第2話・更科更紗

 更科更紗さらしなさらさ(26)は引きこもりである。

 女性にしては、いや男性と比べてもかなり大柄で、ガリガリに痩せ細り手足が異様にひょろ長く、おまけに目つきも悪かった。

 指も長く、両手にそれぞれキーボードとマウスとアナログゲームパッドを組み合わせたような複雑怪奇にもほどがあるゲーミングキーパッドを掴み、大量のスイッチとペダルの並んだ音響用のMIDIフットコントローラーを右足で、3連フットスイッチを左足で器用に操作し、おまけにゴーグル式のアイトラッカーで視線追跡までこなしている。

 これが超ハイテンポ戦闘とクルクル動く表情、そして尻踊り&音声・テキスト同時入力の秘密であった。

 仕掛けがわかったところで真っ当な人間に真似のできる所業ではない。

「デュフフ~ッ、デュフフフフゥ~ッ♡」

 アバターのランチュウは楽しそうに森を疾走しているが、リアルの更紗はヤケクソ状態で、浴びるように酒を呑みまくっていた。

 つい数日前まで郊外の携帯ショップに勤めていた更紗であるが、いまは無職。

 先日、支店長の家へと挨拶に行った際、そこのムチャクチャ可愛らしいご子息に、こう言われたのだ。

『枯れ木女』

 あまりのショックに退職届を出してしまった。

 それ以来、引きこもり街道まっしぐら、安アパートから一歩も出ずにファンタジーMMOアクションゲーム【ヘスペリデス】で現実逃避し、ソロプレイでアバター【ランチュウ】のモコモコかぼちゃパンツとネコミミ&ネコシッポ装備に癒される毎日を送っている。

「やっぱりランチュウのお尻が一番だねえ」

 3人称視点に設定しているため、画面上のアバターは常に後ろ姿なのだ。

 ヘスペリデスのプレイヤーアバターは、モニターにかなり大きく表示される。

 視野が狭くなるといったデメリットはあるが、お気に入りのアバターを眺めながら戦いたいプレイヤーには最適の環境といえるだろう。

「パーティーのみんなとお尻を並べて踊り狂うのは最高だけど……でも、いまはソロでやりたい気分なんだよねえ」

 アパートの6畳間には大量のゴミ袋とチューハイの空き缶が散乱し、ハイスペックPC本体やデスクの周辺には飲みかけの缶飲料や焼酎の1リットルボトルが並んでいる。

 昼夜を問わぬノンストップ飲酒と人外プレイ。

 悪い記憶を酒で追い払い、ショタのお尻で心を癒す一人旅。

「そうだエサやんないと」

 水槽にいる2匹の金魚だけは、きちんと面倒を見る更紗であった。

 名前は琉金が【アキタ】で黒が【シノブ】。

 どちらもオスなあたり、更紗の腐乱っぷりが窺える。

「おややん? なんか森を抜けちゃったっぽい?」

 理論上はAIの自動生成で無限に広がる予定だったオープンワールドにも、物理的に限界があった。

 無限に広がる訳がないのは最初からわかっていたが、最近は特に生成速度が遅い。

 ヘスペリデスはサービス開始から数年が経過し、プレイヤーの総数も頭打ちになっているため、これ以上の拡大は対戦勢の遭遇率が落ちるからといわれている。

 そしてオニカラダチの森から東側は世界の果てが存在し、現時点では森から先に進めない仕様になっていた。

 ……なっているのに森から抜けてしまった。

 だが泥酔している更紗は気にも留めない。

「綺麗なところだねえ」

 森を出ると、そこには一面の湖が広がっていた。

 ただし水深は浅いようで、小柄なランチュウでも脛のあたりまでしか沈んでいない。

 湖の中心には巨大な樹木が立っている。

 波一つ立たない水面が鏡のように大樹を映す、幻想的な光景であった。

「なんか魔界樹に似てるけど……色違いかな?」

 ワールドマップのいたるところに配された破壊不能オブジェクト、魔界樹。

 それは世界を浸食し魔界化する空間因子改変システムネットワーク……と、ゲームの紹介欄に書いてあったような気がしないでもない。

 魔界の侵食を受けた世界を救うのがヘスペリデスの最終目的とされているが、エンディングの存在しないMMOゲームのプレイヤーにはあまり縁のない設定で、大抵のプレイヤーはオープニングテロップの説明文を読み流し、ほとんど認知されていないのが実情である。

「あいたっ!」

 酔った頭でゴチャゴチャ考えながら適当に走っていると、突然見えない壁にぶつかった。

 ゲームなので本当に痛い訳ではないが、更紗のような廃ゲーマーには、ビックリするとつい『痛っ!』とか『あちっ!』などと言ってしまう癖がある。

「ワールドマップの果て……? これ以上進めなくなってるんかいな?」

 どうにかして先に進もうと、見えない壁の突破法を探すランチュウ。

「ポリゴンの隙間に潜り込めば……ん~っ!」

 すぽん!

「おっと行けた! ラッキー♡」

 思わず駆け出して大樹に向かう更紗。

 近づくと枝に全長2メートルほどもある、ホオズキのような赤い果実がぶら下がっている。

「もうちょっとで手が届きそうだねえ」

 なんだか視界が妙に広い気がするが、更紗は気にしない事にした。

 大きな根の1つによじ登って果実に触れる。

「おんやまあ」

 赤い半透明の果皮から見える内部に人間らしき物体が浮いていた。

「この子、可愛い……」

 性別はわからないが、どうやら子供のようである。

 見た目の年齢はランチュウと同じ10歳前後。

「これって角かいな? いや羽根かもしんないけど」

 頭に2本の角らしきモノが生えていた。

 背中と腰にも小さな翼のようなオプションパーツが浮いていて、何かのシナリオミッションに使われるボスか、あるいはストーリー展開で重要な役割を果たすキャラクターに違いないと更紗は推測する。

「さてさて、そろそろ性別を確認しないとねえ。ちゃんとついてるかな~?」

 どうせ表現規制で股間が隠されているに違いなく、場合によってはデフォルト状態で下着が付属している可能性も高い。

 ゲームのキャラクターは、表示ズレが起こらないようにボディと下着が一体化しているのが普通である。

 だがショタBL趣味を盛大にこじらせている更紗は、せめて謎の光や黒っぽい影など、隠し方くらいは確認しないと腐った気持ちが収まりそうにない。

「ありゃりゃん? なんかグニヤグニャになって来たぞ……?」

 モニターの画像が、いや更紗の視界が歪んでいた。

「こりゃ飲みすぎちゃったかな?」

 周囲がどんどん暗くなる。

「もうちょっと……もうちょっとでアレを拝めるんだけどなあ……」

 果皮に顔をこすりつけんばかりに覗き込む更紗だが、肝心なところがよく見えない。

「ちくしょーめ、おち〇ちん……見えねーじゃ……ねえ……か……」

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