1-6 見惚れた

 火蓋が切って落とされた瞬間、先に動いたのはアリサだった。

 腰に掛けていた黄金の剛弓――黄金の樹の枝を無理矢理加工したような弓を左手に持ち、ジンから一気に距離を取ったのだ。


「あの子遠距離型か。あの腕力なら、普通に近接も熟せそうだけど……」


 ジンは未だズキズキと痛む脇腹を押さえて苦そうに笑うが、トワの推測は違ったようで、


《そうでしょうか? 確かに力こそありましたが、アリサ嬢は近接戦闘をあまり得手としているようには見えません。遠距離型なら納得です》

「でも、なんだかな……」


 このときジンは、ハッキリ言ってアリサを嘗めていた。

 ジンの戦闘スタイルに、距離は関係ない。

 どんなに離れていようと、敵の得物が弓である限り、自分の優位は揺るがない。


 このときまでは、確かにそう考えていた。


「あぁ、そうだ。ジン、審判からのアドバイスだ」


 少し遠い地点から、ライトがジンに声を掛ける。


「アリサを甘く見るな。最初から全力でかかれ」

「賞品が懸かってるから勿論そのつもりだけど、あの子そんなに強いのか?」

「ああ、出し惜しみなんて考えるなよ。何せ――」


 ズゥン――ッ!


 ライトが何かを言い終えるよりも早く、何かがジンの真横を通過した。

 知覚出来たのは、ナニカが自分の頬スレスレの空間を通り過ぎたということだけ。


「…………な」


 ライトとの会話に気を取られていたとはいえ、ジンはソレが迫っていたということすら察知出来なかった。


「本気のアリサは、俺の倍は強いぞ?」

「ッ……!」


 迫り来る死の予感。

 着地云々を一切考えず、ジンは地面を蹴って真横に跳躍した。


 ライトの言葉が合図だったかのように、さっきまでジンが立っていた地面を幾本もの矢が穿ち、爆発する。

 その威力たるや、宙に浮いていたジンの体が更に大きく飛ばされる程だ。


「ちょ、嘘だろ!?」


 更に、空中にいるジンに向けて、天から様々な黄金の軌道を描いて飛翔する死の雨。


 ただ見るだけなら、柄に合わず綺麗だと見惚れてしまったかも知れない。

 だがソレらが自分を貫かんと迫っているなら、話は別だ。


 容赦なく降り注ぐ黄金矢の雨は、一本一本がジンを屠るとは行かずとも、戦闘不能に陥れるには十分な威力を内包している。


《ジン、回避です!》

「分かってる!」


 ジンは自分の背後――地面の方向に向けて、何もない空間に手を伸ばす。


「『闇渡り』!」


 そう叫んだ瞬間、ジンが伸ばした手の先に、突如として黒い渦が出現した。

 重力に従って落ちていくジンの体はその渦に呑み込まれ、矢が到達するギリギリ手前で体全てが闇に吸い込まれる。


 そしてそれと同時に、そこから僅かに離れた空間に形成されていた黒い渦から、不恰好にジンが背中から落ちてきた。


「……」


 矢を構えるアリサの表情が、僅かに曇る。

 恐らく、さっきの矢の雨で全て終わらせたかったのだろう。無様に逃げるジンへと苛立ちの表情を隠し切れていない。


「空間転移!? 凄いよあの新人ー! アレって『固有系統』だよねー!?」


 何も話さないアリサと違って、観客席は大盛り上がりだった。

 と言っても、審判のライト以外はエミリア一人しかいないので、彼女が一人で盛り上がっているだけなのだが。


 固有系統とは、法術士の中で数百人に一人が持って生まれる、唯一無二のオリジナル系統。


 今まで見たことのない興味深い観察対象を前に、エミリアは早くも興奮状態だった。


「術式も使わない、時間差のない一瞬での転移〜! アレはとてもレアな系統と見た〜!」

「パッと消えるタイプじゃねえが、その分汎用性は随一だろうな。あれは転移以外に、少ねえが物も収納出来るし、法撃も跳ばせたな」

「何それ〜! じゃあ遠距離から高火力の法撃当て放題じゃ〜ん!」

「いや、そんな都合のいいもんでもねえ」


 目を輝かせるエミリアに対し、ライトはただ苦笑して、言う。


「あいつ、今アレしか使えねえんだよ」


「ほえ?」


 聞き間違いかなと、目を白黒させる眼鏡少女。

 だがライトは発言の撤回をすることなく、


「そ。使えないレベルでクソなんじゃなくて、本当に何一つ使えねえ。あの固有系統以外、あいつは法術が使えねえんだ」

「え、え〜!? 基礎六系統も使えないの〜!?」

「ああ。全く全然からっきし」

「は〜!? 何それー!?」

「……それにしてもあの野郎」


 ここでライトは、ひたすら逃げに徹するジンを見て、訝しむ様子でこう呟いた。


「もう、『アレ』は使えねえのか……?」



 一方、ジンは迫り来る黄金の雨をひたすら走って避け続けていた。

 その速度は目で追うことも難しく、法術士を水準にしても圧倒的なスピードだった。


「クソ! 何なんだあの爆撃娘! 本気でオレを殺す気か⁉」

《そうなんじゃないんですか? 初対面でいきなり抱き着いてくる変態を合法的に撃ち殺せる機会を得たら、誰もがそうすると思いますが》

「アレ、事故。オレ、悪くない」

《変態は皆そう言うんですよ》


 法術士は、体内に貯め込んだマナを消費することで初めて法術を扱える。


 当然、貯め込めるマナの量には限りがあり、それが切れれば法術士は法術が使えなくなる。どんなに凄腕であろうともこの法則からは逃げられない。


 そしてマナの消費量は法術の威力に比例する筈なのだが、アリサは並の法術士ならとっくにマナが枯渇して当然の爆撃をし続けているというのに、一切疲れた様子を見せない。


《恐らく、法術士としての器は最上級のものかと》

「痩せ我慢なら可愛げあるんだけどな!」


 軽口を叩いてはいるが、正直ジンに余裕なんてものは一切ない。

 さっきから死と隣り合わせの状況で全力で走り続けているのだ。その精神的負荷は確実に足取りを重くしている。


 頭部を貫かんと迫る光の矢を咄嗟に避けると、ジンは必殺の弓兵を横目で睨む。

 弓を構える紅い少女の目は険しく、本気で自分を殺しに来ていることが窺えた。一応これ模擬戦なのだが。


「仕方ない! ここは一気に決める!」


 ジンはそう意気込むと、目の前に闇渡りの穴を出現させる。するとそれと同時に、アリサの背後に全く同じ黒穴が形成された。


 そして幸いなことに、アリサは全くそのことに気付いていない。

 そのことを確認して、ジンは微かにほくそ笑んだ。


 如何に強大な砲撃を放てようが、所詮は弓兵。距離を詰めてしまえば、対処のしようは幾らでもある。


《ジン、待って下さい。それはあまりに軽率――》


 トワが慌てて制止するが、もう遅い。

 あまりにも甘過ぎる考えのままに、ジンは黒穴に飛び込んでアリサの背後に移動し、


「ユグドラシル」


 一秒も経たぬ間に、己が愚考を思い知らされていた。


「うぉお!?」


 穴を抜けたその先に待っていたのは、アリサへの道を阻む防壁ように大地を突き破って現れた、複数の巨大な黄金の樹の根。

 ジンの身長も何倍もあるソレは、ツルのようにしなやかに動き、そして、


「まず……」


 主たる少女に不用意に近付いた愚か者へと、一斉に振り下された。

 ジンは両腕を交差させて受け止めるが、轟音と共に襲った衝撃は洒落にならないなんてものではない。


 重過ぎる衝撃で腕は痺れ、踏ん張る地面に亀裂が入り、足が打ち出される釘のように地面へと埋まっていく。


(不味い。このままじゃ負け――――)


「ッ……! 調子に、乗るなぁあああああああああ――ッ!」


 腹の底から声を張り上げ、ジンは迫る黄金の根に力任せに拳を叩きつけた。

 一時的に引き出された人外の膂力は根の一撃を上回り、見事弾き飛ばすことに成功する。


「そんな!?」


 この時、初めてアリサの顔が驚愕に染まる。

 それほど黄金根の力を信頼していたのだろう。その動揺は、ジンが他の根を掻い潜り接近してきても収まってはいなかった。


「とっ――」


 た、と。ジンの中に芽生えた僅かな達成感。

 これで決まる。アリサの腕力も相当なものだが、その動きはまるで素人。組み伏せてしまうのは容易い。


《だから、それが甘いと言っているのです。ジン!》


 脳内に響く、姿無き少女の叱咤と警告。いつものように抑揚の無い無機質な音声。


 しかしそれは、十年間共に過ごしてきたジンだからこそ分かる、酷く動転した静かな叫び。


 直後、世界が氾濫した。

 現れたのは、無数の杭。アリサの足下の地面を突き破って現れた、百本を超える黄金根。


 先の根の倍以上の巨大さを誇る根の軍勢は、まさしく氾濫と呼べる勢いで顕現し、主のため、手段を選ばず外敵を屠らんと牙を剥いた。


(不味い……! まだ足が地面に――)


 アリサに飛び掛かっていた最中だったせいで、今のジンは微かに地面から浮いた状態。


 その間、僅か一秒未満。

 一瞬とも呼べるその時間は、あまりにも致命的な隙と成り得た。


「カッ!?」


 ジンの肉体を、地中より出現した黄金の剣山が襲う。


 飛び散る肉片と血潮。身を捻ったお陰で辛うじて直撃は免れたものの、剣山の一角がジンの脇腹を浅く抉る。


 だが、たった一度で終わる筈がなかった。

 何も無かった地面がひび割れ、砕け、新たな樹海が氾濫する。


 初撃を身をよじって回避したせいで、体勢は完全に崩壊してしまっている。こればかりは避けられない。


「『夜蔵オープン』!」


 考える暇も惜しんで、ジンは右手の先に黒穴を出現させ、その中に手を伸ばす。


 迫るは千の杭。

 回避は不可能。どう足掻いても、黄金根はジンの強靭な肉体を力ずくで破壊する。


 ――ガァンッ!


 木が肉を貫いたとは思えぬ音が響く。それはまるで、鍛えられた鋼鉄同士の衝突のような。


 それは当然だと言えよう。

 何せ黄金根の植物の範疇に収まない硬度は、軽く鋼鉄を凌駕し、

 ソレが勢いよく打つかったものも、鍛え上げられた金属そのものなのだから。


 衝撃のまま宙を舞うジンだったが、その身体には初撃で負った脇腹の傷以外、一切の負傷をしていなかった。

 そしてその手には、先程まで確実に存在していなかったと断言出来るとあるものが握られていて、


「「武器⁉」」


 ソレを見た二人人物の声が重なる。

 一人は唯一の観客であるエミリアのもので、もう一人は目前でその現象を目の当たりにしたアリサのもの。


 二人は見た。視点は違えど、あの数瞬の間にジンが為したことを。


 幾本もの根が襲う中、ジンは回避する素振りさえも見せずに、右手を突っ込んだ穴の中から、背丈はあろう長さを誇る薙刀を引き出し、

 あろうことか、そのまま自身を滅さんとする黄金根を全て、一薙で叩き折ってみせたのだ。


 踏み込みの効かない空中で、腕の力だけで!


「はぁああ――ッ!」


 着地と同時に、ジンが大地を蹴る。


 アリサはまだ冷静さを取り戻していない。好機は今しかない。

 黄金根の間を駆け抜け、たった二歩でアリサまでの距離を詰めると、薙刀の届く範囲に入ったタイミングでジンは手に持つ得物を一気に薙ぎ払った。


 勿論峰打ちだが、頭に直撃すれば脳震盪は免れない。


「あ――――」


 鈍く反応したアリサが後ろに下がろうとするが、それをし終えるよりも早く、ジンの振るった薙刀はアリサの側頭部を打つだろう。


 ジンの突進はそれ程までに凄まじい速度を誇り、後追いで発生した突風がアリサのフードを叩き――


「ぇ…………」


 間抜けな声が漏れる。

 アリサの声ではない。その音は、他ならぬジンの喉を介して出されたもの。


 不意を食らった。そう言ってもいい。

 突然、目の前にソレが現れた。フードによって窮屈に閉じ込められていたものが解放された。


 真っ赤で、長くて、煌めいた――――アリサの紅髪が。


 ジンの瞳孔が開かれる。動揺が全身を駆け抜ける。薙刀を持つ手が、鈍る。

 それによって生じた、思考の空白。それを黄金樹は見逃さなかった。


「カハッ!?」


 大地を貫いて現れた三本の杭が、ジンの腹部を肉体ごと突き上げる。

 幸い刺さるまでには至らなかったが、その一撃によって生じたダメージはジンの内臓を打ち、骨を砕くには十分だった。


(反則だろ……)


 霞む意識の中、ジンが吐露したその非難は、馬鹿げた破壊力を秘めた黄金根に向けられたものではない。


(その美しさは、反則だ……)


 そんなものを見せられたら、戦いどころではない。


 ――ああ、なんて綺麗な髪なんだろう。


 そして、限界を迎えたジンの意識がプチンと切れ、視界が黒に塗り潰された。

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