世界×(私+あなた)みたいな

 ◆

 世界が自分中心にまわっていると、つい最近まで信じていた。小学生でもあるまいし、そんなことがあっていいのかと思われそうで、それを私のことを見下す理由にされそうで、ずっと黙っている。ほかのことはペラペラと話してしまうくせに、それだけは律儀に黙ったままだ。


「聞いてよ〜彼氏がさぁ浮気してたんだよ〜酷くない?許せない」

 私に愚痴をこぼしながらお菓子を食べるサヤは同じように高校から入学してきたクラスメイトで、生徒指導に見つからないようにペンケースにお菓子の袋ごと隠す彼女はもうすっかりこの学校に馴染んでいる気がした。

「そこまでの男だったんでしょ。気にしたら負けだって。」

「え、サヤ彼氏と別れたの?」

 内部進学組のクラスメイト達がサヤを取り囲む。ちょっとちょうだい~なんて言って椅子に座った彼女たちはサヤとお菓子を食べながらサヤの彼氏の悪口大会を始めた。

 会ったこともない人の悪口を言う気にはなれなくて、そっとその場から離れた。ちょうどいい。内部のあの子たちは私のことを好きじゃないみたいだから。私がいなくなった瞬間に彼女たちが目配せしていたのもわかっている。

 そういう世界なんだって思うしか、ない。私が100%何も悪いことをしていないと言い切れない限り、被害者面なんて許されない。

 実際、それが当たり前なのだとも最近はわかるようになった。それに私、口悪いし、態度偉そうだし。自己中心的だなんて他人に指摘されなくてもわかる。私だって自分の悪いところは直したいと思ってる。

 行き場のない私の足は勝手に図書室へと進んでいく。昼休みや放課後以外でも開いていて貸出も可能だなんて最高だ、と思う。どこにも居場所がないわけじゃない。

 本は私の陰口を言わないし、私の粗探しもしない。静かにそこにいるだけで、私が望めばその腹の内も明かしてくれる。私のことを好きにも嫌いにもならない存在が、ひとりぼっちみたいな私をひどく安心させる。


「ワダさん、延滞やばいけど大丈夫?」

「それは言わないでくださいよ…。明日絶対返しに来ます、絶対」

 明るくカラリとした声が図書室に少し響く。大きい声ではないのに、なぜかよく聞こえた。

 彼女はワダさん、というらしい。本を返そうにもカウンター前で話している二人を邪魔する気にもなれなかった。気付かれないように本棚の影に隠れて、ワダさんがいなくなるのを待つ。

 ワダさんの髪は笑って体を揺らす度にさらりとなびいた。ネクタイの結び目がみんなと少し違う気がするのは気のせいなのだろうか。そんなことを思っていると、くたくたになった上靴の踵を踏んだまま、本を取りに行くのか奥の本棚の方へ消えていった。

「あ、横山さん」

 司書の先生が私を呼ぶ。入学してから毎日のように通っているからか、先生とはよく話すようになった。本のことが大好きだって顔に出ている先生。全然見つからない本を一緒に探してくれたりする、優しい先生。借りていたヘミングウェイを先生に差し出す。

「横山さん、ワダさんのこと知ってる?」

 さっきみたあの子のことだと思った。どこかに行って気が付いたら死んじゃう蝶みたいな。どう答えていいかわからなくて、黙った。後付けみたいないえ、なんて呟きを添えて。先生は少し笑って、渡した本のバーコードを通した。

「明日新刊入れるから、楽しみにしててね」

 何もなかったみたいに新しい話題を出した先生の助け舟に何食わぬ顔で乗った。

「本当ですか?明日も来ます」

 二、三言葉を交わして、いつものように外国文学の棚へと足を進める。『老人と海』を探して一冊一冊の題名を確認していく。見つからない探し物を、何度も同じところをなぞって探し続けた。きっと誰かが借りたんだろう、諦めて違う本を探したけれど読みたい本が見つからない。この言い方は違う気もする。読めるかわからないから読みたくないんだ。

 腕時計を確認すれば四限開始のチャイムまであと四分。一分あれば教室に戻れるから、もう少しだけここにいようと一番奥の書架に向かって歩き出した。


 いつも読まないジャンルばかりの背表紙が並ぶ本棚を歩きながら眺める。ファンタジー、昔好きだったな。あの本を書いていた人は誰だっただろう。どうして私は、いつからかファンタジーを読めなくなったんだろう。そう考えているうちに奥の本棚まで来てしまっていた。

 いつもは通りもしない、神話や宗教関係の図書が並ぶ場所。知らない言葉が背中に並ぶ様子に目が離せなくなる。前を見ずにぼんやりと歩いていたせいで、立ち読みをしていた誰かとぶつかってしまった。読んでいたのであろう本が床に落ちる。

「すみません」

 図書室には似つかないボリュームの声を出してしまった。慌てて落ちた本を拾って壊れていないか確認する。

 ギリシャ神話の本らしかった。

「あ、こちらこそ」

 本を渡して頭を下げると甘すぎない花の香りが鼻を通っていった。視線を起こすと彼女と目が合う。彼女の揃えられた髪が少しだけ揺れた。ワダさんのこと、知ってる?さっき尋ねてきた先生のことを思い出した。


 ワダさんは少し笑って、差し出した本を持ってありがとうと言った。

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