君はこの本の中で生きているのだろうか。

春野糖花

第1話 創作の始まり

 思い出は美しい。だんだんとぼやけていく記憶の中で、君は笑っている。


 個人差はあれど、大切な記憶も、残酷なほどにあっさりと脳から零れ落ちていくものだと、最近になって気づいた。覚えていられる思い出には限りがある。

 君は数年前、事故で亡くなった。昨日まで普通に話していたのに、死の訪れは予想できなかった。


 僕らはとても仲が良かった。それは僕の勘違いではないと思う。帰る方向が同じだった僕らは、帰り道にたくさんの話をした。確か、君とは言葉の相性が良かった。

 君の言葉は僕の心の奥底まで届くように思った。それはお互いに同じだったのではないかと思う。


 彼女は、他の人とはどこか違う目をしている気がした。声も言葉も透明だった。

 その透明というのは、僕が彼女に見出した美しさだったのだろう。


 僕は昔から創作が好きだった。ノートに詩を書いてはよく見せていた。彼女はいつだって楽しそうにそれを見ていた。

 今となっては、創作することに意味を見出していたのか、彼女に見せるために書いていたのか曖昧だけれども、僕に創作の楽しさを教えてくれたのは彼女だったように思う。


 創作はとても綺麗だと思わないか。詩でなくても、絵でも音楽でもいい。心が形を持つのだ。

 詩の場合は、言葉が喉を伝って指先を伝って、形になる。僕はその美しさに惹かれた。


 僕は、いつも美しさに触れていたかった。醜い心を捨てて、言葉の本質に触れたかった。

 でも、自分には才能と呼ばれるものはないのだと、ずっと思っていた。その時に、楽しそうに詩を読む彼女にどれだけ救われたか。僕の詩は彼女のためのものだったと思う。

 だから、僕に創作の楽しさを教えてくれたのは彼女だった。


「貴方の詩、好きだなあ。私、先生のファンです!」


 君はそう言って笑う。僕はそれを綺麗だと思う。


「そんな、先生なんて大したものじゃないよ。……でも、ありがとう」


「次は何を書くの? 早く続きが見たいな」


 少し考えてペンを滑らせる。


「――入道雲は白く、君は夕立を待っている。こんな感じでどうかな?」


「君って、私のことだったりして?」


 おどけたようにそう言った君に、僕は少し呆れる。

 戻らない日々になるとわかっていたら、愛の言葉でも伝えただろう。


 まだ彼女の美しさが、僕の醜い心を引っ掻いてる。


 僕は売れない小説家だ。小説家という表現を使っていいものかわからないが、アルバイトをしながら小説を書いている。


 僕には何も残らなかった。君がいなくなっても日々は当たり前に流れて、惰性で生きて高卒の資格を取ったはいいものの、自分は空っぽなのだと思い知った。最後に残ったのが君との思い出と創作だった。


 でも、僕は何を書けばいいのかわからない。何を書くべきなのかわからない。

 だからこそ、僕は空っぽなのだ。もう楽しそうに僕の詩を見る君はいない。

 そんな資格なんてないと思いながらも、他人を妬んで、上手くいってる奴らが羨ましくて、心は醜くなるばかり。僕には何かが足りない。


 このまま、何も持たないまま生きていくのかと悲観的にもなる。心を擦り減らしながらプロットを書く。どれもつまらない。僕はもっと美しい話が見たい。


 ――その時、ふと思いついた。「君」を書こう。君との思い出を書こう。

 それが、今の僕に書ける一番美しい話だと思った。


 彼女との出会いは初夏の公園だった。その日はそういう気分だったから、お菓子を買って公園に居座ってやろうと思った。

 家に帰るのが嫌だったとかではなくて、本当にただの気まぐれだった。

 見晴らしの良い公園で、夕方だからか人は少なかった。僕は近くのベンチに腰掛けて袋菓子を開ける。


 すると、鼻歌が聞こえた。その声も透明だったと思う。音は近くで鳴っていた。

 ベンチから少し離れたブランコに、彼女は座っていた。こちらのことは気づいていないようで、鼻歌が続く。透明な声が続く。


 僕は、それがとても美しいと思った。歌唱力が高かったわけではないと思うが、その歌声は僕の心にすとんと落ちた。彼女は夕陽が差す中で歌っていた。


 ぼうとしたまま彼女を見ていた。しばらくたって視線に気づいた彼女は、不思議そうな顔をした後、少し微笑んだ。

 よく見ると彼女は制服を着ていて、偶然にも同じ学校のものだった。


「――同じ学校だよね? 何年生?」


 じろじろと見てしまっていたのに、彼女は何も気にしていないかのように普通に話しかけてくれた。


「えっと、二年生だよ。君は?」


「あっ、同じ学年! 隣座っていい?」


 そう言って彼女はブランコから降りると、僕の隣に座った。


「名前伝えとくね。橘日和です。よろしくね」


「如月湊です。よろしく」


 簡単に自己紹介を返した。


「貴方も学校帰りだよね。部活入ってないの?」


 じろじろ見てしまっていたのでなんとなく気まずいが、特に話さない理由もないため、返事を返す。


「かなり緩い部活で、活動が週一なんだよ。君はどうなの?」


「私のところもめっちゃ緩いんだよねー。同じだね!」


 そう言って橘はけらけらと笑う。


「よかったらだけど、この公園で会えたのも何かの縁だし、連絡先教えてくれない?」


 普通に学校の友達とは連絡先を交換しているし、断る理由もない。流されるまま連絡先を交換することになった。

 それが橘との出会いだった。

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