寝られない。

 そして祥子よりも早く起きるので、十分な睡眠時間を取らないと、華月まで寝不足になってしまうのだ。

「動画編集は明日にして、とりあえずメールチェックを……」

 学業と仕事と趣味のせいで、祥子は常に忙しい。

「……M&A?」

 仕事用のモバイルPCを開くと新着メールが入っていた。

 どうやらゲームに夢中で着信音に気づかなかったらしい。

 日付は昨日の午後11時55分、添付の位置情報はワシントン。

「カバゲームスが買収された……?」

 慌ててヘスペリデスの公式サイトを開く祥子。

 欲しい情報が見当たらないので株式市場のページを開くと、複合企業【マクロンブロス】の傘下にある検索サイト事業に吸収、子会社化されたと報じられていた。

「さすがは大手、動きが早いですね」

 ランチュウがパーティーを脱退しソロに走るのを恐れ、場当たり的に戦争計画を発案したショウタ君だったが、実のところ、その方法で本当に異世界を救えるのかは疑問である。

 ゲームの終了自体は難しくないのだが、ご都合主義の助けもなしに異世界間の侵食を止める確実な手段は、いまだ思いついていない。

 正直言ってショタロリ団の手に余る。

 そこで信用できる電子機器の専門家に資料を送り、協力を仰ぐ事にしたのだ。

 カバゲームスの吸収は、その第一歩でしかない。

「ショタロリ団のみんなには内緒ッスけどね」

 マクロンの参入はランチュウの機嫌を損ねるだろうが、それはどうとでもなる。

 だが外部に協力者を作ったとなれば話は別だ。

 怒ったランチュウは確実にショタロリ団の手を離れ、何をしでかすか祥子にも予測がつかない。

 あと繊細なムチプリンの胃に穴が開く。

 ムチプリンは面倒見がいいタイプだがストレスに弱く、他人に悩み事を打ち明けられない警戒心の強い性格でもある。

 馬が合うので、ついつい相談事や悪だくみにつき合わせてしまうのだが――

「祥子さん! いつまでゲームやってるんですか!」

 ドアの向こうから聞こえる声は、華月のものである。

 モバイルPCの画面で時刻を確認すると、すでに午前1時を過ぎていた。

「は~い。いまお風呂の準備してるとこ~!」

 まるでオカンと娘の会話である。

「そろそろ行かないと」

 メールの返事を書いてからニュースサイトを再確認すると、見慣れた名前が目についた。

「新社長?」

 どうやら経営陣まで一新されたらしい。

川浪重蔵かわらじゅうぞう……」

『ハングアップ(フリーズ)しなければバグじゃない』発言で有名な、ヘスペリデスのプロデューサーである。

 彼のおかげでゲームとしてのヘスペリデスは極めて自由度が高く、プレイヤーの自由も高いレベルで保証されているが、ゲームバランスについては不満の声が多い。

 ユーザー層の総合評価は【一長一短】。

「まったく、これだからマクロン兄弟は……これはハチャメチャな事になりそうですね」

 不安もあるが期待も大きい。

「きっと面白い事に……いえ、面白くできそうな予感がします」

 新たな計画に頭を巡らせ小さな胸を膨らませながら、車椅子を漕いでバスルームに急ぐ祥子であった。

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