第6話

  村を一望できる、大きな教会の屋根に二人はいた。


  「よかったの?」


  小さな、あまり抑揚のない声でライラが言う。別にこれは声を潜めているわけではなく、いつも通りの喋り方だ。

  半年共にいたアイルはもう慣れたが、たまに聞き逃すこともある。


  「ん? 何がだ?」


  「あの女の人、アイルの大切な人って」


  「いいんだ。 一目見れただけでも十分だ」


  「……」


  ライラは口を閉ざすと、今度は控えめに目を細めた。少々分かり辛いのだが、あれは抗議を表している目だ。


  「それより、今は残りの奴やらを倒さないと」


  アイルはそんなライラの視線をするりといなし、さっさと話題を変える。こうしている間にも、現在進行形で村の破壊は進み、いくつもの命が潰えているのだ。急がねばならない。


  「でも、みんなアイルを見捨てた人たち。本当に助けるの?」


  「あれは当然の反応だ。俺は禁術の適性者なんだから…… それに、ここはシエラの大事な故郷。 それが無くなったら、あいつが悲しむ」


  「アイル……」


  ライラのこの一言だけはいつにも増して弱々しく、そして、沈んでいた。


  「……わかった。アイルがそう言うのなら」


  ライラはこくりと頷く。

 改めて村の中心部に視線を転じた。燃え盛る炎の中に、歪な人影がいくつも蠢いているのがわかる。


  「あんなにアーテルがいるのか」


  アイルの言う"アーテル"とは、あの異形たちの総称である。名称以外は謎に包まれていて、彼もライラに聞くまでその存在を認知していなかった。

  その量に、さすがのアイルも苦虫を噛み潰したような顔をする。


 「全部普通のサイズだけど、アーテルはわからない事だらけ。油断しちゃだめだよ?」


 「ああ…… でも、本当に大丈夫だろうか」


 ここに来て不安が襲う。

 あれから半年。鍛錬を積んで、ある程度魔法の使い方を心得たつもりだ。しかし、実戦で夢幻魔法を発動したのは、先ほどシエラを助けたのが初めて。あの時は上手くいったが、それが続くとは限らない。


  「大丈夫だよ、アイルなら。今まで頑張って来たから」


  ライラが励ましてくれる。

  こんなにも他人に信頼されたことが、生まれて一度でもあっただろうか。昔の辛い日々が遠い昔のように感じられた。

  アイルはふっと笑う。


  「そうだな。この魔法と、ライラがいれば俺は大丈夫だ」


  「私……?」


  自分の名が出されるとは思っていなかったのか、ライラは少したじろぐ。


  「ああ。行こう、師匠」


  アイルは屋根伝いに移動していく。


  「私は師匠じゃない……」


  ライラの小さなぼやきが聞こえてきたが、アイルは気にせず前進する。事実なのだから、否定する必要はないのに。

  彼らの目指す先では、時より眩しい光が生じていた。誰かが今もアーテルと戦っているのだろう。まだ間に合う。 

  

  「くそ! なんなんだ、こいつら!」


  「普通の魔物じゃないぞ!」


  「魔法が全く効かない! どうなってるんだ!」


  村のほぼ中央。

  怒号が飛び交う広間の周りでは、兵士とアーテルとの激しい攻防戦が繰り広げられていた。


  「あれは……」


 その中には、アイルがよく知っている人物の姿が。


  「怯むな! じきに王都から騎士様が来てくださる! それまで、なんとしてでも持ちこたえろ!」


  他の兵士を鼓舞していたのは、聖職者のタレスであった。啓示式でアイルの魔法適性を調べた人物だ。

  彼は迫り来るアーテルに、巨大な雷を次々と落としていく。直撃したアーテルは倒れはしないものの、かなりのダメージは入っているようだ。

  さすがのアーテルも無策に突っ込むことはせず、一定の間合いから様子を伺っている。


  「今のうちに、負傷者を!」

 

  「は、はい!」


  歯が立たない兵士たちは、タレスの言う通りに動くので精一杯だ。兵士と称してはいるが、小さな村のそれはほとんど訓練もしてないような素人同然。こういう事態では、ほとんど戦力にならない。

  彼らが救助を行なっている間も、タレスは周囲のアーテルに目を光らせていた。いつのまにか、戦況は膠着状態へと変わっていた。


  「あの人、あんな魔法を使えたのか」


  近くの屋根で、成り行きを見守っていたアイルは驚嘆する。この村で長年過ごしてきた彼だったが、タレスが魔法を使う場面など見たことがなかった。雷の属性魔法、それもかなり熟練している。

 魔法は、その属性の適性があることと、マナの保有量、それから日々の特訓などが影響してくる。彼は相当な手練れだったのだ。


  「あれなら一人だけでも勝てるんじゃ……」


  「ううん、あのおじさんだけじゃだめ」


  「そうなのか?」


  ライラの言葉はすぐに現実のものとなった。


  「グギギギ!」


  にらみ合いを決め込んでいたアーテルの数体が、奇怪な金切り声を上げながらタレスに突っ込む。


  「近寄るな、悪魔め!」


  手をかざすタレス。

  轟音とともに、まばゆい光の線がアーテルに直撃した。その光景はまさに天罰。

  アーテルの身体からは水蒸気が上がり、たちまち行動不能になる。


  「くそ!離せ!」


  響き渡る兵士の怒声。

  タレスの集中が眼前の敵に向いたその一瞬。アーテルはまるで図ったかのように他の兵士に飛びついたのだ。


  「大丈夫か! 今助けてやるーー うぐっ!」


  兵士の方へ振り向いたタレスの後ろから、新たなアーテルが。

  敵ながら見事な戦法だった。タレスの気をあちこちに散らすことで、その隙をついたのだ。

  最後の砦が崩れ去った今、兵士たちは逃げ惑う羊も同然だった。彼らはそれぞれの配置から離れ、三々五々に散っていく。そこへ残りのアーテルが一気に畳み掛けてきた。

  もはや、結果は目に見えていた。


  「行こう」


  「うん」


  アイルは屋根上から手をかざす。

  すると、彼の視界に入っていたアーテルが、突如黒い炎に巻かれた。まるで空から溢れ落ちた闇夜が、炎の形に擬したような黒。断末魔をあげる間も無く、アーテルは灰に変わった。

  インフェルノ。アイルが初めて覚えた夢幻魔法だ。


  「な、なんだ!? 今の魔法は!?」


  「化け物たちが、一瞬で……!?」


  状況が飲み込めず、兵士たちはうろたえている。

  それはタレスも同じで、辺りをキョロキョロと見回している。そんな彼の視線が、アイルと交わった。


  「貴様! あの時の……! 生きていたのか!?」


  タレスの目は驚きに満ちていた。


  「今の魔法、貴様がやったのか?」


  「そうです」


  「まさか…… あれが悪魔の力だというのか」


  「悪魔じゃない」


  小さく反論したのはライラだった。見てみると、彼女は小さな拳を握りしめていた。


  「仲間まで引き連れおって……! 逃がしてやったというのに、なぜこの村に戻ってきた!」


  タレスはあくまで敵対的な態度を崩さない。命を助けられたというのに、感謝など微塵もしてないようだ。

  さすがのアイルも、彼の理解のなさに苛立ちを覚える。


  「そうか…… 貴様らか! この化け物を村に引き連れてきたのは! 恥を知れ、この恩知らずが!」


  そして、最後には謂れのない罪を着せられる始末。


  「ライラ、やめろ」


  ライラは何か魔法を発動させようとしていた。無論、それは脅かすためで、傷つけるつもりがないのは分かっていたが。


  「アイル……」


  「お前の気持ちはよくわかる。だが……」


  アイルに優しくたしなめられ、ライラは渋々手を引っ込めた。

  代わりに手をかざしたのは、アイルだ。

  タレスの顔が、一瞬の内に恐怖で塗られていく。


  「な、何をする気だ! やめろ!」


  無慈悲な黒い炎が立ち込めた。


 


 

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