はぐれ師匠と未熟な夢幻の大罪人

川口さん

第一章

第1話

 啓示式。

  十六歳を迎えた子供たちが、自分の魔法適性を正式に言い渡される日だ。しかし、啓示式とは名ばかりで、子供たちは大体自分の適性に当たりをつけている。要は通過儀礼であり、魔法適性の判断は単なる余興に過ぎない。

  それは魔法を使えないアイルにとっても同じことで、ただの退屈な行事で終わるはずだった。

 

  「き、貴様……! どういうことだ! なぜ、こんな……!」


  突如、静かな教会に響き渡った男の声。

  壇上で、白いローブを身にまとった初老の男ーータレスは持っていた杖を手離し、数歩後ずさった。声の主は彼だ。聖職者という村の中でも高位の人間。彼の怯えた目の行く先には、杖の先に付いた黒々と輝くクリスタルと、黒髪の少年が。


  「こ、この悪魔の使いが!」


  「え……?」


  いきなり罵声を浴びせられた少年は呆然とする。彼はなぜそんな事を言われているかさっぱりわからない。

  しかし、タレスの怒声は瞬く間に周囲に広がり、大きなどよめきを生んだ。


  「あ、あの、どういうことなんですか?」


  少年はタレスに近づこうとする。


  「止まれ! そこを動くな!」


  激しく叱咤され、少年は言う通りにした。だが、一体自分が何をしたというのか。


  「貴様、名は?」


  「アイル…… です」


  「リビエール家に拾われた例の子供か…… よもや悪魔の使いを引き連れてくるとは……」


  タレスは忌々しげにそう吐き捨てた。


  「おい、こいつを牢屋に連れて行け!」


  タレスが怒鳴るように命令すると、二人の兵士がアイルに駆け寄って来た。そして、問答無用で彼の両腕を掴み、連行する。そのどちらの顔も、恐怖に慄いているような、まるで自分を危険な存在とでも認識しているかのようなものだった。


  「ちょっと待ってください! 俺が何をしたって言うんですか!」


  アイルはもがきながら、必死に叫んだ。

  すると、彼の思いが通じたのか、タレスは騎士たちに手を向け制止を促す。


  「クリスタルの黒い輝き。それ即ち、禁術とされる黒魔術の適性者。まさか、この世界にまだ適性者がいたとは…… 黒魔術はアリスフィア法の定めにより、死刑となる」


  タレスの静かな宣告は、アイルの頭の中で呪詛のように何度も木霊した。説明が終わったことで、再び彼は身体を引っ張られる。

 

  「黒魔術…… 俺が……?」

 

  アイルは抵抗する気すら湧かなくなった。

  壇上からは、教会に集まっていた大人子どもが騒然としているのがぼんやり見える。皆こちらを見て何かヒソヒソと囁き合っていた。悪魔を見る目だ。

 その中には彼の義姉、シエラ・リビエールの悲痛な顔もあった。

  アイルは生まれて初めて、暗く冷たい牢獄に入れられた。生まれてこの方、一度も悪に手を染めたことがない彼が、禁術の適性があるという理不尽な理由で。

 そもそも、彼は今まで一度も魔法を扱えたことがない。有り体に言えば、無能。それがどうして。

  それでも、一日目は、何かの勘違いだとどこか楽観していた。仕組みはよく分からないが、クリスタルが誤作動を起こしたのだろう。すぐに解放してもらえるはず。そうすれば、また平穏な日々に戻れる。

  しかし、二日目の昼には暗雲が立ち込め、三日目を迎える頃には絶望に変わっていった。朝と夜に食事を与えられるのだが、それすらも喉を通らず、アイルは牢屋の隅でじっと固まっていた。心身ともに、酷く衰弱していく。


  「どうして、俺なんだ…… 魔法もまともに使えない俺が…… 何をしたっていうんだ……」


 獄中で、アイルはずっと泣いていた。元来気丈な彼も、こんな理不尽に直面して、平然としていられるわけがない。

 四日目の朝だった。彼はようやく解放された。


  「既にリビエール家の主人と話はついている。まっすぐ家に戻れ」


  詳細も聞かされず、きつくタレスに念押しされ、アイルは久しぶりに外へと送り出された。少しの解放感はあった。だが、未だ心は晴れず、疑問と気怠さに巻かれる。空は、今までにないくらい、どんよりとした分厚い雲に覆われていた。

  帰路についた満身創痍のアイル。

  心なしか、彼をを見る周囲の視線が鋭く感じられた。自然と彼の歩く速度が上がっていく。早く家に帰りたい。これ以上、敵意を向けられるのはごめんだった。

  そんな彼の足元に、小さな石が飛んできた。


  「よう、悪魔」


  嫌味ったらしい言い方。アイルが顔を向けると、そこにいたのはこの村でも神童と名高いレイリーだった。

  彼の近くには浮遊する数個の石が。風の属性魔法だ。


  「やめなよ。まともに魔法も使えないのに、悪魔だなんて。 悪魔が可哀想」


  一緒に陰湿な笑みを浮かべているのは、回復魔法の天才、リンシアだ。

  二人とアイルは小さい頃からの馴染みである。仲が良いわけではないが。


  「レイリー、リンシア……」


  「気安く人間様の名前を呼ぶな、この悪魔が」


  レイリーが吐き捨てるように言うと、空中の小石が勢いよくアイルに飛来する。


  「うっ!」


  鋭い痛みが走り、腕から血が垂れて来た。


  「悪りぃ、ちょっと強すぎたな。まあでも、初級魔法も使えこなせない雑魚を毎日見てきた鬱憤も溜まってたし、悪魔なら何しても問題ないだろ?」


  「うわぁ、痛そ。 ていうか、どんだけムカついてたの?」


  「どんだけって。 そりゃあ、お前が思ってるのと同じくらいだろ」


  二人はゲラゲラと笑う。アイルにとって、悪魔はまさしく彼らの方であった。

  こんな状況、村の大人たちが注意をするのが普通だ。しかし、通りを行き交う大人たちは一瞬足を止めただけで、まるで何も見なかったかのように、過ぎ去ってしまう。


  「二人ともやめて!」


  アイルの後方から声が聞こえてくる。振り返ると、息を切らして走ってくる彼の義姉の姿があった。


  「シエラ……」


  「アイル、早く家に戻ろ?」


  シエラはアイルの手を取り、強引に引っ張った。


  「おいおい、せっかく将来同じギルドに入ろうって、誓いあった奴が全員揃ったっていうのに。もう解散しちまうのか?」


  「そうそう。もうちょっと話そうよ。 あ、ギルド名とか決める?」


  「"無能悪魔の飼育係"とかどうだ? これなら、アイルもマスコットキャラとして活躍できるぞ?」


  「全然センスないじゃん。 ていうか、アイルを主役みたいにしないでよ。私はもっと華のある名前がいいな」


  シエラは、レイリーとリンシアの話になど聞く耳を持たず、そのままアイルを連れて行く。


  「つまんねえな。 今日で最後だってのに」


  レイリーの意味深な発言が耳に残る。

 家に着くまで、シエラは一言も発さなかった。


  「あの、ヘイゼルさん。これは一体……?」


  扉を開けると、玄関には所狭しと荷物が並んでいた。


  「表に馬車が止めてある。 あれでお前を近くの村まで運んでいく」


  リビエール家の当主で、アイルの義父であるヘイゼルは重々しい口調で言う。物心つかない時分に、アイルは彼に拾われたのだ。


  「状況が飲み込めないのですが…… どういうことですか……?」


  「アイル、よく聞け。 お前はこの村を追放された」


  「え?」


  アイルの喉から出たのは、声にしては弱すぎる、掠れた息も同然のものだった。あまりに突拍子もないことを言われ、これは夢なのではないかと錯覚したほどだ。


  「猶予は今日限り。明日の朝、村長たちがここを訪れる」


  ヘイゼルは目を伏せながらも、淡々と話を続ける。


  「その時にお前がここに残っていれば、お前の存在は国に通報され、おそらく死刑だ。匿っていた私たちにも相応の罰が与えられるそうだ」


  衝撃の内容に、アイルは息を吸うのも忘れていた。心臓が狂ったように拍動し、全身から嫌な汗が滲み出てくる。


  「出て行く必要なんてないよ! この家、結構広いんだし、どこか隠れる場所くらいあるはず!」


  シエラは作られた明るい声で提案する。

  だが、ヘイゼルは目を閉じ、首を横に振った。


  「空間魔法の一つに、人間を探知するものがある。 それに、仮に隠し通せたとして、その後はどうする? ここに一生閉じ込めておくのか? 外に出して、村の者に見つかればそこで終わりだ」


  「で、でも……」


  「これでもかなり譲歩された方だ。 お前も知っているだろう? 世界的に禁忌とされる黒魔術。他の場所なら問答無用で捕縛される。それを今日だけ目をつむって、見逃してくれるのだぞ」


  「……」


  シエラはついに何も言い返せなくなった。


  「アイル。私は捨てられたお前をここまで育ててきた。本当の息子のように。シエラと平等に。だが……」


  やるせなさそうにヘイゼルは視線を下に落とした。

 彼の言葉は嘘ではない。魔法も使えない、展望のないアイルを、ここまでしっかり面倒を見てくれた。誕生日(アイルの拾われた日)には、毎年欠かさずお祝いをしてくれた。

  よく見れば、彼の目元には大きなクマができ、その顔は幾分やつれているようだ。おそらく彼が、上の人に何かしら働きかけてくれたのだろう。彼は村でも、かなりの資産家だった。

  アイルの心は決まった。


  「わかりました。ヘイゼルさんには、ここまで育てくれた恩があります。これ以上、迷惑をかけるわけにはーー」


  「だめだよそんなの……!」


  アイルの言葉を遮り、シエラは悲痛に叫んだ。


  「適性があるってだけで、アイルは全く魔法を使えないんだよ!? 何も危険なんかないじゃない! 禁術って、たくさんの人を殺せる力があるから禁止されてるんでしょ!?」


  「魔力の如何は関係ない。 黒魔術はその存在事態が、禁忌なのだ。わかるだろう?」


  ヘイゼルは静かに言う。


  「……アイルが行くなら、私も行く」


  「シエラ…… お前、自分が何を言っているかわかっているのか?」


  「わかってるよ! 私は、お父さんみたいに簡単に家族を見捨てたりしない!」


  そう叫ぶと、シエラはアイルの方を向き、彼の両肩に優しく手をかけた。その顔は慈愛に満ちていた。


  「アイル、ここで待ってて。私もすぐに準備を済ませるから」


  「待ちなさい! シエラ!」


  ヘイゼルの制止を振り切り、シエラは家の奥へと駆けていった。

  嵐が過ぎ去った後のような静けさが残される。ようやくアイルは我に戻った。こうなった今、自分がするべき事は一つだけだ。


  「ヘイゼルさん…… 今のうちに、急ぎましょう」


  アイルはポツリと呟いた。

  大きく目を見開いたヘイゼルだったが、アイルの瞳に浮かぶものを見て、すぐにその顔はどんよりと暗いものに変わっていった。


  「わかった……」


  こうして、アイルは十年以上暮らしてきた家族を、そして、村を追放されたのだった。

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