第16話


 風が吹くと迷路の様に入り組んだ通路は泣き声をあげたように音を轟かせる。手に持つ燭台の灯りが激しく揺れるのを見ながら、ジュダルは小さくほくそ笑む。


 ——これで上手くいく。


 小さく喉を震わせると手に持つ薬草と衣服に視線を落とした。

 セルクは薬事に特化した面もあり、王族だったジュダルも幼い頃から薬学を叩き込まれていた。その為、多少なりとも薬事関係に精通している。この山で自生した物を集めて乾燥させたこの薬草は解熱剤作用がある。煎じて飲ませればきっとあの侍女もよくなるはずだ。

 衣服トーブは故郷、セルクから追放された際に父王から餞別に渡された物だ。大国で起こした息子の不祥事に父は怒りに歪んだ顔でジュダルを殴った。それでも愛情はあるのか、最後は何かを耐える顔でこれを渡した。もう着ることはない、と木箱の一番奥に仕舞われた故郷の衣装は燭台の灯りに照らされ鈍く光を反射した。やや埃っぽいが我慢して貰うしかない。女人の衣服はない為、毛布を持っていこうと思ったがあの侍女は月娟の大切な人間。くたびれた毛布よりもきちんとした衣服の方がいいだろう。


 ジェダルにとって月娟の侍女——芙蓉の存在は邪魔だった。


 このまま手当しなければ、すぐに死んでしまう。生来、我慢強いのか顔には出さないが、雨に打たれ、長時間歩いた事で体力も限界に近い。正直、このまま死んで貰った方が逃亡の足枷がなくなるので嬉しいがそうはいかない。

 こうして甲斐甲斐しく世話をし、優しくするのは一重に月娟が求めるからだ。恐らく、月娟の行動理由の最たるものは公主としての矜持きょうじではない。芙蓉と共にいる事だ。

 ジュダルが食客として奏国を訪れた際、芙蓉は侍女でも女官でもなかった。その名前を聞いた覚えもないし、二人には血の繋がりもないはず。なのに何故、二人はお互いをあそこまで大切に思うのだろうか。


 ——優しくするしかない。


 大変、不本意だが。

 月娟が望むのならばそれを叶えなければならない。

 ジュダルが芙蓉を無下に扱えば、月娟からの信用は地に落ちる。否、地底深くまで落ちてしまう。

 そうなればこれから訪れるであろう明るい未来が灰色になる。明るい未来のため、ジュダルは優しくするしかない。


 ——面倒だな。あんな女、死んでしまえば楽なのに。


 そう考えていると鉄の扉に辿り着いた。いつもの通り、閂を開け、扉を開こうとした時、


「開けないで!」


 甲高い叱責が飛ぶ。月娟の声だ。

 驚いた声音に何故だ、と勘ぐるが、嫌われたくないのでその声に従い扉を占めた。

 扉越しで布が擦れる音がしたと思ったら、数秒後、困り顔の月娟が顔を覗かせた。


「ごめんなさい。芙蓉の服を脱がせてたの。濡れたままだと風邪をひいちゃうから」

「そう、ごめんね。これ、服と薬持って来たよ。薬は着替えが終わったら煎じるから先に着替えさせて」


 衣服を手渡せば、月娟は嬉しそうに頷く。

 初めて見せてくれた笑顔に頬が綻ぶのを自覚しながらジュダルは小首を傾げた。


「着せ方、分かる?」


 渡したのは奏国や清国の衣装とはまったく違う砂漠の服。構造も全く違う。筒状のものなので顔を通せばすぐ着用できるが、それを着慣れていない月娟達が分かるのだろうか。

 月娟は衣装を広げると全体を見渡して首を捻った。


「こっちの穴で頭を通すんだ。ここは袖で、こっち側の面が前に来るように着替えればいいよ」


 簡単に説明すると月娟は頷いた。


「ちょっと、試してみるわ」

「ここで待っているから終わったら呼んで」

「ありがとう」


 月娟は踵を返すと扉を占めた。扉を挟んで、二人の話声を聞きながらジュダルはこれからの事を考えた。


 体力の無い月娟と手負いの芙蓉を連れて逃げるのは困難だ。もし逃げれてもここにはいられない。遠くの国に行かなければならない。周囲は奏国と清国の同盟国。そこに逃げるのは自ら捕まりに行く様なものだ。遠くに逃げるには準備もいるし、二人の体力の回復を待たなければ。


 ——あの傷なら六日程あれば大丈夫だろう。満足に動けるようになるには一ヶ月ほどか。


 ならば、その期間は迷宮で芙蓉の怪我が癒えるまで待つしかない。体格も良いあの男達には、崖にできた狭い亀裂がこの迷宮の入り口と思わないはず。今頃、近くにある間抜けな山賊どもの住処でも襲っているに違いない。


 輿入れ行列が襲われた、と双方に使いを出しても馬を全頭殺された今、走り続けても二カ月はかかる。一ヶ月弱はここでゆっくりできるだろう。


「ごめんなさい。終わったわ」


 扉から顔を覗かせた月娟はぎこちなく微笑む。ジュダルに対する恐怖は残っているようだが先ほどよりも幾分か表情は柔らかい。側に侍女がいるからだろう。

 大切な人の笑顔を見れて嬉しいと思う反面、それが自分に向けられたものでは無いと知るとジュダルの心にふつふつと怒りが湧き出てくる。

 それを押し堪えて、顔に笑顔を貼り付けた。


「着方、分かった?」

「ちょっと手こずったけれど、どうにか」

「入ってもいい?」


 月娟は快く頷くと扉を開けてくれた。


「やあ、芙蓉。怪我の具合はどう?」


 部屋に入りながらジュダルは芙蓉に問いかけた。

 芙蓉は手渡された衣服に着替え、地面に横になっていた。先ほどまで着ていた衣服は乾かすために椅子の背に干すように置いてある。

 芙蓉はジュダルを見ると急いで起き上がろうとした。それを片手で制し、ジュダルは人好きのいい笑みを深くした。


「大丈夫です」


 芙蓉は小さく頷くと身体を起こそうとする。それを見て月娟が早足で芙蓉の側に寄るとその背中を支えた。


「月娟様、すみません」


 主人に介護の真似事をさせた、と芙蓉は顔を青くさせ、俯いた。


「大丈夫よ。こういう時は甘えてちょうだい」


 月娟は芙蓉の肩に手を置いた。


「貴女はもっと他人に甘えてもいいの」

「甘え過ぎていると自負しております」

「まだ足りないわ。もっと甘えてもいいわよ」


 目の前で楽しげに繰り返される会話に、ジュダルは顔を歪めた。

 大人気ないとは理解しているが邪魔するためジュダルは芙蓉の名を呼ぶと左肩を指差した。


「その怪我の薬作るけど苦いの平気?」

「ええ」

「見た感じ、頭痛と熱、あとは吐き気だと思うけど他に気になる事ある?」

「最初は耳鳴りもしてたけど、今はだいぶ落ち着いてます」


 淡々と芙蓉は返事を返す。

 それを尻目にジュダルは薬を煎じる準備に取りかかった。

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