第4話 第一部 義滋 第三章 主家簒奪

          (一)


 上村うえむら頼興よりおきは、人吉城ひとよしじょうの縄張り内に与えられた館の奥で、独り庭を見ながら座していた。

 夕暮れというには、もう陽が落ち過ぎたほどの刻限だが、灯りも求めず、薄闇の中で、かげを濃くしていく庭木を眺めていた。

「直接に加担した者だけではいかぬと申すか」

 ぽつりと、頼興が言った。お家に背き、この動乱の原因を作った相良さがら長定ながさだは、筑後へ追われた。長定に代わり得た瑞堅ずいけんももういない。残るは、人吉城奪還戦において長定に手を貸した犬童いぬどう長広ながひろと、前主長祇ながまさ殺害のための兵を出した犬童匡政くにまさだけのはずだった。

「はい……」

 誰もいないと思われた庭のほうから、低く女の声が応えた。

草穀そうこくの陰に隠れたる犬童のすえが、上村様ご一族の繁栄に害をなすと、そう占いに出ておりまする」

 よく見れば、尼僧姿の者が庭の隅に控えていた。闇の中で、頭を覆う頭巾の白い色だけがぼんやりと浮き上がって見える。

卜占ぼくせんか」

 珍しく躊躇ためらうように、頼興が呟いた。

「お信じになりませぬか」

 頼興は黙したままだった。静かな、しかし冷え冷えとした尼の声が、強い咎め立てに聞こえたのだ。

「長定のこと、義滋よししげ公のこと、瑞堅のこと、そして日向ひゅうが北原きたはらがこと、全て占うた通りにございましたろうに」

「……それは、判っておる」

「この尼の占いを信じたことで、上村様は三郡をお手に入れられた」

「滅相もないことを。ここは、相良義滋様のご領地ぞ」

 叱った頼興の声音は、弱々しいものだった。

「その義滋様は、殿様のお許しがなければ、何も御自分ではお出来になれますまい」

 豪族の所領を安堵あんどするような書状までが、今は義滋と頼興の連名で出されている。下の者から見れば、三郡を実質的に取り仕切っているのが誰かは明白であった。

「もはやこの尼の占いなど用無しと申されるならば、それもよろしゅうござりましょう。なれば、わらわはここを立ち去るのみ」

「いや、それは……」

 一領を牛耳ぎゅうじるまでになった男が狼狽うろたえていた。その様子を、尼僧は目の隅で冷徹に観察していた。

 ――今は逡巡しているものの、結局はこちらの言うた通りになそう。

 槃妙尼はんみょうにと名乗っている女は、改めてそう確信した。

――この体、旅の途中で病に行き倒れた巫女みこのものであったが、あなどれぬほどの霊力を備えた者であった。熱で錯乱し、命が燃え尽きるほどに衰弱していなければ、乗っ取ることなど叶わなかったであろう。この体を得ることが出来たことこそ、本当の幸運だ。

こたびの占いも、巫女の霊力を借りて得たものだった。ただ、犬童の末裔が仇為あだなす先だけは、目の前の男にいつわって伝えている。

――結局この男は、言われた通りにやる。大願成就たいがんじょうじゅまで、あと少し。

槃妙尼は、下げた頭の陰で目だけを濡れ濡れと光らせていた。


 謀叛に加担した犬童長広へと向けられた上村の軍勢は、簡単にこれを平らげた。領地に戻ってよりやまいがちとなり、床に臥せていることの多かった長広には、もう上村の軍勢を退けるだけの気力はなかった。

 長広の首を挙げた上村の兵は、次に長祇殺害に直接手を下した犬童匡政を目指す。抵抗を断念して逃亡を図った匡政親子は果たせずに捕らえられ、八代やつしろ中島なかじまで斬罪に処せられた。

 上村頼興による犬童一族粛清は、これだけでは終わらなかった。長定の謀叛に直接加担しなかった者にまでも、その手が伸ばされたのである。頼興は、自身の弟長種ながたねに、湯浦城ゆのうらじょうの犬童重良しげよしを討伐させた。重良親子は一旦は津奈木つなぎへと逃れるが、やはり捕まって殺害されている。岡本おかもとの犬童治部大輔じぶたいふも成敗された。小雪の舞う中、人の絶えた原野を、狂った老女の笑い声のような風が吹き渡っていった。

そして、一族で最後に残ったのが、木枝城きのねじょうの犬童美作みまさかであった。

 

 人吉城の義滋より遣わされた使者の一団が着いたと聞いて、犬童美作は覚悟をきめた。美作自身は長定の造反には一貫して批判的であり、一族の長である長広からは距離を置き続けてきた。

 しかし、己の身がたすかるものでないことは、同様の立場をとってきた重良親子がどうなったかを見れば明らかだ。

 ――こうなれば、せめて見苦しいまねだけはすまい。

 それだけが、美作が最後に見せられる意地だった。

 使者より示された義滋の下知は、やはり美作に死を賜るというものだった。全ての書状に主君と並んで連署する上村頼興の名が、こういうときだけ記されていないことに興を覚えながら、美作は慫慂しょうようと腹を切った。

 城主の自刃を見届けた正副二人の使者に、座をはずしていた下僚が近づいた。

熊徳丸くまとくまるの姿が見えませぬ」

 下僚は、使者二人だけに聞こえる小声でささやいた。熊徳丸は切腹して果てた美作のただ一人の遺児である。無用の混乱を避けるため、美作が腹を切ってから殺す手筈になっていた。

「館に居るはずではないのか」

「探させはしておりますが……」

「誰ぞ連れ出して逃がしたか」

「厳しく見張っておりますれば、城の外へ逃れ出たとも思えませぬ」

 使者につけられた仰々しいほどの従者の数は、そのために用意されたものだった。

「まあ、よい。たとえ城外に出られたとしても、そうときを掛けずに捕まるはず」

 使者は、互いに頷き合った。それなりの威勢を誇っていた犬童匡政も重良も、結局は逃亡の途中で捕まっている。こたびの相手は、頑是無がんぜない赤子一人だ。せいぜい、美作の郎党が一人か二人ついているだけだろうと思われるからには、逃げ切れるはずもなかった。

 しかし、城の中から熊徳丸は見つからず、何日経っても捕らえたとの報せも入ってはこなかった。この件は上村頼興まで報告が上がったが、内心いくばくかの後ろめたさを感じていたのか、頼興はただ聞き流した。

 犬童美作が生害した木枝の城下では、深編笠ふかあみがさで顔を隠した雲水が赤子を抱いて、いずこかへ風のように去っていったとの噂が流れたが、人吉から来た役人の耳にまで風聞が伝わることはなかった。


          (二)


次に上村頼興が採った手立ては、主君義滋と周辺の有力氏族との間で婚姻関係を結び、弱体化した相良のお家と領地を外側から補強することだった。頼興にとって都合のよいことに、これよりわずか前に義滋夫人の豊永とよなが氏が病没していた。

 義滋は夫人と立て続けに、ただ一人もうけていた男子も亡くしているから、たまたま時期が重なっただけではなかったのかもしれない。

 頼興が義滋の後閨こうけいに入れたのは、宇土うと(八代海の北端、宇土半島の付け根にある町)の名族、名和なわ武顕たけあきの娘だった。これに先立ち、頼興は、義滋が前妻に産ませた長女を阿蘇あそ惟前これまえ嫁入かにゅうさせている。

 名和氏は、鎌倉時代末期に後醍醐ごだいご天皇を配流はいる先の隠岐おきから脱出せしめた名和長年ながとしの末裔であり、阿蘇氏は九州一之宮である阿蘇社の大宮司を代々名乗る家柄である。いずれも新当主義滋の地固めには、またとない血縁であった。


 名和の由利姫ゆりひめは、宇土城近くの小山から海を眺めていた。お付きの女房と衛士は、後ろに控えさせている。

 輿入こしいれの日がすぐそこまで迫っていることが、姫を不安にさせていた。

 ――見も知らぬ土地の、これまで会ったこともない人々の中で暮らす。

 それが当たり前の時代であっても、やはり自分のこととなれば先々のことを考えずにはおられなかった。

 ふと、犬の啼き声がするのに気づいた。甲高い声は、まだ生まれて間もない仔犬であろう。見るともなく眺めていた海から視線を回すと、自分が立つのと同じ斜面の二十間(約三十五メートル)ばかり先に、犬を遊ばせる僧侶の姿があった。

 網代笠あじろがさを被ったまましゃがみこんだ僧侶は、手にした何かを投げ、犬に拾わせている。白い仔犬は、夢中になって投げられた小枝のようなものを追いかけ、咥えて僧侶の下に戻っては、次の投擲とうてきを催促した。

 僧侶が軽く投じた小枝が石に当たって不規則に跳ね、横方向に飛んだ。それを追って駆けてきた犬は、何を思ったか小枝を通り過ぎて姫の足元まで寄ってきて歩みをとめた。姫が屈み込んでも逃げようとしない。

 自分の顔を見上げる仔犬を、姫は抱え上げた。おとなしくされるがままになっていた犬は、寄せられた姫の顔をぺろぺろと舐めはじめた。姫はくすぐったさに無邪気な笑い声を上げる。

「粗相を致させましたな」

 脇から穏やかな声が掛かった。犬を遊ばせていた僧侶である。土埃つちぼこりにまみれた薄汚れたなりをしているが、笠の下の顔はまだ若く、涼やかな目元には気品すら伺えた。

「可愛い仔犬にござりますな」

 姫は、そう言って笑顔を向けた。

「名和の姫君が、このようなところで何をなされておられましたか」

 僧が視線をはずして、静かに聞いた。領内とはいえ城の外、本来であれば胡乱うろん雲水うんすいを警戒すべきはずなのに、由利姫の心の中に、そのような思いは全く湧いてこなかった。

「まもなくとつぐ身なれば、生まれ故郷のこの海を、ただ眺めておりました」

 姫は、素直に相手の問いに答えていた。

「行ったこともない土地の見も知らぬ相手に嫁がれるのは、ご不安か」

 姫は、答えられずに手の中の仔犬をあやした。

「それが当然の心持ちでござりましょうな。姫様、相良義滋公は、お優しいお方にござります」

「義滋様をご存知か」

 こちらを見て問い掛ける姫に、今度は僧侶のほうが返事を口にしなかった。

 僧侶は、海にやっていた視線を姫へと向け直した。ふところから何かを取り出し、姫に差し出す。

「このような卑しき雲水にござりまするが、姫様、ご婚礼の祝いをさせてはくださりませぬか」

 姫は、仔犬を片手に抱いたまま、相手の差し出したものを素直に受け取った。

 二寸四方ほどの、小さな袋であった。目の詰んだ木綿もめん生地きじで、高価なものには見えなかったが、まだ新しい。ひもでとじられた中に、なにかのかたまりが入っているようであった。顔に近づけると、かすかに芳香が漂ってきた。

「香にござりまするか」

 姫が、僧侶に笑顔を向けた。

「香木ではなく練香ねりこうにござります。また、香合わせに用いるような高値こうじきな物でもござりませぬ――が、球磨くまで姫様がお困りになるようなことあらば、お役に立つこともござりましょう」

 由利姫は、相手が何を指して言っているかが判らずにその顔を見つめた。僧侶は、穏やかな眼差しのまま言葉を続ける。

「本当にお困りになったときに、それをわずかに削ってきなされ。香炉を使わずとも、たとえば燭台しょくだい灯台とうだいの火に振り掛けるような用い方でもよろしい。必ず姫様の守りとなりましょうほどに」

 そう言うと、立ち上がって姫の腕から仔犬を受け取った。

「お幸せを願っておりまする」

 笠に手を当てて黙礼し、背を向けると坂道を下っていく。姫は、その背中を黙って見送った。

「姫様。そろそろお城にお戻りになりませぬと」

 振り向くと、お付きの女房が声をかけてきたところであった。後ろに衛士も控えている。その二人を見て、僧侶が何の警戒もされず、姫に近づくままにされていたのが奇妙なことであったのにようやく気づいた。

 僧侶が歩み去ったほうへ目を向け直すと、ゆっくりと歩いていたはずの男の姿はもうどこにもなかった。なだらかな坂は大きな木立もなく、はるか彼方の森のほうまで見渡せるのに、ここに立つ三人以外に人影はない。

 ――白昼に見た夢か。

 そのような気さえしたが、己の手の中にはあの僧侶から手渡された小さな袋が、しっかりと握られていた。


 義滋と名和の由利姫との婚姻の席で、頼興は花嫁の容色に目をみはった。宴席のあいだ中、頼興は己が新郎であるかのように落ち着きをなくしていた。まるで青年のころに戻ったように、心躍らせたのだ。

 花嫁の新居は、なぜか人吉の城内には置かれずに、やや離れた球磨川沿いの別邸とされた。頼興の弟、長種の屋敷のすぐ隣である。由利姫が輿入れする前にすでに用意がなされていたのであるが、すると頼興は、姫の美貌をいつ、どのようにして知ったのであろうか。それより後は、弟の家に足繁あししげかよい、泊り込んで朝に城へ戻る頼興の姿がよく見られるようになった。

 翌年、義滋の新夫人となった由利姫改めお由利ゆりかたは、玉のような男の子を生む。上村頼興は、「これで主家安泰」と、まるで自分のことのように大いに喜んだという。萬満丸まんぷくまると名づけられたこの赤子こそ、後に義滋の後継となった義陽よしひであった。


          (三)


 上村頼興は、筑後ちくごに逃れた相良長定のことを忘れたわけではなかった。国内が一応の安定を取り戻したとの確信を得た頼興は、義滋の名を使い、「旧怨きゅうえんを払拭し新たな国造りをたすけてほしい」との甘言を弄して長定を誘い込んだ。

 自らが行ったことを振り返れば、国に戻ればどうなるか、長定が予測をしていなかったとは思えない。

 事実、長定は帰郷するにあたり、第一子は残して第二子だけを連れて帰っている。それでも戻ったのは、このまま筑後にいても先の見通しが全く立たなかったからであろう。国衆に完全に見離された、領主に成り損なった謀叛人など、どこの国へ行っても持て余されるだけだったのだ。

 長定は、球磨に入り梅花法壽寺こうげほうじゅじに至ったところで捕らえられた。しくもそこは、己がしいした長祇の首を、長定自身が葬らせた寺であった。

 縄を打たれ、寺内の空き地へと引き据えられた長定は、見届けに赴いた頼興をめ上げた。

「これは上村頼興殿。わざわざ御自らお出張りめされたか」

「背いたとはいえ主家の御一族。この老骨ぐらいは顔を出すのが礼儀かと存じましてな」

 頼興は、死を覚悟した囚われ人の迫力にも何ら動ずることなく応じた。後ろ手に縛られた男が失笑する。

「何がおかしいか」

「主家の一族にこの扱いか。お主が内心、義滋がことをどう思うておるか、よう判ろうというもの」

「同じ一族とはいえ、謀叛人とご主君を並べて論ずるつもりはござらぬよ」

 長定がきっと目を据えた。

「頼興。虚言を弄して人を誘い出し、命を奪うような者がどのような末路を辿るか、しかと見ておけ。我は先に等活地獄とうかつじごくに落ち、存分に腕を磨いておこうぞ。後からそなたが同じ道を辿って来るのを楽しみにしておるわ」

 長定の口にした等活地獄とは、八大地獄の中で殺生せっしょうの罪を犯した者が墜ちるところで、そこにいる亡者どもは互いに悪心を抱き、刀や槍で殺し合いをしながら、一陣の風が吹くとまたよみがえって斬り合うことを無限に続ける場所だという。

 頼興は無言で顎を振り、役人に合図した。後ろから肩をつかまれた長定が前に首を突き出す格好になる。

「頼興、待っておるぞ」

 その言葉の終わらぬうちに、処刑人の刀が振り下ろされた。隣では、まだ幼い子供、長定が伴った次男に対して同じ光景が繰り広げられる。

 国の重鎮となった老将頼興は、罪人の首が晒されるところまでは見届けることなく、その場を後にした。長定に手を下すことには、何のためらいも感じはしなかった。それに、誘引して殺させた手紙に記されていたのは、義滋の署名である。

 ――今日も弟の屋敷に泊まるか。

 このごろとみに気力の充実を覚える頼興は、何だか以前より若返ったような気さえしていた。

 筑後に残された長定の嫡男、都々松丸つつまつまるは、その地で強盗に遭い殺害されたと伝わる。上村頼興が秘かに手を廻し、後顧こうこの憂いを断ったということも十分考えられる最期であった。


 上村頼興の外戚による球磨強化策はなおも続いていた。頼興は、義滋のもう一人の娘と菊池きくち重朝しげともの嫡男との婚姻を整えた。

 菊池氏は鎌倉以来の家柄を誇る九州の古豪で、室町後期には肥後国ひごこく守護しゅごに任ぜられている。実際の力はかつてよりおとろえたとはいえ、隈府わいふ(現在の熊本県菊池市)を中心に、いまだ肥後北部をおさえる一大勢力であり続けた。形式上から言えば、相良家も菊池重朝に所領を安堵される立場にあるほどの家柄だ。

 しかし、実際の婚儀が行われる前に重朝が急死し、隈府は重臣どもが相争う内乱状態となった。頼興は主君の娘の縁組を破談にし、菊池家への介入を決意する。

 菊池氏を己の管理下に置くことができれば、守護職を通じて肥後全土に号令を掛け得る立場になるのだ。その実現のために、人吉より肥後中央部に近い八代の鷹峰たかみねに新城を築き、人吉城から本拠地を移した。

 八代は相良中興の英主長毎ながつね(長祇、義滋らの父)の時代に獲得した領土であり、球磨川の河口から内海うちうみ(八代海)に面している。義滋の後妻の実家である名和氏の領地、宇土と隣接した地域であった。

 相良の本拠地の移動と、それに伴う相良軍主力の北への移動は、隣接する名和家に疑心を抱かせた。ときを合わせたように宇土の境界近くで起こった土一揆の騒動が八代まで波及し、相良と名和の両家の間に不和が生じた。

 この結果、義滋に嫁いでいたお由利の方が、実家へ戻されることとなった。頼興は、妻に執着をみせることなくあっさりと離縁を決めている。義滋夫人のお由利の方は、八代へ移って以降暮らしていた別邸から、やっと夫と同じ鷹峰の城の中に住まいを得たところであった。

 頼興は、もう飽いたということであったろうか、それとも歳相応に、やっと女は無用の体になったということであったろうか。

 なお、離縁によってお由利の方が産んだ子は萬満丸ただ一人となった。義滋はこれ以外にも側室に何人か子を産ませているが、成人するまでに育ったのは全て女子だけだった。

 頼興が背後で何らかの工作を為したかどうかは不明だが、義滋の側室が男児を産んだと聞いた日の頼興は、いつも不機嫌であったという。

 それはともかく、菊池氏の本拠、隈府への出兵は、先方が混乱している中、容易に成果を得られるものと考えられていた。しかし、関係が悪化した名和氏への対処を怠ることもできない。

 頼興は自身の老齢を理由に、遠征となる隈府攻撃軍を義滋直卒とし、自らは名和武顕に備えて守りを固めるという策を呈した。頼興の後ろ盾がなければ何の力も持たない義滋には、十分と思われる兵力を与えられた以上、異論を差し挟む余地はなかった。

「義滋公が隈府へご出陣なさることに決まった」

 鷹峰城の縄張り内に築かれた館の仏間で、上村頼興が仏壇の位牌と向き合い跪座きざ(両足の爪先を立てて正座のように座る姿勢。江戸中期までは、こちらのほうが正座より一般的だった)したまま言った。

「それは重畳ちょうじょう

 背後から、女の声が応える。身にまとった僧服に似合わぬ、槃妙尼のぬめりを帯びた声であった。

「義滋公は、どうなる……」

いくさのことは、妾のような者より殿様のほうがお詳しゅうござりましょう」

 頼興がさっと振り向いた。

「お主の辻占ではどう出ておるか訊いておるのだ」

「……臆されましたか」

 その問いに、頼興は答えなかった。

「勝てると思うたからこそ、お城の皆様方は出兵に賛同なされたはず。ただ、戦は生き物。闘こうてみなければ、どう転ぶかは判らぬものにござりましょうな。

 殿様。義滋様に万が一のことがあったとしても、次の備えはもうあるではありませぬか――お世継ぎ様はおられる。そして、お世継ぎ様が自らまつりごとを行えるようお育ちになるまでは、殿様がしっかりとお支えになればよいだけ。

 そのお世継ぎ様も、殿様が実の孫のように、いや、年老いてから出来た実のお子のように、目に入れても痛くないほど可愛がられているお方。どのようになったとて、何の障りがござりましょうか……」

 いつの間にかすぐそばまで擦り寄っていた尼僧が、頼興の耳元で囁いた。相良の相国である頼興は、焦点の定まらぬ目で虚空の何かを見つめている。その相貌に老残の翳が忍び寄っているのを、槃妙尼はめ回すような目で覗き見ていた。


          (四)


 義滋率いる球磨の軍勢は、阿蘇の山岳地帯を経由して菊池氏の本拠である隈府へと向かった。あえてけわしい山中の行軍を選んだのは、奇襲を意図してのことである。同じく敵に察知されないことを意図して、道は阿蘇氏の領内を採っている。

 阿蘇氏とは、義滋の長女を嫁入させたことで、以前からの友好関係を更に深めていた。阿蘇惟前は義滋軍の領内通過を黙認しただけではなく、秘かに重臣を道案内としてつけてくれた。

 案内についた甲斐かい親宣ちかのぶは、主家である阿蘇氏へ嫁ぐ相良の姫を護衛する任にもあたった男であり、その際に義滋とも面識があった。義滋は、寡黙で有能な親宣に好感を持った。それは親宣にも通じていたようだ。阿蘇の領外へ出る折、親宣は別れを告げながら、心から義滋の武運を祈ってくれた。

 しかし、阿蘇氏の家臣団も一枚岩というわけではなかった。家臣同士の権力争いもあり、また血縁的、地勢的な面から相良に近しい者もいれば、菊池に親近感を抱く者もいる。相良義滋の菊池への進攻は、軍が進発する前に、親菊池派によってすでに隈府へと通報されていたのだった。

 その菊池家では、当主重朝の急逝きゅうせい後、重臣の隈部くまべ氏が反乱を企てたことがきっかけとなり、領内が大きく揺らいでいた。しかし、守護職菊池家に臣下の礼をとるべき相良から縁談を破棄されたことが、衰退していく中で名門意識しか拠り所のない主従に、一時的な連帯をもたらす。

 隈部にしても、家中で幅を利かす新興勢力排除のために兵を動かしはしたが、領主嫡男の家督相続自体には異を唱えてはいなかった。重朝の後を継いで菊池家当主となった能運よしゆきは、相良の脅威を強調することで家臣団をまとめることに成功した。

 山間部を抜けようやく平地へ出ようとした相良軍の前には、堂々と布陣を終えた菊池能運の軍勢が展開していたのである。


「これは……」

 物見の注進を受けて馬を前に進めた義滋は己の目を疑った。阿蘇の冬は霧の日が多い。今日は昼過ぎまで視界をさえぎる白い壁に悩まされた。ようやく薄くなったその霧がたなびく先に、こちらの進軍を待ち構えている軍勢が見えた。

「察知されていたのか……」

 義滋は呆然とするばかりであった。近臣の丸目まるめ頼見よりみが主君のそばに馬を寄せた。

「殿。すでに尻が割れてござる。奇襲は為りませなんだ。ここは一旦、退きましょうぞ」

 その声を聞いて、思考停止に陥っていた義滋は我に返った。

――下がると言うか。しかしただ下がっても、見逃してはくれまい。必ず付け入られて、損害は確実に出る。

――わしはこれまで、頼興の言うがままにしか動いてはこれなんだ。ここで一戦もせずに退いて鷹峰に戻ったら、もはやはしの上げ下ろしまで意のままに出来ぬ身となり果てよう。

頭の中を巡る思いは顔に出さず、義滋は周囲に控える兵どもに問うた。

「物見、敵の数は」

「ざっと五、六百かと見えまする」

 ならば、一千を率いてきたこちらのほうが優位にある。

「丸目、陣触れじゃ。中原に押し出し、兵を鶴翼かくよくに展開させよ。押し包んで、一気に殲滅せんめつする」

 丸目は主君の顔を見たが、何も言わずに後ろを振り返り、兵への下知を飛ばし始めた。義滋はその場に留まり、敵が静かに前進を始めるのを唇を噛み締めながら見つめていた。

 相良軍は、今宵の夜営で戦支度を整え、明日からの戦闘に備えるつもりであった。老練な将ならば敵の領地に入る前に戦闘準備を整えさせていたのかもしれないが、義滋は移動の迅速さを優先した。

 そのため、まだ長征用の旅装のままで、甲冑かっちゅう具足櫃ぐそくびつの中、弓につるすら張っていない、といった将兵も少なくない。大将の下知に慌てて槍のさやを払い陣笠を被り直しなどはしたが、陣形の展開のための移動もあり、存分といえるほどの支度をなし得た者は少なかった。

 相良軍の将兵がつるつばさの形に陣形を展開させ終えないうちに、菊池の軍勢が突っ込んできた。ほとんど矢合わせも行わないままの、いきなりの激突であった。

 菊池の兵は、右手に槍を突き出し左手に楯を抱えて、ゆるい弧状の横列で先頭を形成している。後ろの兵も、前の兵の脇から槍を斜め前へ突き出して、前列の兵や自分の抱える楯の陰に隠れたまま進んできた。そうした横隊を何層にも密集させた態勢が、菊池の突撃陣形であった。

 菊池の先鋒は、相良軍の両翼からの攻撃には楯での守備をもっぱらにしてほとんど応ぜず、遮二無二しゃにむに敵の中心部を目指して突き進んだ。こうした突破戦法は、これまで長年に亘る戦闘経験によって確立され、裏打ちされたものだった。

 鶴翼の胴体部分に突き刺さるように、相良の中軍へ向かって菊池の先陣が揉み込んでいく。

 相良軍は両翼を展開させ切らなかったがために側面攻撃が十分機能せず、敵の突進力を削げぬままでいたが、反面、翼を広げきれず中央に残る兵が多かった分、中軍の義滋に行き着くまでの厚みが増していた。

 しかしそれも、少し長くときを稼いだだけに過ぎない。菊池の槍兵そうへいは、義滋本陣から指呼しこかんまで迫りつつあった。

「殿。ここはこれまでじゃ。もはや陣がもちませぬ。すぐにお下がりくだされ」

 丸目頼見が前線から馬を返してきて叫んだ。それでも、義滋は敵が突き進んで来る有り様から目が離せずにいた。

「これが、菊池千本槍せんぼんやりか……」

 南北朝の戦乱期、菊池の軍勢は遠くは関東まで遠征して、六万対八千などといった劣勢で戦った末、度重たびかさなる戦果を上げたとされる。その多くは、一丸となって敵陣の中央突破を図り、中軍を蹂躙じゅうりんすることで敵の指揮系統を混乱させ、あわよくば大将首まで獲ってしまうというものであった。

 世に名高い、『菊池千本槍』がこれである。

 時が流れるにつれ、さすがの高名な戦法にも様々な対抗策が採られるようになるとともに、新戦術や鉄砲をはじめとする新兵器の登場などもあり、菊池千本槍もかつてほどの威力はなくなった。しかしながら、この日の相良軍との戦闘はまさに、菊池軍が二百年のときをかけてつちかってきた戦法を存分に生かす場となったのだ。

 相良軍は、山中行軍という策を採用したため、輜重しちょう運搬用の馬はともかく騎馬は少なく、槍兵突撃を翻弄し得るような機動戦術が展開できなかった。そして予期せぬ待ち伏せを受けて戦の準備も十分に整っていなかったことから、敵が最も得意とする戦法を、正面からまともに受けてしまったのである。

「殿、何をしておられる」

 馬上から、再び丸目頼見が叫んだ。

 義滋は改めて周囲の状況を見回した。丸目の言うとおりに本陣がただ下がれば、今踏み止まって戦っている兵も逃げ始め、自軍は完全に崩壊するであろう。

 壊走の中で菊池軍の追撃を受ければ、相良軍は全滅する。菊池領を抜け出る前に、この首もかれることになりそうだった。

 しかし、下がる以外の方策が見つからない。

 ――いっそ敵陣に突っ込むか。

 周囲の母衣ほろ衆(親衛隊)も騒然となる中、義滋は目前に迫った敵兵の凶暴な顔を睨み据えた。








 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る