第8話心の叫び
このクマのぬいぐるみは特別高いものという訳では無い。
むしろ貴族のわたくし達からすれば一食のご飯代よりも安い可能性だってある。
それにこのクマのぬいぐるみは、正確にはお父様からの唯一のプレゼントではない。
正しくは我がクヴィストへ媚びを売る為に下級貴族が、娘であるわたくしが好きそうな物を『娘へのプレゼントに』とお父様へ差し上げた物である。
しかし、だとしてもわたくしからすれば親からもらった最初で最後のプレゼントであったのだ。
その、傷だらけになったクマのぬいぐるみを抱きかかえると、とうに枯れ果てたと思っていた涙がわたくしの意思に関係なく両の目からこぼれだして来た。
これ以上悲しい事はないと思っていたのは間違いであった。
わたくしの胸は今まで感じた事のない苦しみを伴って強く強く軋み上がる。
ともすればわたくしの心が壊れてしまいそうで。
恐らくこれをやったのは妹であろう。
クマのぬいぐるみについた靴の跡が、踏みつけたのが誰なのかを如実に語ってくる。
そんな妹の部屋には両親が買い与えたぬいぐるみが溢れかえっているというのに。
ぬいぐるみだけではない。
妹が欲しいと言った全てを両親は買い与えている。
わたくしが欲しいと初めて、恐怖心を感じつつも、それでも少しばかりの期待に胸を膨らませて対になるクマのぬいぐるみをねだった時はお母様からはしたないと頬を掌で叩かれ、公爵家の娘たれと説教された事を思い出す。
その横にはウサギのぬいぐるみを買い与えられた妹がおり、辺りには親子で楽しそうに買い物をしている庶民達の姿が目に入ってくる。
何度も何度も『わたくしは両親の本当の子供ではないのではないか?』と疑心暗鬼になったのだが、それでも両親の子供ではないと思える事が出来ず、そして当然その事を両親には聞けずにいる。
もしも、万が一拾われた子供であると言われたらと思うと聞けるはずがない。
「助けて………」
それは誰に言った訳でもない。
ただただ自然と口から漏れ出た心の叫びであった。
「当たり前であろう?俺はお前の婚約者なのだから」
しかし、わたくしの声に誰かが返事を返してくれた。
その声は今聞こえる筈がない、いまこの場所には居るはずがない、あり得ない声音であった。
幻聴だと分かっていても、例え幻聴だったとしても、わたくしは藁にも縋る気持ちでその声に縋りつこうと振り向く。
「遅くなってすまない。助けにきた。やっと君を助け出す事ができる時が来た」
そこにはクロード殿下が優しい微笑みでわたくしを見ている姿が目に入ってくるのであった。
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