第27話


 遠くに重なり線を書く峰筋が淡く白んできた。もうすぐ朝日が昇るのだろう。


「あの山を越えたら清国がある」


 琰慈は山の向こうを指さした。


「これから芙蓉殿が暮らす国だ。奏国と比べると豊かでもなければ、安定した気候でもない、文化も違う。不便が多いとは思うが後悔はさせないつもりだ」

「楽しみです」

「……やはり、敬語はやめてくれないか?」


 むず痒そうに琰慈は「タメ口で頼む」と懇願する。


「立場が違いますから」

「立場は同じはずだ」


 その意味が分からず芙蓉は首を傾げた。相手は清王で、自分は公主付きの侍女。仮の名であっても殿とつけるだけでも不敬に当たるのに対等な立場とは?


「芙蓉殿は月娟殿の姉君。王族なのだから」


 芙蓉は息を飲む。否定しようと口を開くが琰慈の真っ直ぐな目を見て、言葉を喉奥に押し留める。


「……どうしてそう思ったのですか?」

「奏国にとって双児は嫌忌の対象だ。先に生まれた方を処分するのが通例だと聞いている」

「それは昔に改正されました。今は処分されたりしません」

「長年子に恵まれなかった皇后が待望の妊娠。しかし、生まれたのは双児だ。改正されたとしても人々が好奇の目で見て、忌避しようとするだろう。公主として生きるよりも、庶民として生きるほうが子のためだと母なら考えるはずだ。皇后は産婆であった芙蓉殿の義母に娘として育てて欲しい、と頼みこんだのでは?」

「その考えは違います。私は汪景貴と梅鈴が娘、芙蓉です。月娟様は私が守るべきお方であり、大切な主人。姉妹など恐れ多いことです」


 芙蓉は冷や汗をかく。


 ——なぜ、知られているのだろう。


 黙っていた秘密を、なぜ清王に知られている。これを知っているのは皆、口が硬い者ばかりで他言はしないはずなのに。


「俺の間者さ」

「間者?!」

「別に寝首をかこうなんてことはしない。俺は奏国と争うつもりは毛頭ない。ただ、純粋に同盟を結びたかったが奏王は難色を示してな……なにか手はないかと情報を探るために送ったんだ。彼女から皇后は腹の具合から恐らく多胎児を妊娠していると報告があった。しかし、生まれたのは月娟殿ただ一人だったので気のせいかと考えていたんだが」


 言葉を区切り、琰慈は芙蓉を見やる。とても優しい目つきだ。


「主従以上の二人の関係を見て、二人は姉妹だと感じた」

「それで私を脅すのですか? 周囲にバラされたくないのならタメ口をきけ、と?」

「いや、命令はしない。ただ、立場が対等なのだから敬語を使う必要はない、と言いたいだけだ。芙蓉殿が王族のままなら、その……俺の花嫁は月娟殿ではなく、芙蓉殿だったわけだし……」


 はちゃめちゃな言い分に頭痛を覚えた芙蓉は眉間を抑えた。墓まで持っていくと決めた秘密を暴いてまで望むのが敬語を外せという不可思議な頼みに頭痛を覚えるなという方が無理な話である。

 そんな芙蓉の心中を察していない琰慈は照れながら視線を左右に忙しなく動かし、


「それでだな、もし、芙蓉殿が嫌ではなければだな……」


 もごもごと小さな——耳がいい芙蓉でなければ聞き取れないほど小声で話はじめる。


「俺の妃になってくれないか?」


 またしても不可解な頼み事だ。


「……私達、侍女は独身から選ばれます」

「ああ、知っている」

「表向きは母国に帰れなくても悔いなく公主に従事するために。裏向きには清王のお手つきとなってもいいように。それが主人の夫である貴方のならば私は従います」


 琰慈はむすっとする。


「これは命令ではない。俺は芙蓉殿の意見を聞きたい。芙蓉殿は俺のことをどう思っている?」


 少しの思案の後、芙蓉は答えた。


「私も、琰慈殿を慕っているのだと思います」


 最初はいけすかないと思っていたが途中からその評価は反転した。琰慈を見ていると安心感を覚え、頼りたくなってしまう。この感情に名をつけるとしたら恐らく、恋心とでもいうのだろう。

 思ったことを意のままに伝えると琰慈は期待に満ちた眼差しで芙蓉を見つめながら、言葉の先を待つ。


「けれど、貴方は主人の夫となるお方。私が懸想していい相手ではありません。それが命令でなければ私は今の立場のままでいたいと思っています」


 琰慈はがくりと肩を落とすと、くしゃりと顔を歪めた。見るからに落胆した様子を見せたが「いや、まて」と呟き腕を組む。

 ううん、と何やら悩ましげに唸っているな、と芙蓉が思っているとぱっと顔をあげた。


「芙蓉殿は俺が好き。俺も芙蓉殿を愛している。ならばもっと俺を好きになって貰えばいいだけだ」


 朝日が登る。眩い光の中、琰慈は宣言した。

 それがどういう意味か芙蓉が問う前に腕をひかれ、自分より遥かに逞しい体に抱きしめられる。布越しに感じる体温に頬を染めつつなんとか抜け出そうともがくが琰慈は腕の力を緩めない。


「これからはずっと一緒にいられるからな」


 耳元で囁かれた言葉に、芙蓉はいずれ自分が負けを認めるであろう未来を悟った。


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