4 迷わざる宮/漢、月宮一鉄

 びっくりした。静まり始めた酒宴の片隅で、鈴音はそう思った。


 の事を、お慕い申し上げますの真意を聞いてみようと、一鉄に声を掛け、けれど問いきれず、その、後だ。


 突然、一鉄が歯を食いしばり、額を抑えだしたのだ。何か、強烈な頭痛でもしたかのように。

 それから……頭痛が去ったのか、一鉄は大きく息を吐き、周囲を見回した。


「一鉄?……どうしたの?」


 首を傾げ、鈴音がそう問いかけたのと、一鉄の視線がまっすぐ鈴音に止まったのは同時だ。


 何となくだが、一鉄の雰囲気がつい数秒前と違った気がした。


 ついさっきまでは、かなり緩んでいたような、気を抜いた感じだった。

 それが、今、決意を固めたように、真剣な表情で、頼りなさのようなモノが抜けたような、そんな雰囲気になっている。


 それこそ、人が変わったような堂々とした調子で、一鉄は、鈴音に、頭を下げてきた。


「鈴音さん。……ありがとうございます」

「……?」


 いきなり、感謝されて、鈴音は首を傾げた。感謝されるような覚えはないでもないが、今突然言われる理由は良くわからない。


 いや、わかるのか。……一鉄の中では、何か、繋がっているのかもしれない。


 人が変わった、と言うより、今この瞬間に、未来から戻って来たのか。

 一鉄が時間を遡れるのなら、突然、こうなる事もあり得るのか。


 そんなことを考える鈴音を、一鉄はまっすぐと見据えて………真剣な表情で、こう言った。


「何度も、助けてもらいました。恩返しでは、あります。でも、それだけじゃないです。一目惚れでも、もうないです。好きです」


 何度も助けたらしい。何度も、と言われる程助けただろうか?とにかく、恩返しらしい。何がだろうか?そして恩返しだけでもなく一目惚れでもないらしい。


 ………?一目惚れって言われた?それで……?

 ……………。


 ……好きです?

「………ッ!?」


 またかこの男……と、鈴音は頬を赤らめ、とりあえず一度距離を置こうと身を引いたがその分一鉄が一歩寄ってきて何なら鈴音の手を両手でとった。


 そして、真剣な表情で、鈴音の目をまっすぐ見ながら、言う。


「だから……俺は絶対に鈴音さんに死んでほしくないんです。鈴音さんが死んだら、勝てても意味がないんです」


 真剣な、話なのだろう。傍から聞けば、ただの重度の色ボケにしか聞こえないが、それでも、命が掛かった真剣な話をしようとしている。


 それは鈴音にもわかるがその前に一回冷静になる時間が欲しい、とまた逃げようとする鈴音の手を握りしめたまま、真剣な表情で一鉄は続けた。


「だから、……鈴音さん。俺の指示に従ってください。俺は、鈴音さんに、生きていて欲しいんです」


 結局、アレか。雰囲気が変わったようで中身は何にも変わってないのか。結局こいつは不意打ちで色ボケてくる油断ならない奴なのか。卑怯者め。


 と、内心悪態を吐いて平静を保とうとしつつ、鈴音は堂々と詰め寄ってくる一鉄から視線を逸らし、頷いた。


「……はい、」

 思ったよりか細い声が出た。鈴音は更に恥ずかしくなった。


 が、一鉄は尚も真剣な様子で、鈴音の手を強く握りながら、続ける。


「……俺はこれから単独行動をとります。それに、絶対についてこないでください。この、オニの部隊に居続けてください。そうすれば、鈴音さんは生き残れます。生き残ってください」


 ……単独行動を、とる?ついてくるな?

 それは、鈴音からすれば、どこか邪魔と言われているようで、文句の一つも言いたくなる言葉だった。


 文句を言おうと一鉄の目を見た直後恥ずかしくなって色々霧散し、鈴音はまたそっぽを向いた。


 それから、小さく、鈴音は頷く。完全に一鉄の勢いに負けていた。


 それで、一鉄は納得したのだろうか。「お願いします、」と、最後に言って、一鉄は鈴音の手を放し……今度は扇奈の元へと駆け足で向かっていく。


 その背中を、鈴音は、固まったまま、見送った。


 と、そこで、鈴音は気づく。あるいは、最初から寝たふりだったりしたのだろうか。周囲で寝ていたはずのオニ達が目を開けていて……妙に暖かい視線を鈴音に向けていた。


 普段あまり表情を変えない奏波でさえ、そこで微笑ましそうにしている。


 鈴音は顔を隠した。

 夏の温いはずの風が、やけに、頬に、涼しかった。


 *


 扇奈はその一部始終を、頬杖を付いて眺めていた。


 ここは、戦場だ。扇奈が意図的に緩ませたとは言え、戦場であるはずだ。

 だが、扇奈の聞き間違えでなければ、到底戦場とは思えない聞いている方が恥ずかしいようなセリフが聞こえた気がした。


 その証拠に、鈴音が真っ赤になって固まっていた。


 そして、それらを巻き起こした張本人が、涼しい顔で、いや、真剣な顔で扇奈の元へと駆けてくる。


「扇奈さん!」

「……なんだい?仲人でもやれってか?」


 しかるべきなのか褒めるべきなのか、とりあえずまあ呆れ、そう冗談めかして言った扇奈の前に立ち止まると、一鉄は涼しい顔で呟いた。


「仲人?……ああ。機会があれば、頼みます」


 その一鉄の返事に、扇奈は眉を顰めた。

 3日会わざれば、とも言うが……数分前とはずいぶんな変わりようだ。


「でも、その前に、扇奈さんに頼みたいことがあります」

「……言ってみな」

「俺の話を信用してください」

「…………ずいぶんな言いようだね、」

「俺は何度もこれからの一日を繰り返してきました。今回で終わりにします。その為に、俺の、いえ、……前回の扇奈さんの指示に従ってください」


 妄言……と切って捨てられない真摯な雰囲気が一鉄にはあった。そもそも、立ち振る舞いが変わり過ぎている。所作から青さが消えている。一瞬にして、新兵が歴戦の兵士に変わったようだ。


 また眉を顰めた扇奈が、何かを言う前に……あるいは言う事を予期していたかのように、一鉄は言った。


「これを言えば信じる気になるだろう、と、前回の扇奈さんから言われたことがあります」

「……なんだい?」

「また、馬鹿なクソガキに同情し過ぎるんじゃないよ。……だ、そうです」


 言われた瞬間、扇奈は舌打ちした。それから、自嘲気味に言う。


「……ほっときな。あんたにはもう、同情の余地はないよ」

「はあ………」


 よくわからないと言いたげに、一鉄は呟いていた。

 “前回の扇奈さん”、とやらが醜聞何もかも話して聞かせてやった訳ではないらしい。


 とにかく、だ。一鉄の変わりようまで含めて、扇奈が自分が自分に言いそうだ、と信じる気になるには十分な言葉だった。お姉ちゃんの胸の内の話だ。


 そう、すぐさま飲み込んで……扇奈は口を開く。


「で?あたしからあたしへの指示ってのは?聞くよ……。ああ、もう。聞いたげるよ……」


 軽く頭を掻いた扇奈を前に、一鉄は少し不思議そうにしつつも、言った。


「まず、前提です。ただの竜が数えきれないほどいます。20匹程度ですが、飛ぶ奴もいる。帝国軍は今も20名程度残っていて、人格としても戦力としても信用に足るヒトたちです。それから、……知性体が2匹います」

「………2匹?」

「一匹は、てらてらした、黄緑っぽい……透明になる奴です。レーダーにも映りません。もう一匹は、真っ赤で、戦闘能力のない奴です。そいつは、時間を遡ります。それに自分は巻き込まれています。赤い奴を殺さなければ、永遠と、ここが繰り返されることになります」


 ……この戦域に現存する敵と味方の情報、らしい。信じるとなれば有益な情報だ。特に、飛ぶ奴がいるってのと、透明になる奴がいるって話が。


「……で?そこまで前提だろ?指示は?」

「はッ。……まず、透明な奴は可能な限り殺さないでください。逆に、赤い奴は見つけ次第確実に殺してください。透明な奴を殺すと、ループが発生します。赤い奴は殺せばそれでループが終わります。今回で終わらせるんです。……指示は、それだけです。後は、手持ちの兵力で随時部隊の存続に最適の手段を取り続けろ、と」

「透明になる奴はなるべく殺さない。赤い奴は絶対に殺す。それ以外……条件付きで丸投げかい、」

「前回、扇奈さんは、」

「あたしに任せとけだろ?わかってる………ああ、言うよね、あたしはそう……」


 自嘲気味に、扇奈は呟いた。


 短いが整理された話だ。

 敵の陣容と、ループ、とやらの条件は教える。その前提からして、細かい策をあらかじめ伝えても、竜が行動を変えるから意味がない。結果、目の前の状況に適宜対応させるのが最適解だ。その能力があれば、と言う前提の話だが……部下に聞かれて出来ないという扇奈はいない。


 それを扇奈は誰よりも知っているから……“前回の扇奈さん”はそうおっしゃったんだろう。


 と、そこで、だ。一鉄の向こう、背後で、鈴音がこちらに歩み寄って来ていた。どうも、照れから多少回復したらしい。


 それが、見えてはいないのだろう。一鉄は真剣な表情で、言う。


「……それから、俺から一つ、指示ではありませんが、扇奈さんに、お願いがあります」

「なんだい?」

「鈴音さんを絶対に死なせないでください」


 一鉄は、真剣に、覚悟を決めた風に言っている。重い、覚悟と信頼の籠った言葉だろう。

 そんな風に思いながら、扇奈は、問いかけた。


「……そんなに大事かい?」

「はい。俺の命より遥かに大事です」


 真剣に、冗談の様子は一切なく、一鉄はそう言い切っていた。


 ……そんな一鉄の背後で、照れから復活したはずの鈴音が追い打ちを食らって真っ赤になって顔を抑えていた。何か一人呟いている。おそらく、「もうやめて……」だろう。


 そんな目の前に、呆れ半分、扇奈は言った。


「あんた。わざとやってるんじゃないだろうね……」

「は?……何がでしょうか?」

「……まあ良いさ。わかったよ。どっちにしろ、あたしには鈴音を死なせる気はない。鈴音だけじゃなく、誰であってもね」


 そう言って、……呆れてばかりもいられないと、扇奈は一鉄を睨むように、問いかけた。


「で?もう一つ質問だ。あんたはどうする?何をするんだい?単独行動ってのは?」

「帝国の本国へと連絡を付けに行きます。増援を呼べるかもしれません。ですが、それを前提に置いた行動はとらないでください。同時に、……邪魔者を処理します。あまり時間はありません。俺の行動は、僭越ながら、俺の勝手にさせて貰います」


 話さなくても扇奈の現状判断に影響しない完全なる不確定要素、だろうか。

 “前回の扇奈さん”が一鉄の話す内容にかかわっているのだとしたら。話さないという事はそういう意味になる。


 一鉄抜きで、目の前の状況に対処し続けろ。それが、扇奈がここで演じるべき役柄らしい。どちらにせよ、一鉄はお客さんで扇奈が完全に命令を下せる立場ではない。同時に、その有無にかかわらず、扇奈は部隊の存続に全力を注ぎ続ける。


「……あたしに伝えるべき内容はもうないかい?」

「はい」

「わかった。……じゃあ、最後にあたしからも一つだ。後ろ向きな」


 扇奈の言葉に、一鉄は振り返った。その視線の先にいるのは、鈴音だ。照れて若干怯えつつも気になって仕方がないとこの場の話に聞き耳を立てていた少女。


 そちらへと視線を向けさせた上で、扇奈は言った。


「……泣かせんじゃないよ、」

「はッ!」


 鯱張って、威勢良く……真剣な面持ちで、一鉄は声を上げた。


 *


 伝えるべき内容は全て伝えた。


 具体的に必要になる、扇奈への、ひいては部隊への指示。

 そして、……一鉄の、エゴも。


 感謝はした。想いも伝えた。結局、最後まで、独りよがりではあるのかもしれない。

 だが、それでも、………もう、思い残すことはない。


 別に、死に行こうという気はない。ただ、可能性としてそれが存在し得る選択肢を一鉄がとるだけだ。ある意味、いつも通りだろう。


 ただ、もう、次の周回を願わないだけで。


 扇奈への話を終え、一鉄は、“夜汰鴉”――家の名前で特別な意匠が施されているそれへと、歩んでいった。

 そして、それを纏おうとした、その時だ。


「……一鉄!」


 声に呼び止められ、一鉄は振り返った。

 鈴音が、一鉄を呼び止めたらしい。振り返った一鉄を前に、やはり鈴音は照れたように視線をさ迷わせ、少し、顔を隠し、それから、しばし考えているようで……。


 それから、意を決したように、懐から取り出した何かを、一鉄へと放ってきた。


 キャッチしたそれは……知っている。お守りだ。鈴音の、そして鈴音の片割れの、形見の、小刀。


「大切なモノ、なの」


 鈴音の言葉に、一鉄は頷いた。

 知っている。何度か、何度も、それを預けられた。最初だってそうだ。そこに込められた願いは………、最初は、形見を届けて欲しいだと思った。でも、もう、それは違うと、一鉄は知っている。


「……それ、……預けるから。人伝じゃなくて……ちゃんと、」


 今にして思えば、これは、鈴音が願って、けれどもう手に入らない、そんな後悔の証なのかもしれない。


 最初に。すべての始まりの時に、鈴音にこれを渡された時。言われたのは、『帰って上げて』だった。


 双子の妹が、一鉄にいると。それに、鈴音自身の境遇を重ねての言葉だと、今、もう、一鉄は知っている。


 想いを握りしめた一鉄を、まっすぐと見据えながら……鈴音は言う。


「……ちゃんと、返して。寂しいの、嫌だから」


 この形見は、鈴音にとって、寂しさの形だ。弟が、兄が、帰ってこなかったという、証。


 同時に、今、一鉄の望みの全てがそこにある。


 一鉄が生きて、鈴音も、生き延びて。生きて、帰って。

 この形見を、あるべき場所、持つべき者の手に、再び帰す為に。



 ……少し、命がけで、寄り道をするだけだ。

 一鉄は、形見を手に、頷いて………鋼鉄の鎧を身に纏った。

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