4 無限の迷宮/背伸びした女神

 ただただ、絶望しかない。……そういう訳ではなかった。そうだったら、きっと、諦めることも出来ただろう。


 何度もやった。何度もやれば、わかることもある。


 知性体が2匹いる。一匹はてらてらした、虫みたいな色合いの、姿を消す奴。もう一匹は、赤い、ずっと後ろで状況を観察してる奴。このループは、その、赤い知性体の方の能力だろう。


 アイツが決めているのだ。やり直すのかどうかを。それに一鉄はなぜか巻き込まれている。もしかしたら、最初――一鉄の主観からして最初に、虫みたいな知性体と相打ちして、その時にアレの血が混じったりしたのかもしれない。あの、返り血を浴びた時、一鉄の腹には風穴が開いていたし、他だと一鉄にはもう考えつかない。


 とにかく、一鉄はあくまで、偶然紛れ込んだ異物だ。

 ループの主導権は全て、赤い知性体が握っている。


 一鉄が主導的にループを起こす条件は、虫のような知性体を殺す事だ。エースなのか有益な駒なのか、あるいは、竜でも知性体なら片割れへの思い入れが存在するのか、虫のような知性体が死ねば、赤い知性体はやり直すことを選択する。


 あちらからしても、一鉄が邪魔なのだろう。その周回に見切りをつけて、単独行動をしに行けば、高確率で殺しに来てくれる。ちょっと殺し過ぎたのか、近頃の周回はあのムシ野郎が逃げるようにもなってきたが、その場合は赤い知性体の方を殺しに行けば高確率で殺されに来てくれる。


 とにかく、手間が尋常ではないが、一鉄もやり直す選択肢を持ててはいる。けれど、だ。……別の選択肢が、一鉄の手にはない。


 このループを降りる、と言う選択肢が、一鉄にはないのだ。たとえ、勝ったとしても、勝てるように導けたとしても、無かったことにされてしまう。


 周回すれば一鉄も学ぶ。条件は知性体も同じだが、盤上の駒の数は変わっていない。注意すべき存在はわかる。これくらいの数の竜が襲ってくる、飛ぶ奴がいる、姿を消せる知性体がいる、どう転んでも、尾形を拘束しておかないとこちらに不利益になる行動をとる。


 そういう事に注意すれば、勝てる時があるのだ。鈴音も死なず、部隊が存続したまま夜明けに辿り着くことが何度かあった。


 けれど、それも、……なかったことにされてしまう。


 抜け出す道は、おそらく、あの赤い知性体を殺すことだけ。だが、あの野郎にほとんど戦闘能力がないせいでほぼ前に出てこない上に、殺し掛けても寸前でやはりなかったことにされる。スタート地点に強制的に戻される。


 それに、二律背反だ。


 あれを殺すと、一鉄もやり直せなくなる。赤い知性体を殺しに行く時、探す手間から始まるから、オニの部隊とも帝国軍ともほぼ関わらない。もし殺せても、それが理想的な状況でループを終わらせることに繋がるかが、わからない。


 もしかしたら……鈴音が死んだまま、これが終わってしまうかもしれない。


 周回すれば、わかる。鈴音の死ぬ確率がかなり高いのだ。死なずとも大怪我を負う。戦い方の問題だ。鈴音は強い。だが、絶対的ではない。様々な意味で未熟だ。もろさがある。結果、味方の危機に前に出てしまう。無茶をしてしまうのだ。


 竜、知性体からもそれがわかっているのだろう。何度も周回すればお互いに行動は効率的になる。竜から見た鈴音の立ち位置は、強いけれど安定して削れる駒、だ。まず削っておきたい敵、に、数えられている。


 鈴音が生き残るのは、一鉄についてこなかった時だけ、だ。扇奈に預けた時だけ、鈴音にも首輪が付くのだろう。勝ち切れた時も、その時だけ。夜明けを見たのもその時だけ。希望があるのは、その時だけ。


 けれど、そうやって見た夜明けは、希望は、一瞬で………なかったことにされてしまう。


 なかったことにされてしまうのだ。


 どう振舞って、どう話して、何があっても……結局なかったことにされて振り出しに戻される。


 鈴音は奔放だった。もしかしたら、一鉄はそれなりに気に入って貰えているのかもしれない。形見を預けられたのなら、多分そうだろう。けれど、形見を交換して、少し仲良くなれたかと思っても……なかったことにされてしまう。少し仲良くなれた事を一鉄だけが覚えている。


 来るなと言って……言うとおりにしてくれることは稀だ。ついてきてしまう。一鉄が助けられたこともある。一鉄が、付いてきたのにピンチになった鈴音を助けたこともある。


 怪我をしたら毎回介抱してくれる。また、と、一鉄が言っても鈴音にはわからない。そうやって、毎回絆が深まっているのかもしれない。けれど、それも、無かったことになる。


 喧嘩をして、仲直り出来たこともあっただろう。……喧嘩ごと、なかったことになる。


 いちいち、一鉄は嬉しいのだ。仲良くなれて、世間話をして、鈴音が笑って、あるいは拗ねて、なんでも良い。なんでも……嬉しくなった次の瞬間には、一鉄の中の冷め切った部分が言うのだ。


 でも、どうせなかったことになるだろう?


 何度も、繰り返した。いちいち、鈴音を殺されると激高してしまうのが我ながら笑える。まあ、それがなければこうも周回は続かなかっただろう。執念で動けば大抵殺せてしまうくらいには、一鉄は真面目に訓練を仕切ってしまっていて、そして異常な回数の戦闘経験をこの永遠の数日でこなしてしまっていた。我ながらもう、化け物染みてきている。


 けれど、そうやって経験を蓄積していくのは一鉄だけだ。一鉄だけが、覚えている。それを毎回、スタートと同時に見せ付けられる。


 あるいは、もう逃げ出したかったのかもしれない。殺せれば、どんな結果であれ、終わるのだ。赤い知性体の元まで辿り着いて、もう殺せると、そこまで行っても……けれど直前であの野郎はやり直しを強制するのだ。


 そして、鈴音が生きていることを毎回見せられる。その瞬間に戻される。無かったはずの希望を見せられる。そして、その希望が費えるところを見せつけられる。


 それを、何度繰り返してきたのだろうか。

 だから、一鉄は思う。


 どうせ……、と。

 どうせ、抜け出せない。

 どうせ、何を話しても、鈴音は覚えていない。


 だから、何も言わなくて良いんじゃないかと思った。

 だから、もう、何も伝えず、一鉄は背を向けたのに……鈴音は、そんな一鉄の手を取って、問いを投げてくる。


 *


「ねえ。……どうしたの?」


 これがもう何度目になるのか……一鉄は鈴音へと振り向いた。

 振り向いた一鉄がどんな顔をしていたのか。一鉄には自分でもわからない。


 この期に及んで嬉しいのだろう。同時に、酷く、酷く苛立たしい。


 この状況になったのは何回目だろうか?わからない。なんせ、無限に続くのだ。もう、一回目なのか、百回目なのか、わかったモノではない。似たようなシーンが何度も何度も何度も続きそのどれをとっても一鉄しか覚えていない。いや、一鉄ももう、覚えられないのか。どれが本当にあったことでどれがあったような気がするだけの事なのか、わからない。わからなかった。わからないまま、一鉄は、まっすぐとこちらを見据える鈴音を見返して。


 笑った。


「どうした……ふ、フフ………」


 笑い出した一鉄を前に、鈴音が眉を顰める。それを、眺めるのか、睨むのか、ただ、笑えてきながら……一鉄の口は勝手に、捲し立てる。


「やり直してるだけですよ。何度、も、やってるだけ……フフ。何度も何度もこれを続けてるだけです。馬鹿みたいに、ずっと………」


 笑いたくて笑っている訳ではない。こんなことを、言いたくて言っているわけでもない。

 けれど、一鉄には、もう、自分が制御できなくなって来ていた。


 限界だったのだ。


「何度も!……何回やっても、死ぬんだ。生き延びても、無かったことになる。勝てても、無かったことになる。何を話しても、無かったことになる……。色々、話したんですよ。でも、覚えてないでしょう?覚えてないだろう!?」


 大声を上げ、一鉄は、鈴音の手を振り払った。


 なかったことになる。何を話しても、何があっても、鈴音は何も覚えていない。

 一鉄の記憶だけが蓄積される。命を救って、救われて……そんな大それたことじゃない。今この時そうであるように、どうでも良いやり取りまですべて、覚えているのは一鉄だけだ。


 形見を交換したのはいつだったか。

 妹からの手紙に返事を書いたら良いと、そんな話をしたのはいつだったか。

 好きな食べ物の話とか、したかもしれない。移動中の世間話に、そういうどうでも良い話を。けれどその記憶は一鉄しか引き継げない。


 話しかけるのが怖くなって来たのかもしれない。そんな話をしたのかと、眉を顰められてしまうのが寂しく、怖かった。救いのはずだった。希望のはずだった。夢のはずだった。けれど、何度も奪われれば、それはもう呪いのようなモノだ。


 だから、距離を取ろうとした。その方が生存率が高いし、何より、顔を合わせなければ一方的に思い出を蓄積する羽目にならずに済む。


 嫌いになる、なんて生易しい話ではない。壊れ切って、恨んでしまいそうになる。


 それが嫌だったから、何も話したくはなかった。だと言うのに、呼び止められてしまった。


「もう……邪魔なんだよ。邪魔をするな!顔を見せるな……俺に関わるな!どうあがいても、何も変わらない。ずっとここだ、何回、俺だけ……ふざけるな……」


 制御できず、ただ苛立ちが噴き出すように、一鉄の口は訳の分からないことを喚いていた。


 ……結局これもなかったことになるんだろう。そんな冷たい声が頭の中で響いている。


 だとしても続けるのか?もう、何もかも見捨ててしまって良いんじゃないのか?あがくのを止めれば楽になるだろう。


 何も望まず、何も考えなければ良い。

 もう、何もかも、記憶を蓄積するだけ、辛いだけだ。もう、終わりにしたい。


 ふと、一鉄は思い当たった。


「………そうだ、」


 ……抜け出す道があった。そうだ。終わりにしてしまえば良い。


 ループの主導権を握っているのは、知性体だ。一鉄が終わりにしようとしても、知性体はまたやり直そうとするかもしれないし、そうなれば一鉄はまたここに戻される。


 けれど、だ。一鉄が妨害しなくなれば、知性体もループを止めるかもしれない。

 ここで一鉄が終われば良い。毎回、戻されたここで、一鉄が死を選べば……そうだ。知性体が満足するまで、ここで死に続ける。毎度希望を見る必要も絶望する必要もなくなる。知性体が飽きるまで、ここで死に続ければ良いんじゃないか。


 間違っていることは、わかっていた。

 けれど、それが唯一無二の正解のような気がしてきた。


 あるいは、そう。もう、自殺すら……と、そこまで壊れ切っていたのかもしれない。


 銃器は、そこら中に落ちている。ここは戦場だ。周囲のオニは、休みながらも手近に銃を置いていた。それを、一つ、一発、借りれば良い。


 ショットガン――スラッグ弾が入っているのだろうそれを、一鉄は拾い上げた。


 静止の声が響いたかもしれない。けれど無視して、一鉄はそれを手に取り、銃口を自分の顎に向け、当て、固定する。


 銃器の扱いには慣れている。反動があろうが、この角度なら狙いが逸れることはない。もう、軽く引き金を弾くだけだ。そう考えると同時に――一鉄は親指を引き金に掛けた。


 今更最後に思うこともない。……もう、何も考えたくないから、こうするのだ。


 目を閉じた一鉄のすぐそばで、銃声が響いた。キン、と耳鳴りのような音がして、それ以外の音が全て、全て消え去る。






 ………少ししてから、一鉄は目を開いた。目の前に、鈴音の顔がある。


 自殺しても、戻されたのだろうか?なら、また死のう………。そう考えて、銃を探そうと一鉄は視線を動かすが……探すまでもなく、一鉄の手にそれがある。散弾銃だ。さっき撃ったはずの。


 手にあるならと、思考を放棄して短絡的に、一鉄はその銃口をまた自分の顎に向けようとするが……動かない。


 鈴音が銃身を握っていた。そして、何かを、一鉄へと言っている。

 けれど、耳鳴りで――耳元で発砲した余波で、何を言っているのかわからない。


 わかったところで、何の意味もない。どうせなかったことになる。もう、これ以上、繰り返したくない。


 目を伏せ、今度こそ終わりにしようと、一鉄は鈴音を押しのけ掛け……けれど、生身では、オニに力で敵わない。逆に、一鉄の方が押しのけられるように、鈴音は、何か意を決したような表情で、身を寄せてくる。


「離せ、」と、一鉄は言おうとした。


 だが、その言葉は出なかった。すぐ目の前に鈴音の顔があって、柔らかな感触に、唇が塞がれていた。


 ほんの、一瞬の事だ。そのほんの一瞬、一つの行動で、一鉄の思考は止まり、身体の力が抜けてしまう。


 すぐに、鈴音は離れて行く。鈴音の手には、今、気を逸らした時に取り上げたのだろう、散弾銃があった。


 鈴音は、その散弾銃をそこらに投げ、軽く自身の唇を舐めていた。

 そして、僅かに非難めいた上目遣いで、鈴音は一鉄を見上げ、問いかけてくる。


「………落ち着いた?」


 虚を突かれ、思考も何も完全に止まっている一鉄は、そんな鈴音を見ながら、ただ、コクコクと頷いた。


 そんな一鉄を前に、鈴音はやはり苛立たし気な……どことなく拗ねたような表情を浮かべ、それから……今更恥ずかしくなったのか、頬を赤らめてそっぽを向く。


 と、思えば、鈴音はまた一鉄を見上げ、


「……じゃあ、まず。とりあえず。……歯を食いしばりなさい」


 そう言いながら、鈴音は、指をパキパキ鳴らし始めた。


 半分照れ隠しで、半分本気で怒っているのだろう、そんな……“女神”を前に、一鉄はやはり碌に思考も何も働かないまま、コクコクと頷いた。


 超強烈な衝撃に頭の中で火花が散り、何なら数メートル程吹き飛ばされて、あらゆる意味で我に返らざるを得なくなったのは、その、ほんの少し後の事だ。

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