幕間・お腐会

「ええと、ムチプリンさんでしょうか……?」

 金曜日の昼すぎ。

 寂れた郊外の駅前ターミナルで赤ん坊を抱いている女性を発見した夏帆は、恐る恐る声をかけてみる。

「あなたがソルビットね。初めまして」

 プレイ中にちょくちょく漏れていたので女言葉は予想していたが、外見は想像とかなり違っていた。

 こんな高身長のムチムチ美女とは聞いてない。

 天然パーマのロングヘアにボンキュッボーンなくびれ体形。

 おそらく30代前半と思われるが、お肌の年齢は20台後半レベルで化粧も薄い。

 赤ん坊の世話るするためか、ファッションは控えめでTシャツとGパンを着用している。

 正直言って夏帆の苦手なタイプである。

「よ……よろしくお願いします! 甥っ子さん可愛いですね!」

 思わず大声を出してしまい、ビックリさせてしまったかと心配になる夏帆であたが、赤ん坊は思ったより肝が据わっているようだ。

 驚くどころかキャッキャと手を伸ばして来る。

「タツキって言うの。触っていいよ」

「……では遠慮なく」

 深呼吸してから、伸ばされた手を握る夏帆。

「うわぁ、ちっちゃいおてて……」

「あなたがロリコンだから許可したのよ」

 実は夏帆が小柄でポッチャリメガネでチノパンを穿いていた、つまり男だったらムチプリンのストライクゾーンど真ん中だったのが最大の理由である。

「だからショウタ君には内緒ね」

「はい。それでショウタ君は?」

 周囲はほぼ無人で、バスターミナルに高級そうなワゴン車が1台停車しているだけである。

「おーい、ムッちゃ~ん!」

 ショウタ君は、そのワゴン車の後部ハッチから現れた。

 ゴツい黒服の男女に囲まれ、車椅子に乗っての登場である。

「オイラにも赤ちゃんと握手させて欲しいッスよー!」

 他に誰もいないのをいい事に、大声を出して両手をブンブン振っている。

「うっわー超恥ずかしいんだけど……なんか言いたい事がいろいろあるんだけど……」

 ムチプリンはどう反応していいかわからない。

「でも清楚そうな美少女ですね……」

 金持ちで女子高生とは聞いていたが、まさか深窓の令嬢とは思わなかった。

「中身は腐れショタコンだけどね」

 まさに発酵の美少女である。

 同じ穴のムジナであるムチプリンは、見た目くらいで騙されない。

 だが腐敗物とはいえ障害者に移動を強いるのは気が引けるので、夏帆とムチプリンは歩いてターミナルの反対側に向かった。

「ソルビっちも一緒だったッスか」

「ビッチ言わないでください」

「どこかで見た顔ですね。確か名前は但馬……」

 どうやらムチプリンには心当たりがあるようだ。

「この前TVでやってた車椅子の美少女投資家?」

「美少女はやめて欲しいッスけど、たぶんそれオイラッス。但馬祥子たじましょうこ

 マスコミで報道されるほどの有名人には本名を隠す意味がない。

「高校入るまで病院暮らしだったもんで、ヒマを持て余していろいろやってたッスよ」

「元手がないと、普通そこまでは行きませんよね……?」

 夏帆は祥子の事を知らなかったが、車とボディーガードを見れば、親も金持ちなのは一目瞭然である。

「あっそうだ私、帆苅夏帆です」

 夏帆はあっさりリアルネームをバラした。

 祥子の金持ちぶりから、自分たちの事は専門家を使って調べ尽くされ、隠しても無駄だと察したからである。

「夏帆さんまで名乗るなら、ボクも明かさないといダメね。大路睦美おおじむつみよ」

「本名はどーでもいいから赤ちゃん触らせて欲しいッス!」

 真相の令嬢が台無しなレベルで祥子の目が血走っていた。

 鼻息も荒く、車椅子に乗っていなければ、いつ通報されてもおかしくない。

「ショウ……祥子さんはショタコンなので禁止です」

 睦美は犯罪者を見る目つきになっている。

 こいつに触らせてはマズいと本能が警報を鳴らしている。

「そんなあッス……」

「あとでいくらでも握手させてあげるから、とりあえず移動しよう」

「よっしゃーッス! みんな悪いけど車お願いッス!」

 祥子に頼まれて黒服の1人がワゴンの運転席に戻り、他の2人が車椅子の再搭載を始める。

「お2人は横のドアからどうぞッス」

「……ではお言葉に甘えて」

 目的地である更紗のアパートは徒歩で5分ほどだが、祥子の下半身に障害があっては車移動しか選択肢がない。

「えっと住所は……」

 スマホのナビを起動させる夏帆。

「いいッスよ。下調べは済んでるッスから」

「あなたどこまで金持ちなの⁉」

 自分たちのリアルも割れているに違いないと察した睦美が、すかさずツッコミを入れた。

「着いたッスよー」

 車椅子では安アパートの階段を登れず、黒服の1人が祥子を抱えての移動である。

「ここがランチュウの巣……?」

 家族から鍵を預かっている夏帆がドアを開けると、そこには腐女子とは思えぬ男らしいゲームオタク部屋があった。

「あまりグッズの類は置いてないのね」

 タツキを抱いたまま手を使わずにスリッポンを脱ぐ睦美。

 見渡すと、PCや入力機器の山を除けば生活に必要な最低限の家具しかない。

「お守りに興味はないと言ってました」

 夏帆はランチュウとの会話を思い返す。

 アニメや漫画は嗜んでいるようだが、薄い本を含めたBL趣味は、すべてPCやスマホで賄っているらしい。

 店でも逸般人を演じているので、スマホの待ち受け画面はペットの金魚に設定してある。

「あとストライクゾーンのショタが少ないとかで、あまり腐向け作品は観ないそうです」

「それ知ってたッス。ランチっちはもっと小さい子が好きッスもんね」

 祥子は黒服の手から降ろされ、支えられつつゆっくりと畳に腰を下ろす。

 半身不随のようだが不完全型で、機能のすべてを失った訳ではないらしい。

「夏帆さん、ちゃんと掃除してるっぽいッスね」

「当然です。更紗さんのお部屋ですよ?」

 冷蔵庫は空にされ電源も抜かれているが、まるでいまも誰かが住んでいるかのような佇まいである。

「ご家族に信用あるッスね」

 そして水槽の金魚を見ながら『こいつら両方ともオスっスね』と呟く祥子。

 金魚の性別など素人にわかる訳もないが、腐女子の水槽にメスを住ませる余地はない。

「ええ、まあ……」

 夏帆は店長の頼みで家族を手伝い部屋の整理をした時、ランチュウと更紗が同一人物である証拠を発見していた。

 その確たる証拠が水槽の金魚で、品種はランチュウ。

 名前が【アキタ】と【シノブ】なのは、ゲーム中で画像データを見せてもらった時に教わった。

 それを見て泣き崩れた夏帆の姿で家族の信用を得たのか、それ以来、更紗の母親とは定期的に連絡を取り合っている。

「これがランチュウ……更紗さんのPC?」

 それほど大きくはないが高性能なゲーミングワイドモニターと、大型のフルタワーデスクトップPCである。

 更紗がどんな姿勢でプレイしていたのか、それらを見れば一目瞭然であった。

 掃除のあと、夏帆が1ミリたりともずらさず正確無比に戻した成果である。

「ムチャクチャすっげえッスね」

 祥子のPCほど高級品ではないが、入力機器の物量が半端ない。

 モニター前のキーボードはもちろん、デスクには本来なら片手だけでゲームができるはずのアナログスティックつきキーパッドが左右に置かれ、アイトラッカーつきのブルーカットゴーグルが転がっている。

 そして足元には音響用のMIDIフットコントローラーと3連フットコントローラーが並んでいた。

「人間の装備じゃない……」

 一目見て驚愕する睦美。

 こんな装備を扱えるのは更紗と旧支配者くらいだろう。

「電源入ってるッスね」

「待機状態なんです。落としたらランさんが消えてしまいそうな気がして……」

「コンセント抜けてるッスけど?」

「…………ええっ⁉」

 祥子が指差す先にはタコ足配線の電源タップと、その先にある配線用差込接続器、電源ターミナルがあった。

 パネルからプラグがすべて抜かれ、モデムの電源も落ちている。

「昨日お掃除した時は刺さってたはずなのに……?」

「たぶんPCの知識がないご家族が来て、全部抜いちゃったッスね」

 誰も使わないPCなど、電気料金のムダでしかないと思ったのだろう。

「せめてシャットダウンしてから抜いて欲しいッスよね」

 さすがの祥子も開いた口が塞がらない。

「ちょっとこれ、どうやって動いてるのよ!」

 睦美は非電源で作動中のPCを指差し、大嫌いなホラー展開に青ざめ、目を白黒させている。

「なんかリアルの方もヤバい事になってるっぽいッスね……」

 黒服を含め、部屋にいる全員から血の気が引いた。

「これってPCが異世界と繋がってるとか?」

 よくあるSF的なパターンだと夏帆は思った。

「そうだと思うッスけど、ランチっちの話が本当なら、たぶん異世界転生の時に違いないッスよ」

 つまりこのPCは、ヘスペリデスによる異世界侵食の発生源ではない。

「これとは別に元凶がある……? 運営の開発機器やデータセンターのプロキシサーバーとか、いろいろ考えられますよね」

 夏帆と祥子の推測通りなら、大本を探し出すのは大変そうだ。

 睦美はまだホラー展開に茫然としている。

「このPC、借りてもいいッスか? 専門チーム組んで調査と管理をしたいッス」

 サラッと金持ち発現をする祥子であった。

 コンセントが繋がっていないので、持ち運びくらいは可能なはず。

「ご家族の承諾が必要ですね」

「じゃあすぐ行くッスよ」

 祥子は黒服の介助を受けながら立ち上がる。

「そうね。せっかく御霊前も用意したんだし」

 ホラー展開から気を取り直した睦美も立ち上がった。

「御霊前? ムッちゃんは何考えてるッスか」

「違うの? ランチュウのリアルご実家に向かうんでしょ?」

 睦美の想像通りなら、まだ遺骨と遺影が祭られているはずだ。

「別のところです」

 夏帆は祥子の言わんとする事を察して口を挟む。

「……どこへ?」

「それは祥子さんがご存じのはず。そうでしょう?」

「もちろんッスよ」

 再び黒服にお姫様だっこされる祥子。

「ここから車で10分くらいッス。睦美さんは構わないッスよね?」

「ええ……まあヒマだって言ったのはボクの方ですし」

「タツキくんは乗り物酔いしないッスか?」

「大丈夫、平気よ。ただしオムツ関係は勘弁してね」

 人数が多く、狭い車内で交換するのは大変なので、何かあったら路肩に停車する必要がありそうだ。

「出物腫れ物ところ嫌わずッスよ」

 そうと決まればワゴン車にGO! である。

「それで行き先は?」

 ワゴン車のシートでタツキをあやしながら聞く睦美。

「病院ッス。更紗さんの親御さんが院長やってるッスよ」

「挨拶……?」

 なぜ真っ先に実家へ向かわないのか不思議に思ったが、あちらにも都合があるのだろうと勝手に納得する睦美であった。

 国道を30分ほど進むと、ワゴン車は郊外にしてはそれなりに大きな病院の前で停車する。

 夏帆たちを下ろすと、運転手担当の黒服はワゴン車で駐車場へ。

 祥子の車椅子を押す女性の黒服と共に、一同は病院内へと向かう。

「ようこそ但馬様。お待ちしておりました」

 玄関ホールで60前後の白衣を着た男性に出迎えられた。

 背丈と手足が異様にひょろ長い。

「院長自らとは光栄です、更科さん」

 祥子は普通に丁寧な口調で言った。

 どうやらこれが祥子のビジネスライクな一面らしい。

 いや、こちらが素顔なのか。

「この病院はオイラも出資してるッスよ」

 院長の口調から、祥子がかなりの額を出資しているのは間違いない。

「あなたどこまで金持ちなの……」

 少なくとも、この病院に祥子の手が回っているのは理解できた。

「まさかランチっちのご尊父とは、つい最近まで知らなかったッスけどね」

「但馬様、こちらの方々は?」

「私と同じ更紗さんのゲーム仲間で、帆苅夏帆さんと大路睦美さんです」

 目の前で口調を使い分ける祥子の姿は、まるで腹話術師のようである。

「ほう……あなたが帆苅さんでしたか。話は妻から窺っております」

 院長は家族の話を聞いて、更紗の部屋を管理している夏帆に興味を持っていたらしい。

「私はネットゲームの事はよく知りませんが、あなた方が強い絆で結ばれた信頼に値すべき方々なのは、但馬様からもよく窺っております。ささ、こちらへどうぞ」

 院長に案内され、病院の奥へと進む一同。

 しばらく廊下を歩き裏口から出ると、古い建築物が目に入る。

「あれは昔、私の診療所だったところです。30年ほど前に但馬様のお爺様から出資していただいて、本病院が設立されました」

 それを祥子が引き継いでいるらしい。

「いまは倉庫同然の状態ですが、一時は隔離病舎として使われ、いざという時のために現在も設備を維持しております」

「大丈夫なんですか……?」

 睦美は伝染病を連想し、タツキをギュッと抱きしめる。

「幸か不幸か、そういった患者さんが来院されたケースはございません。しかし建物を残しておいてよかった……」

 カギを差して別棟の扉を開く院長。

「ここから先は他言無用にお願いします」

 中に入ると、診療所にしては意外と広い。

 エレベーターで2階に上がり、面会謝絶と書かれた病室のドアを開けると、最新型のベッドの周囲に作動中の機材が置かれ、それぞれ作動音を立てていた。

 まるで集中治療室のような物々しさである。

「この人がランチュウのリアル……?」

 人工呼吸器や点滴スタンドに囲まれた、もはや顔すらロクに拝めない動かぬ患者。

 少しは覚悟を済ませて来たつもりだったのだが、さすがの睦美も言葉が出ない。

 夏帆も面会を許可されたのは今日が初めてである。

「はい。間違いなく更科更紗さん本人です」

 顔は見えないが、夏帆の目にかかればベッドから覗く腕と指だけで更紗と判別できるのだ。

「夏帆さん、あなたは知っていたの?」

「はい……ずっと面会謝絶でしたが、意識不明と聞いてます」

「それでソルビっち、妙に口を濁してたッスね」

「ビッチ言わないでください。祥子さんだって隠し事してたじゃないですか」

「更科病院とは前からつき合いがあったッスけど、院長の娘さんがランチっちだって知ったのは昨日の夜ッスよ? 夏帆さんこそ、どうしてランチっちにホントの事を言わなかったッスか?」

 ソルビットはランチュウに更紗本体の生存を明かしていない。

「ランさんは何をしでかすかわからない人なので、みんなに相談してから決めるつもりだったんです」

「それは賢明ッスね……」

「ところで更科さん、更紗さんのお顔を拝見してもよろしいでしょうか?」

 入院以来、部屋の窓から眺めるだけだった夏帆である。

 その気持ちは院長にも伝わったようだ。

「結構ですよ。これらの機材はすべてダミーですから」

 院長は更紗に装着されていた人工呼吸器をスポッと引き抜いた。

 チューブが途中で切断加工され、喉の奥まで届いていない。

「心電図もニセの表示を出しているだけです」

「「「ええっ⁉」」」

 いきなりのトンデモ超展開であった。

「更紗は3週間前に当病院へと搬入されましたが、心拍・脳波共に制止しているにも関わらず、いまだに腐敗や死後硬直など通常の死後変化が起こっておりません。それどころかメスや注射針などの刃物を一切受けつけないのです」

 点滴まで見せかけだったらしい。

「それで先日、私のオフィスに連絡したんですね」

 どうにか平静を取り戻した祥子が口を開いた。

 いや開いた口が塞がらなかったのだが。

「はい。医学では説明できない異常事態と判断し、様々な研究機関に多大な出資をしておられる但馬様ならばと思いまして……」

 ごく一部の信用できる人間にしか現状を明かさず、ダミー機材を設置し、娘の病状を3週間もひた隠しにしていたらしい。

 カルテも偽装され、医者として院長として社会的に危険な綱渡りだったのは明白である。

「その連絡先がランチュウ、いえ更紗さんのゲーム仲間って……偶然どころじゃないわね」

 その天文学的な確率に、睦美は唖然とした。

「MRIやレントゲンも試しましたが……」

 院長は医療用タブレットPCのカバーを開いて画像を表示する。

「見事に真っ黒けですね。関節は動いたんですか?」

 PCデスクに突っ伏した状態で発見されたはずなので、祥子はベッドで眠る更紗の姿に違和感を持っていたのだ。

「搬入された時は硬直しておりましたが、入院3日目に突然動かせるようになりました」

 更紗が樹王のスペア、あるいは魔王として異世界転生した時期と一致する。

「ですが、すぐにまた動かなくなってしまいました。体勢を変えられただけでも御の字ではありますが……」

 不幸中の幸いであった。

 座りポーズのままでは誤魔化しようがなかったかもしれない。

「その後の経過は変化なし、という事でよろしいでしょうか?」

「はい。詳細は後ほどレポートを送ります」

「いえ、ネットを使うのはやめましょう。使いの者を送ってデータを直接受け取ります。書類作成はオフラインのPCを使ってください」

「そこまでする必要があるのですか……?」

 祥子の極秘事項宣言に、院長は心配になって来た様子である。

「あとアパートにある更紗さんのPCをお借りしてもよろしいでしょうか? あれにも不可解な現象が起こっていますから」

「不可解?」

「電源コードが抜けているのに作動中です」

 そしておそらくモデムも使わずにヘスペリデスとリンクしている。

「なんてこった! 娘に……更紗に一体何が起こっているのですか⁉」

 院長が初めて見せる父親の顔であった。

「昨晩、私たちがプレイしているネットゲームで更紗さんに会いました」

 夏帆と睦美が内密にしておくつもりだった事実を、祥子はあっさりと白状する。

「何ですって⁉」

 驚く院長。

「話すと長くなるので、こちらも後ほどレポートを送ります。そちらのデータと交換、という事でいかがでしょう?」

「……わかりました。あと娘のPCは……」

 院長は名状しがたい表情をしている。

「中身は腐った画像データでいっぱい、でしょう? 私も同類なので問題ありません」

「そうでしたか……」

 さすがの院長も、一見清楚そうな車椅子の美少女が、まさか更紗と同様に腐乱していたとは思わなかったようだ。

「それに、どうせ中身は覗けないでしょうしね」

 更紗の医療データを見る限り、PCの方もデータのサルベージどころか接続すら不可能な状態に違いない。

 なにせ接続端子抜きで異世界とヘスペリデスに繋がっているに違いないのだから。

「睦美さんと夏帆さんは……」

「わかってますよ。秘密厳守でしょ?」

 睦美も夏帆も、こんな非常識な話を他人に明かす気は皆無である。

「いえ、更紗さん……ランチっちにも隠し続けて欲しいッス。少なくとも今後の方針が決まるまでは」

「祥子さんなら、そう言うと思ってたわ」

 睦美は祥子の悪者顔を見逃さなかった。

 合理的な判断ではあるが、面白そうだから決めたに違いないと。

「私もです……ランさんには悪い事をしたと思ってます」

 睦美と違って夏帆はバツの悪そうな表情である。

「夏帆さん、顔が青いわよ? 大丈夫?」

 赤ん坊で両手が塞がっているので支えられないが、夏帆は過呼吸で今にも倒れそうな状態である。

「……平気です。むしろホッとしました」

 夏帆は院長が何か隠し事をしていると疑ってはいたが、まさかこんな事になっていようとは思わなかったようだ。

「でもランチっちに入院の話をしなかったのは、いい判断だと思うッスよ」

 言ってどうにかなる話ではないし、余計な悩み事と不確定要素を増やすだけである。

「いえ私、てっきり脳死状態だと思っていたんです。院長さんはお父さんですし、それを認められなくて、亡くなった更紗さんをここに隠していたとばかり……」

 脳死体は人工呼吸器さえ止めなければ、それなりの期間は肉体の生命活動を維持できる。

 ただし脳細胞が物理的に崩壊するネクローシスが起こるまではの話だが。

「不幸中の幸いっスね」

 死んではいなかったが、生きているともいえない状態であった。

「たとえランさんが亡霊だったとしても、会えるなら私は平気です」

「うっわ~ッス……」

 夏帆のメンヘラ発現に、祥子の背筋に怖気が走る。

「……いやまあ、夏帆さんの嘘は結果オーライッスよ。どうせ当分は事態の進展はないッスし、ランチっちは何しでかすかわからない人ッスから、教えたら計画に支障が出てたかもしれないッス」

 更紗の生命はショタロリ団の動向と言動にかかっているといっても過言ではない。

「そういえばショウタ君の計画、まだ聞いてなかったわね」

 睦美はわざと祥子を【ショウタ君】と呼んだ。

 悪者顔から悪だくみの顔に変わっていたからである。

「ヘスペリで何をしでかすつもりなんですか?」

 夏帆もだんだん不安になって来た。

「決まってるじゃないッスか」

 祥子は大仰に両手を広げて宣言する。

「戦争を起こすッスよ」

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