RE FIRST TAKE

たにがわ けい

第1話




《七月六日(月)》


 今日はいつもより何だか気分が浮かない。特に変わった事があったでも無い。いつも通り高校に行き、部活はせずに学校を出る。これがいつも通り、女子高生としての篠崎しのざき真紀まきの生活だった。いたっていつも通り。何も背負わず、気楽に生きてる。友達もいるし、男の子にだって興味はある。うん、普通だ。

 天気は晴れ。少し雲が出ているけれど、気分が落ち込むほどの重苦しさでも無い。ただ、昨日より周りの世界がほんの少しだけ違う気がする。


「よし! そんなときは食べる! 久しぶりに何か買って帰ろっかなー」


 私は独り言をつぶやいて制服のスカートを叩く。そしてふと、新しく駅前に出来た大福屋さんに行ってみようと思い立った。店主のおじさんが一人で最近始めた小さな店らしいが、結構人気で売り切れもしょっちゅうだと聞いている。私はまだ行った事が無かった。

 少し駅の建物を回り込むと、すぐに目当ての店は見つかった。


「すみません、大福一個下さい」


「すまんねえ姉ちゃん。今日はさっき売り切れちまったのよ」


「あ、そうなんですか……すみません」


 悪い予感はこれだったのかな。まあ仕方ないか、と私が少し俯くと、店主のおじさんが、


「んぁー、明日も来るかい? 来るなら姉ちゃんが来るまで一個とっといてやろう」


と言ってくれた。


「ほんとですか」


「おうまかせろ」


 優しいおじさんだ。

 私は、ありがとうございます、と礼を言い、いつもの電車に乗ろうと改札を通ってホームに向かった。



  *  *  *



 いつも通り、家から近い最寄り駅で降り、私は慣れた動きで改札を出る。


「すみません。これ、落としましたよ」


 すると、改札を出た所で、後ろから呼び止める声がした。私が振り向くと、高校生らしき男の子が私の生徒手帳を持ってこちらに差し出している。背が私より少し高い、爽やかな印象を受ける男子だった。


 うーん、割とアリかな────とかすぐ考えちゃうから駄目なんだよな私は。


「すみません。ありがとうございます」


 我に返り、右手を出して自分の生徒手帳を受け取る。カードと同じ所に入れてたから出す時に落ちたのか。こんな言い方が正しいのか分からないけれど、その男子は、いかにも感じの良い好青年といった雰囲気で、正直な所、ちょっとかっこよかった。

 そして私は、その男子生徒の制服を見てほとんど反射的に、直感的に、自分から話しかけてしまっていた。


「その制服……もしかして桑島くわしま高校ですか?」


「そうだよ。えっとそっちは、ごめんちょっと見ちゃったんだけど、こう西にし?」


「あ、そうです。えっとまぁただの帰宅部です」


 無意識に自虐を入れてしまうのは私の悪い癖だ。しかし、初対面にも関わらず、会話ははずんだ空気を見せていた。


「あの……これも見えちゃったんだけど、二年だよね? 俺も二年だから敬語じゃ無くて良いよ。もう俺さっきからタメ口で喋っちゃってたけど……」


「あ、二年生なんで……なんだね。大人っぽいから年上かと思……った」


 確かに自分とは違い、大人びた雰囲気を纏った人だった。でも不思議と、最初から、この人とは仲良くなれるような──何かを与えてくれるような、そんな気がしていた。


 私たちは何となく改札から歩き出す。


「あははそうかな? 実際そんな事無いんだけどね。ところで、家、どの辺なの? 南出口?」


「うん、あの、甲津中学校の近く」


「え、甲津中? ほんとに!? 俺も甲津中だよ。高山たかやま翔太しょうた。知ってるかな」


「甲津!? 名前は、あーごめんなさい分からなくて……あ、でも高山君って聞いた事あるかも。私は、篠崎真紀です」


「あぁー……ごめん知らない。お互い同じ中学なのに、こんな所で初対面とはね」


 私たちは軽く笑い合った。確かに、中学の時の私なら関わらないタイプの男子かも知れない。初対面の男子との思わぬ共通点に、私は何か言い表せないものを感じる。帰宅部かつクラスの特定の女子と固まってる勢の私には、こんなふうに男子と会話する経験は新鮮だ。

 私、高校生活で後何回男子と絡めるんだろう。ふと思う。無意味に過ぎて行く青春をもったいないとも思っていなかったけれど、やっぱり出来れば彼氏とか欲しい。


「あ」


 高山君が立ち止まる。


「俺ここのパン屋さん大好きなんだよね。たまに帰りに買ったりしてて」


 高山君が立ち止まったのは、駅の少し外の小さなパン屋だった。


「私も! 私は、このパン屋さんはいい事があった日に買うって決めてる」


「そうなんだ。メロンパンうまいよね、ここ」


 そう、ここは私の行きつけみたいな店で、メロンパンが不思議な見た目だけど本当に美味しい店だった。


「何か、気が合うね」


 私はさりげなく言ってみる。よくよく考えたらちょっと恥ずかしい。


「ははっ、確かに。じゃ、今度会ったらその時はパン買おっか」


「分かった。今日と同じ電車でいいんだよね?」


 私はちょっと冗談っぽく確認する。


「どうだろー分かんない」


 高山君が笑う。



「じゃ俺こっちだから」


「うん、バイバイ」


 高山君とは駅から少し歩いた所でお別れになった。私の帰り道は線路沿い。線路を挟んだ向こう側には砂浜があって、海が見える。



 嫌な予感なんて、私はすっかり忘れていた。





  *  *  *  *  *





《七月七日(火)》


 私はいつもより足取り軽く学校を出る。今日もいつもと同じ時間。相変わらずの暑さへの不快感は、一歩毎に受ける風で吹き飛んでいく。

 心はピョンピョン跳ねつつも、現実にはあくまで歩いて坂を下り、歩いて住宅街を抜けて駅に着く。


「大福♪ 大福♪ それに〜」


 友だちと帰る事も無い、毎日一人で帰る道のりだが、私は寂しいと思った事は一度も無い。毎日何か、昨日とは違う所がある。そんな些細な違いを、目一杯楽しむのが私の日課。部活で毎日友だちと汗水垂らすのも羨ましいとは思うけれど、今の私にはこれが丁度良い。


 角を少し回って昨日の大福屋さんを見つける。ついに、あの美味しいと噂の大福が……


「こんにちは、おじさん! 来ました。大福、ありますか?」



「おう元気だねぇ。でも……すまんねえ姉ちゃん。今日はさっき売り切れちゃったのよ。最近はこの時間までに売り切れちゃうからなぁ〜」


 え?


「え? あ……の、私……」



 売り切れ? 昨日、一個残しといてあげるって…………忘れちゃっただけかな



 おじさんは笑って続ける。


「ありがたい事なんだけど……なら、そうだ姉ちゃん。明日も来るかい? 来るなら、姉ちゃんが来るまで一個とっといてやろう」


 何……これ……。気持ち悪い。おかしい。


「あ、あの、私……」


 言いかけてやめる。目線をあげると、おじさんが笑顔で見下ろしていた。


 何で? 忘れてる?


 風がぬるい。


 いや、きっとたまたま忘れちゃってただけだ、と思い直す。お客さんなんてたくさんいるし、覚えて無くても仕方が無い。


 私は、なかば自分を抑え込むように、そう考える。


 そう、明日はちゃんと覚えてるように、ちょっと念押しすれば良いだけ。


「あ……じゃあ、明日も来るので、覚えておいて下さい! お願いします」


 私は、顔をあげ、しっかり私が見えるようにして少し強めに言った。


「おうおう。ばっちり覚えとくよ。かわいい女子高生が来た、ってな! いやー、今時女子高生で大福なんて買いに来てくれる人、なかなかいないからねぇ」


 私は、早く立ち去ろう、と直感的に思う。


「ありがとうございます」


 店を離れて、駅の改札ヘ向かいながら、モヤモヤした気持ちを切り替える。


 こんな事で気分を落としてたってしょうがないよね! 大福は明日買えばいい。そうだ。そうだよ。それより、今日も会えるかな? 高山君。この時間に帰るって事は高山君も帰宅部なのかな。いや、でもあの時間の電車は昨日だけかも知れない。


 改札を抜けて、ホームに着く。ホームを見渡すが、高山君どころか高校生もいなかった。でもよく考えたら、桑島高校ならもう一つ前の駅から乗るんだろうな。





 しばらくしたら電車が来た。ゆっくりとドアが開き、二人の男性が降りた。私は右足からゆっくりと乗りこむ。

 高山君がいなかったら、さり気なく別の号車に移る予定だったが、そんな事をする必要は無かった。


 奥のドアの前に高山君が立っている。当たり前だけど昨日と変わらない制服姿で、静かに文庫本を読んでいた。


 私は声をかける。


「こんにちは! 今日も会ったね。ていうかやっぱりこの電車なんじゃん」


 抑えようとしたけれど、やっぱり声が弾み過ぎたかな。


 高山君が、驚いた様に本から目線をあげ、私を見る。

 明らかに昨日とは違う表情をしていた。高山君が、口を開く。



「あの、すみません、どなたでしょうか?」

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