fluffy life

海月 水母

第1話 五人の日々はのんびりと

「おはよう」のある朝

「んうぅ………」



冬空の雲間から陽光が射し、屋敷の部屋に朝を告げる。

朝陽の射す先には白いベッド。全体をふんわりと覆った厚い掛け布団の中から、もぞもぞと顔を出す人の姿があった。

太陽の光に誘われるように現れたのは、百合の花のように白く、美しい顔立ちの女性。銀色のミディアムヘアも美しい…はずなのだが、今は布団に潜っていたせいかあちこちに跳ね、顔にも掛かってしまっている。

長い睫毛に触れた銀髪を手で払うと、ひんやりとした空気を防ぐように掛け布団を口元まで覆い、またすぅすぅと寝息を立て始めた。

とうに日も登り切った時間。それを気にすることもなく、彼女は気持ちよさそうに眠り続ける。



またもぞもぞ、と布団が動く。

今度は女性ではない。別の"誰か"が、掛け布団の中に潜り込んだのだ。

布団を頭から被り、"誰か"は女性に跨がるように乗る。それでも女性が気づかず眠り続けるのは、"誰か"がとても軽いせいか眠りが深すぎるからか……。



「ご主人…。ごーしゅーじーーん…。」



「ご主人」。

聞き慣れない呼び方と高く澄んだ少年の声で"誰か"は女性に呼びかける。けれど、女性からは寝息しか返って来ない。



「…もうっ。ご主人ー!起きろよー!!」



今度は大声。女性の頬もぺちぺちと叩きながら、モーニングコールは続けられる。

…女性の気持ち良さげな表情が、少ししかめられた。どうやら今のでようやく起きたらしい。意識が鮮明になり、射し込む光も、自分の上にある少しの重みも、脳が認識し始めた。


女性の瞼が、ゆっくり開く。

長い睫毛と蒼玉サファイアのように深い青色で彩られた瞳は、次第に上に乗る人物をぼんやりと認識し始めた。



「クート……おはようございます…。」


「うん、おはようご主人!…ちょっと寝すぎだよ、まったく…。」


「あはは、すみません…。起こしてくれて、ありがとうございました。」



寝惚け眼を擦りながら、女性は微笑んでそう挨拶をし、少年の頭を撫でた。

クートと呼ばれた少年は嬉しそうな笑顔を浮かべ、女性が上体を起こして起き上がるのに合わせて布団を出た。

起きた女性は銀髪を掻き上げ、サイドテーブルから縁を赤で彩ったアンダーリムの眼鏡を手に取る。

眼鏡には小さく『tia《ティア》』の綴りが刻まれている。

自分の名前を確かめるように文字を見つめ、

女性は――ティアはそっとその目に眼鏡をかけた。



視界が鮮明になり、クートの姿もはっきり見える。

人懐っこい笑顔。ゆったりとしたワンピースタイプのパジャマ。セミロングの栗色の髪はウェーブがかかり、ふわりと柔らかそうに揺れている。





…その髪の上には、髪色と同じ犬耳が垂れている。パジャマの下からは、これまた栗色をしたふわふわの尻尾が覗いている。


ティアは何度か瞳をしばたたかせ、腕を天井に向けて伸びをした。ふぅ、と息をついて前を見れば、クートが八重歯を覗かせて笑っている。



「目、覚めた?」


「はい、なんとか………ふぁぁあ……」


「あははっ、おっきなあくび!

しょうがないなあご主人は。…ほら、オレの手繋いで?」



屈託のない笑顔で差し出されたクートの手のひらに、ティアは自分の手のひらを添える。

自分より一回り以上小さな少年に手を引かれる姿は、成人女性の威厳とは程遠いのだが…未だ微睡みの中にいるティアは特に気にることもなく、クートに身を任せるようにして寝室を出るのだった。






クートに手を引かれ、ティアは部屋を出て廊下を進む。ティアの部屋と似た間取り、ベッドや壁紙の色がそれぞれに異なる部屋が見える。ティアの部屋を含めて、使われているのは五つ。その先には、小さな書斎がある。


二人がそこを通り過ぎたとき、書斎の奥でまた"誰か"が動いた。

音を立てず、そろそろと扉まで近づいてゆき……



「とうっ!」


「わっ……!」



驚かせるように、ティアの腰の辺りに飛びついた。

ティアはびっくりした声を上げ、思わずクートと握った手も離してしまう。

そのまま下を見れば、クートと同じくらい、少し低い身長の少年がティアのパジャマに埋まるように抱きついていた。



「おはよー、ねぼすけご主人様。」


「…ユナでしたか。おはようございます…というか、朝からあまりびっくりさせないでくださいよ…?」


「えへへ、ごめんごめん。」



グレーのボブカットの髪を揺らして、悪戯っぽい笑みを返すユナと呼ばれた少年。彼にもまた、髪色と同じ尻尾、そして猫耳が生えている。

ひとしきりティアのパジャマに頬擦りをしてから、ユナはぱっと一歩離れて質問を投げかけてきた。



「ところでご主人様、今日の僕、いつもとちょっと違わない?」



突然の質問に、ティアは首を傾げる。正直、まだ頭がぼーっとしていてあまり思考が働かないのだが…。

目を擦り、眼鏡をかけ直してユナを見る。

…そういえば、普段は身につけていないものが今日のユナには付けられていた。



「…あれ、その眼鏡…」


「おっ、正解ー!どうどう、可愛いでしょ?」


「可愛いですけどそれ、私の予備の眼鏡じゃ……」



ティアの指摘も気に留めず、眼鏡の柄に指を添えてポーズをとるユナ。あざとさのあるポーズだが、女の子にも見間違うユナの顔立ちに眼鏡がによく似合っているのも事実だった。



「こら、ユナ!ご主人のもの勝手に使っちゃダメだろ!」


「えー、いいじゃんこれくらい…クーくんのケチ…。」



…やはりと言うべきか、すかさずクートがぷんぷんと怒り出すのを見てティアは苦笑する。

イタズラ好きなユナをクートが叱るのは、この家で毎日のように見る光景だ。

叱られたユナは頬を膨らませているが……行き過ぎたイタズラはしないとはいえ、大抵クートの説教を受けてもユナは反省していない。


…あるいは、構ってほしくてイタズラをしているのかもしれないけれど。



「僕だって可愛い眼鏡かけたいもん。ほら、似合ってるでしょ?」


「そりゃ、可愛いけど……そういう問題じゃなくて!ユナが持ってると壊しちゃいそうだし!」


「えー………そうだ、クーくんもかけてみなよ!」


「なっ…!? いやオレは別に…」


「まあまあ、クーくんも可愛いんだからさ。きっと似合うよ、眼鏡!」



恥ずかしいのか途端に大人しくなったクートに、ユナが悪戯笑いを浮かべながら眼鏡を薦めている。

…実際クートのふんわりした雰囲気や人懐っこい顔立ちも可愛らしいので、案外眼鏡も似合うかもしれない。…そんなことをぼんやり考えながら、



「仲良しですねえ…。」



二人を見つめるティアの瞳は、母か姉のように慈愛に溢れた穏やかなものになっていた。

…とはいえ、いつまでも廊下で立ち往生している訳にもいかない。ティアの下腹部が、ぐうぅと空腹を訴え始めたのだ。



「もう先に行きますよ…。ユナは眼鏡、後でちゃんと返してくださいね。」


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