神殺しの出来損ない

雪村駿介

献身の少女

序章

序章 一つの問いかけ

 そこは、壁に囲まれた小さな世界だった。


 高さ四十mの壁が円状に並んだ、総面積二十五万平方mの空間。

 それを狭いと定義するのは人それぞれだが、生まれたときからこの壁の中に囚われていたこの二人にとっては、この世界は何処までも窮屈だった。


「ジン、ここで一つ質問だよ。――キミはこの世界をどう思う?」


 色素が抜け落ちたような白髪に、飾り気のない無地の服を着た少女が、ふとそんなことを口走る。


 ジンと呼ばれた白髪の少年は、「ん?」と一瞬何を言われたのか分からないといった顔をし、熟考するように顎に指を添えるが、それでも目の前の少女の発言の意図を理解出来なかった。


「どうしたんだ? 急にそんな厨二っぽいこと言い出して。まだそんな歳じゃないだろ」

「ボクもう十歳ですぅー! バリバリの思春期なんですぅー!」


 まともに相手にされないことに腹を立てたのか、少女が非難するような視線を向ける。


「十歳も何も、実験動物のオレ達に、思春期も何もないだろ。で、さっきの質問はどういう意味だ?」

「意味も何も、そのままの意味だよ。ジンは今この世界がどう見える?」

「地獄」

「キミの方がよっぽど厨二臭いよ……」


 ジンの即答に少女は苦笑いを返すが、あながち彼の言うことも間違っていない。


 少女は自分の右手の甲をもうすぐ夜が明ける空に掲げ、憎々しげに見つめる。

 「12」と。デカデカとした文字の焼印が、そこには刻まれていた。

 そして、釣られて自分の右手の甲を見たジンの目には、「1」の文字が。


 それが彼らの名だった。人らしい名前など一切つけられず、識別番号で常日頃彼らは区別されていた。少年の「ジン」という名と少女の名前も、お互いが勝手につけたものだ。


 ジンは照れ臭いのか、滅多に彼女の名前を呼ぼうとはしないが。


「……アーシャとホーエン、死んじゃったね」

「……そうだな」

「結構持った方だとは思うんだよ。何百回もの実験に平然と耐えてるキミがおかしいだけで、本来なら一回限りでポックリ逝く筈なのにさ。あの二人は、三十回以上もあの馬鹿げた実験に耐えたんだ。大勲章だよ。……ああ、残念だなぁ。本当に……」


 明るく振る舞う少女の声が、隠し切れない程大きく震える。


 ジンは何も言わない。泣いている少女に言葉を掛けてやれる程、器用ではなかったから。

 時折、鼻を啜る音が聞こえてくる。その度に、ジンは自分の不甲斐なさに嫌気が刺す。


 二人がしゃがむ丘の上には、ただ大きな石が置いてあるだけの、簡単な墓が建っていた。


 その墓標には、「フェリット」「カーレイ」「ビリアーノ」「ユリウス」「ランドルフ」「アレックス」、他にも様々な名前――かつて同じ境遇だった彼らの仲間、いや、家族の名前が、お世辞にも上手ではない文字で刻まれている。


 元々はただの番号で区別されていた彼らに、名前はない。

 これらは全て、ジンとフィリアが懸命に考え、そして勝手に名付けただけの紛い物の名だ。


「ふとさ、思うんだ。世界って何だろうって。ボク達って何だろうって」


 名を刻み終えた少女は、丘の先で昇り始めた朝日を見て、そう呟く。


 その目が向く先には、自分達を苦しめる元凶である白亜の塔が。そして、更にそれと二人を取り囲むように聳え立つ高き壁が立ちはだかっている。


 ジンは少女の告白に、黙って隣で耳を傾けていた。


「毎日毎日繰り返される痛いだけの実験。その度に家族が一人一人死んでいく。昨日普通に話していた子がもう二度と会えなくなって、後から生まれてきた子をただ見送るだけしか出来なくて。もうね、嫌なんだ。いつまで、こんなのが続くんだ……」


 そう心の底からの本音と弱音を吐き出した少女は、立ち上がってジンの黒い瞳を見つめる。


「無意味に作られ、無意味に弄られ、そして無意味に死んで、誰にも覚えられることなく消えていく。……こんな世界、生きる意味なんて、何処にも無い。もういっそ、死にたいよ……」


 少女はジンの胸に顔を埋め、今まで溜め込んでいた毒を吐き出し続けていたが、最後の方には、怒気も何も無い、ただの弱々しい掠れ声だけが、微かにジンの鼓膜を震わせていた。


「オレが覚えているよ」

「……え?」


 自分の胸にもたれ掛かった、背負った重荷に潰されつつある少女の頭を撫で、ジンはもう一度、同じ言葉を彼女に伝えた。


「オレが覚えている。もし、誰もがお前のことを忘れても、オレは、オレだけはずっと、お前のことを覚えているから」

「…………」

「お前のことを忘れない。それ以前に死なせない。だからさ、死にたいとか言わないでくれ」


 ジンは優しくそう告げると、少女の体を力強く抱きしめる。


「え、ちょっと……!」


 最初は耳まで真っ赤にして戸惑う少女だったが、次第に落ち着きを取り戻し、「もう……」と、優しくジンを抱き返す。


「……うん、分かった。もう死にたいとか言わないよ。ジンが生きている限り、ボクは生き続けるよ。約束する」

「ああ。オレもだ……」


 抱き合う二人を他所に、太陽は完全に昇り、薄暗かった狭い空を赤く染め上げていく。


(…………全く、そんな言葉を恥ずかしげもなく、この鈍感め……)


 少女は体全体にジンの温もりを感じながら、心の中で人知れずそう呟く。

 「ありがとう」と、素直に言葉にすることは出来ないが、代わりに抱きしめる力を強くする。


(これからも、一緒に生きようね……)


 しかし、心の中でそう誓った約束は、結局果たされることはなかった。


 次にこの場所を訪れたのは、


 次に墓石に名を刻みに来たのは、


 無力な少年、ただ一人だけだった。

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