6 - カツテ滅ビタ世界ヘ

「……そんなこと、可能なんですか」

「言っただろう。準備をしてきたと。多く制約こそあるが、可能だ」


 身体を取り戻したい。失った本物リアリティを取り戻したい。そう思ったのは本当だ。そこには一片の狂気も、迷いも存在しない。

 だが、目の前のこの老人の――老慎ラオシェンの言うことはあまりに唐突で、それ故に荒唐無稽に思えた。


「私は管理AIの目を盗んで〈庭園ガーデン〉から地上へとアクセスし、収集サルベージ用の無人機ドローンを製造してきた。おかげでこうして厳重に自らを隠匿し、隠れ潜まなければならなくなったが既に目的は達成されている。あとは肉体へと戻るデータを見つけるのみだった」

「ちょっと待ってください。あまりに唐突過ぎる。そもそも地上へアクセスすることなんて可能なんですか……」

「管理AIに敵対行動と判断される点で困難だがね。――考えてみるといい。管理AIは高度10000メートルに散布された分子計算機ナノコンピューター群である〈庭園ガーデン〉を冷却し、周辺にオゾンを生成することで物理ハード的にも維持しているのだ。同じやり方で、地上の機械にアクセスすることは不可能ではない」


 理解はできた。だが僕の納得は置き去りに、老慎ラオシェンが話を先へと進める。これまで深く慎重に対話を重ねようとしていた老慎ラオシェンは何かを急いでいるように見えた。


「無人機を使い、動物性たんぱく質を始めとするを集める。戦前より設立されていた次世代ヒト持続センターより精子と卵子のサンプルを入手し、これを複製する。あとはリソースが尽き、リセットが行われるであろうタイミングを推測し、そこから逆算して人工の受精卵を製造した。あとはするまでの物理時間をやり過ごすのみ。そして既には完成している」

「そこまでのことを遠隔で……」

「本来ならば一人で出来ることではなかっただろう。だが幸い、〈庭園ここ〉に流れる時は物理時間を遥かに圧縮したものだ。その悠久の全てを費やせば、そう難しいことではなかったよ」


 老慎ラオシェンは今度こそ笑みを浮かべた。一片の曇りさえない白の双眸は、間もなく成就する大願を前に達成感に満ちている。


「本気、なんですね……」

「当然だ。もちろん強制するつもりはない。だが時間はない。君が首を縦に振ってくれるのであれば、これほどに喜ばしいことはないよ」

「何故、僕なんですか?」

「まず〈庭園ガーデン〉での暮らしに疑問符を抱く者でなければならなかった。死という観念が薄まったこの場所で、迫る終わりに確かな違和感を抱ける者でなければね。そして優れた小説家ストーリーメーカーであること。これは偏に、舞い戻った地上で我々が生きていたということを、伝えられる人間でなればならないからだ」


 老慎ラオシェンは語る。おそらくあの小説のリンクは、可能性がありそうな作家の元へと送り込まれていたのだろう。そして僕は老慎ラオシェンの狙い通りに辿り着き、見出されたのだ。


「酷な二択だろう。ただ一人、確かな本物を求め、その果てに死ぬか。愛する者や共にこの300年を生きてきた者たちと世界の終末を迎えるか。選ぶ権利は君にある」


 老慎ラオシェンは僕に選択肢を突き付ける。僕の脳裏には一瞬、春美チュンメイの笑顔が過ぎった。


「一つ、聞いてもいいですか?」

「もちろんだ」

「僕が、いなくなったあと、終末リセットまでの世界はどうなるんですか? いや、正確には、僕がいたという記録は?」

「それも消えることになる。何かがいたという記憶は残るが、それが誰だったのかまでは参照できなくなる。再複写することによって君のデータは痕跡に至るまで完全に消失し、地上に用意された肉体に書き込まれる。それが技術的な限界だった」

「なるほど。誰の記憶に留まることもなく、僕は貴方たちの記録を描き続ける。……そういうことですか?」


 老慎ラオシェンは頷いた。

 不思議なことに、僕にはそれほどの迷いはなかった。目の前にぶら下げられた真理への鍵を前にして、それ以外の全ては儚く霞んだ。

 僕は狂っているのだろうか。

 どちらでもいいことだったが、もし答えるならば僕はこう答える。

 狂っているものなんてない。それはきっと、求めたものの違いでしかないのだ。


「分かりました」


 老慎ラオシェンへ向けた決意は簡素だった。僕はいつだったか甘栗を買ったような気軽さで、偽りの楽園から消え去ることを承諾した。

 そんな僕に老慎ラオシェンは首を折って礼を言った。


「ありがとう」

「いいんです。僕にも、貴方たちにも、この〈庭園ガーデン〉に生きる全ての人にも、物語ストーリーは必要ですから」


   †


 それから老慎ラオシェンはすぐに僕を再複写する準備へと取り掛かった。

 まずは巨大なデータの塊である〈庭園ガーデン〉から〝桃山龍平タオシャンロンピン〟という僕個人を明確にする作業が必要だった。

 とは言え、僕にできることはなかった。

 僕は老慎ラオシェンの小屋へと留まり、何をするでもなくぼんやりと座っているだけ。その間、別の箱へと移動し何かを体験することはできなかったが、今更偽りの体験を積み上げても虚しいだけなので僕は退屈を呑み込んだ。

 僕は退屈しのぎに、再複写先である肉体について老慎ラオシェンに訊ねた。

 地上の肉体は受精から4105780023秒(物理時間)が経過しているらしい。本来、胎内にいる時間を差し引けば肉体はおよそ12才程度ということになる。確認できている性別は男。人種についてはサンプリングの際の遺伝子が無数にあったために不明だそうだ。

 300年も生きてきた僕が12才の少年の肉体に魂を宿すというのは、それこそ小説の話のようで現実感が薄かった。

 ちなみに老慎ラオシェンには地上の環境についても確認した。再複写して肉体を取り戻したところで、地上が人間にとって生存できる環境でなければ意味がない。

 老慎ラオシェン無人機ドローンを使って調べられた限りでは、人類は絶滅していないらしい。300年前のあの日、滅びゆく地球と心中することを選んだ人々はしぶとく、生き延びているらしい。

 当然、地球にはまだ多く生存不能領域デッド・ゾーンが残っているらしい。南半球から赤道付近まではほとんど壊滅状態で、人が生存できるのは北緯40度以北が中心となっているらしい。

 肝心の僕の身体は旧中国の内モンゴル自治区内の廃棄施設にあるらしく、最寄の集落までは極寒の荒野を120キロほど北上しなければならないらしい。しばらくは施設での筋力回復が必要そうだった。

 退屈を貪る以外にすることがないまま、僕は老慎ラオシェンの作業を待った。



 そしてある時、熱帯林の小屋にフイが訪れた。


【こんにちは、ミスター桃山タオシャン


 話しかけられたが反応に遅れた。久しく老慎ラオシェンと声を用いての会話しかしていなかったので、本来の速度に戻された呼びかけににわかには応じられなかったのだ。


【どうも、フイさん】

【ミスター桃山タオシャン、貴方に来客があるのですが通しても?】

【来客? 一体誰が?】


 フイが答えるより早く、その肩越しに姿が現れる。僕に拒否権はなかったのだろう。にこやかで強引なフイは、僕の苦手なタイプの人間だった。


【久しぶり】


 現れたのは春美チュンメイだった。おそらくフイへと繋いだのは配当屋ディーラーだろう。

 僕は目を見開き、困ったように作業中の老慎ラオシェンを見る。視線に気づいた老慎ラオシェンは僕に頷く。僕は春美チュンメイへと向き直り、声で告げる。


「……久しぶり。少し、話そうか」


   †


 僕らは小屋から離れ、どこへ向かうでもなく熱帯林を歩いた。

 言葉はない。歩くたび、踏まれた枝が折れて葉が地面へと沈んだ。どこか遠くで小鳥の囀りが響いている。

 やがて大きな倒木があった。根が腐って倒れたという設定らしい。僕らはそこに、少し間を開けて腰かけた。

 腰を落ち着けて尚、僕らの間に言葉はなかった。時折吹く湿った風が人一人分開いた隙間を抜けていく。

 僕は気になって春美チュンメイを見やる。表情はいつもと変わらなかったが、纏う空気はどこか物憂げに感じられた。それが僕の見方の変化なのか、薄暗い熱帯林という環境がそう思わせたのか、分からなかった。たぶんきっと、これが罪悪感というものなのだろうと思った。

 僕は世界ガーデンから消えるつもりだった。

 ここでの生活の、ほとんどの時間を共に過ごしてきた春美チュンメイに、何一つ告げずに。

 老慎ラオシェンは僕に言った。

〝再複写することによって君のデータは痕跡に至るまで完全に消失し、地上に用意された肉体に書き込まれる〟――つまりそれは、春美チュンメイの記憶からごっそりと僕との思い出が抜け落ちるということを意味する。

 それがどれほどの喪失を伴うかを想像するのは、僕でなくても容易い。

 これはきっと、春美チュンメイに対する明確な裏切りだ。僕は春美チュンメイとともに一つの時代の区切りを迎えるのではなく、自分の欲求を満たすために世界からいなくなるのだから。

 少なからず後ろめたかった。だから僕は、やがて消える空疎な思い出はこれ以上増やすべきではないと自分を正当化し、黙って消えることに決めたのだ。


「ごめんなさい」


 長い長い沈黙のあと、春美チュンメイはそう言った。謝るべきは君じゃないと、僕は言えなかった。


龍平ロンピン。貴方がどこかへ消えてしまうような気がして、居ても立っても居られなくなったのよ。本当はこういうカッコ悪いところ、見せたくなかったのだけど」

「気にしてないさ。僕の説明不足だった」

「新しい作品に向けてのお仕事なんでしょう? 大丈夫。言わなくたって、これが必要なことだって分かってる」


 僕を見つめる春美チュンメイの肩が小さく震える。首を縦に振ってくれ。春美チュンメイの縋るような視線がそう言っていた。


「ああ」


 僕は春美チュンメイの願いを受け止める。そうしなければ、春美チュンメイは今この瞬間にも壊れてしまいそうなほど脆く見えた。


「そうだ。これは、新しい作品のために、必要なことなんだ」


 嘘ではない。僕は地上で、僕にできる限りの言葉を尽くして、11億もの人々が生きていた証を記し伝えなければならない。

 だがオブラートに包んだ言葉で本意を隠し、春美チュンメイの真摯な思いを騙すようなことはしてはならないと思った。


「だけど、それをのはここじゃない。……ここじゃないんだ」

「ここじゃないって、じゃあどこなの……」

「僕は地上へ戻るんだ。遠隔で成長させられた肉体が地上にある。そこに、今の僕を再複写する。そこで、この300年の物語を書くんだ」


 僕は春美チュンメイが泣き叫ぶと思った。春美チュンメイは惜しげなく感情を露わにする方だった。哀しければ遠慮なく涙し、楽しい時は弾けるように笑う。何もかもが希薄な〈庭園ガーデン〉で、そんな春美チュンメイは僕の目に眩く映った。

 だからこそ、僕は馬春美マーチュンメイという女性に惹かれ、彼女を愛した。

 しかし春美チュンメイは泣き叫ばなかった。本当は吐き出したい色々な感情を呑み込んで、両の瞳に涙を浮かべながら彼女は微笑む。


「そう、なんだ。応援してる。私はいつも龍平ロンピンのこと、応援してるから」

「ありがとう。僕はたぶん、君と出会えたから今まで物語を描き続けてこられたし、そしてこれからも書き続けていける。――だから書くよ。君と僕と、この楽園で確かに生きていた人々の話を」


 僕はもう春美チュンメイの表情に、不和を感じはしなかった。


   †


 それから間もなく、老慎ラオシェンの作業は完了し、僕の再複写の準備が整った。

 僕は物理時間8799507581秒ぶりに、地上へと舞い戻った。

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