骨化

一条 灯夜

プロローグ

第1話

 夏休みとはいえ、人里離れた山奥ではクーラー無しでも充分過ごせる。川の水面をなぞるように吹き抜けた風が、俺をすり抜けて背後の木々の梢を揺らしていた。

 一瞬の静寂、そして、再び鳴り響いた山全体に木霊するような蝉の声。

 手入れされていない深い森なので川沿いを外れれば歩けたもんじゃないが、その分、巨木の梢のおかげで木陰が広く河原まで張り出していて、十二時少し前の今でも日差しのきつさをあまり感じなかった。


 ナタで切ってきたその辺の竹と、手持ちのテグス、釣り針で適当に作った手製の釣竿を、川の対岸の岩場目掛けて振る。

 ……ナイスコントロール。

 釣りの餌は、その辺の岩場にいたヤゴだ。なにが釣れるのか……いや、果たして本当に釣れるのかは不明。まあ、なにも釣れなければ、これまたその辺の岩場で確保したザリガニでも適当に焼けばいいか、と、安易というか気楽に構えての食料調達だ。

 手頃な乾いた岩の上で胡坐をかき、竿をちょっと振ってみたり、引いてみたりする。手応えは変わらない。

 普段なら、ボーッとしているのは嫌じゃないんだが――テレビもスマホゲームも勉強も、いまひとつ興味を抱けないし――、今はどうにも緊張感が抜け切れなくて、少し気が急いてしまう。

 ……熊とか、手掴みで魚取るし、俺も出来るんじゃないかな?

 そんなことを考え始めた矢先だった。木の枝とは別の影が、俺の額に掛かり……。

「セァッ!」

 俺の脳天目掛けて振り下ろされた踵落としを、上体を左に傾け、右肘で突き返す。

「フグッツ⁉ ……ッツ~。いった~い」

 従姉妹の若菜が、河原で小石も気にせずに転がっていた。右に二回転、左に一回転、最後に右ひざを抱え蹲った。そしてそのまま立ち上がりもせずに、恨みがましい目で俺を見ている。

「アキレス! アキレス腱きた! 匠、踵のカウンター外してる!」

 ふむ、と、俺は腕組みして考えた後、竿を握りなおし――。

「服、汚れるぞ?」

「ちっがうし! 誰がそんなの気にしろっていった!」

 しかし、悶絶していたわりには引き摺るほどのダメージでもなかったのか、若菜はスッと立ち上がり、しかめっ面で俺に詰め寄ってきた。歳のわりにささやかな胸を隠す灰色のスポーツブラが、汗で軽く透けた白いTシャツ越しにはっきりと見えた。

 むーん、と、色々な意味で唸っていたところ……。

「お? 掛かった!」

「話を聞け!」

 竿が引いている。慌てて両手で握り直し、クイッと引き上げる。いかにも川魚って感じの魚が掛かっていた。

 多分、岩魚かなんかだと思うけど、俺には判別できる知識が無い。魚影が、水面から空中へと飛び上がった。

「へ⁉」

 思いっきり竿を引いた反動で、魚が若菜の方へと飛んでいったが、流石に若菜もそれにぶつかるような運動オンチってわけではない。冷静に軌道を見極め、放物線を描いて自由落下に入った魚を……そのまま河原に落下させている。

「ちゃんと取ろうぜ」

 色々な意味で可哀想な魚を拾い上げ、川で濯いで魚篭に入れる。

「匠って、さ。マイペース過ぎて、どっかムカつく」

 目を瞬かせて若菜を見る。

 腕を組み、やや頬を膨らませた同じ十五歳の従姉妹。


 改めて若菜について考えるならば、身体つきは引き締まっていると言える。と、思う。多分。胸なんかも全然ないし、実践武術をやっている都合上、余計な筋肉もつけていない。顔の作りは今風と言っていいのか分からないけど、整ってはいるのかな? 髪型はスポーツ少女に多い刈り上げじゃなくて短めのボブだし。髪色は、春休みに薄いブラウンの一日髪染めとか使ったみたいだったけど、両親に折檻されたとかで翌日からは黒に戻っていたな。まあ、どっちの色でもあんまり違和感はない。強いて言うなら、黒髪の方がどっか重そうというかきつそうな印象になる顔立ちだけど。

 ああ、後、普段着は普通に若い娘のファッションをしている。……俺と違って。

 翻って俺自身についてだが……、若菜曰く、中身は八十過ぎのおじいちゃんだそうだ。まあ、別に否定しないけどな。流行りものに興味もなければ、電子機器にも疎い。服も、動きやすければ別になんでも良いんだし――もっとも、中三になってもあんまりジャージとデニムだったので、最近では若菜に見繕われているけど。

 そして、俺と若菜は同い年ではあるものの、学区の関係上、別の中学に通っている。まあ、そこは些細な問題だろう。


 うう~む、と、俺は難しい顔をして若菜を見詰め返し……。

「昼は、各自自由にしようか」

「ゴメン、言い過ぎた」

 俺が言うやいなや、即座に頭を下げた若菜。

 いつもの遣り取りといえばそうなんだけど、若干、これで良いのかな、とは思わなくも無い。脅迫するようなやり口は、なんというか、歯になにか挟まったような感じが残る。とはいえ、若菜のムカつくを丁寧に受け取っていたらコッチの身が持たないのも事実だが。

 一日に、何回俺にムカついているんだろう? この従姉妹は。

 機会があったら数えてみようと思う。が、数えているのがばれたら、今度はキレられそうなので怖い。

「若菜、枯れ木で火をおこしといて」

「ういうーい」

 食事が懸かっているからか、素直に適当に河原の石で竈を作り、枯れた針葉樹の落ち葉にライターで火をつけている若菜。後は、小枝、充分な太さの薪と燃やすものを変えていくだけ。

 若菜の火の準備が終わった段階で、コッチの食材の下拵えが遅れているとまたムカつかれてしまうので、俺もいつまでも若菜を見守ってないで、手早くさばきはじめる。

 泥抜きしていないので、ザリガニは尻尾側の部分を素手で引き抜き、殻をむいて、黒い腸管を取り除き――。

「正しい調理方法だって分かってるけど、なんか……」

 火が充分に大きくなったのか、肩越しに俺の調理の模様を見ていた若菜が、若干引いた声を上げた。

「ん?」

 流石に料理している際には危ないので不戦協定が結ばれている。なので、今だけは近くに寄られても安心して大丈夫だ。

 鼻を鳴らして返事しながら、出汁をとるために、まだ鋏や触角が動いているザリガニの上半身を真っ二つにして鍋に放り投げる。

「女の子に配慮しろ」

「してるだろ。食えるモノを作れない若菜に代わって、山篭りの訓練の時には俺が料理してるんだから」

 昔からずっと一緒に過ごして来た。こうして二人で山に訓練に来るのも、同じ回数をこなしているのに、なぜか若菜の料理の腕だけが上達していない。

 いや、原因は分かってる。

 今でこそ男女の差があるものの、小学校低学年の頃は若菜の方が体格が良くて勝ち星が多かった。雑用の年季が違う。誇れるようなことではないかもしれないが。

「……そういう意味じゃないし」

 拗ねたように口を尖らせた若菜に、冗談のつもりで言い返してみる。

「そうなのか? なら、叔父さんに若菜がまだ料理を覚えていないことを――」

「はいはい! 私が悪ぅございました!」

 軽くからかったつもりなのに失敗してしまった。若菜は、俺が本気の時は冗談にしか聞こえないと言い、冗談を言えば真に受け止める。いまいち上手くいかない。

 若菜に聞こえないように嘆息して作業を進めると「花嫁修業、ね」なんて、ポツリと若菜が呟く声が聞こえて来た。

 ……俺に聞こえてしまったのに気付いたのか、あ、と背中の方から声が聞こえてきたけど、それ以上はなにも言われなかったので、俺も無かったこととして、フキを中心にした山菜汁――まあ、春が旬なものが多いので、育ちすぎてる感も否めないが食えないことも無い――の準備に入る。

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