青春シノビのディストレス―殺人少女は後輩忍者を殺したい―

漉環利郊

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『服部家の忍は先導者である。いかなる時も冷静さを欠くことなかれ』

 我が家の家訓であり、今は亡き両親が残した遺産の一つだ。

 当時はカッコいいなーと素直に思えたが、現在から俯瞰するとかなりダサく聞こえる。少なくとも、小さい子供に教える教訓としてはふさわしくないだろう。

 小さい頃から現代の忍びとして知識と技術を叩き込まれた俺は、早々に自分が忍びに向いていない性格だという事を理解していた。

 だからこそ、俺は本心を押し殺し家訓を強く意識して生きてきた。

 そのおかげで、近所の大人達はよく『律月くんは大人ね』などと褒めてくれたのを覚えている。

 微塵も嬉しくはなかった。

 だが褒められる事で、俺は立派に家訓を守って生きているんだと実感できた事は素直に嬉しかった。

 予防接種で注射をするときも、帰り道でウンコが漏れそうな時も、修学旅行のバスで隣の奴がゲロを吐いた時も、そして初めて人を殺めた時も、俺の冷静さは揺るがなかった。

 しかし、家訓を忠実に守り続けた結果、俺の人生に大きな誤算が生じることになった。

 そんな生き方が災いし、俺には『掴みどころがない』、『落ち着いてる』、『クールすぎて話しかけずらい』、『漫画とか読まなさそう。俳句とか読んでそう』というイメージが定着してしまい、クラスで浮いている存在になってしまった。

 最悪だ。

 どれほど日々の修業が苦しくとも毎週ジャンプを購入し、ラブコメに影響されボーイミーツガールな出会いを常に妄想している。寝付けない夜は、庭でオリジナルの必殺技の練習をするのが日課で、任務用のダサい忍装束にオリジナルのロゴマークを縫い付けたりもしている。

 ボルダリング並みに掴みどころのある性格だと自負していたが、完全に定着してしまったイメージには入り込む隙間など無かった。

 思春期の複雑な感情も手伝って、俺の心は日に日に閉鎖的になり、誰とも距離を縮めることなく俺の中学生活は幕を閉じた。

 『きっかけさえあれば』という心の中の言い訳は、いつしか『どうせ誰も本当の自分など見てはくれない』という不貞腐れた感情に変化していた。

 家訓のために本当の自分を押し殺すことに躍起になっていた奴が、終いには『本当の自分を見つけてくれない』と嘆く始末。滑稽極まりない。

 しかし、人生を変えるターニングポイントというのは、まったく想像もできないところに唐突に現れたりする。渾身の自虐ネタが神様に届いたのか、俺の場合は高校の合格発表のときに現れた。

 合格発表掲示板の前に群がる人ごみに嫌気がさし、俺は少し離れた木の上から双眼鏡を使って自分の受験番号を確認した。

 合格して嬉しいはずなのに、俺の心はひどく荒んでいた。

 幸い同じ中学の奴はほとんど受験していない。だからといって、こんな俺が高校デビューできるとは微塵も思っていない。周りの人間が変わるだけで、窮屈な世界は変わらないのだから。

 歓喜し、新しい世界に胸を膨らませている同級生達を見ていると、自己嫌悪で心が潰れそうになる。春の始まりを感じさせる生暖かい風が、憂鬱に拍車をかけた。

「どうやって上ったの?凄いわね」

 ふと下から聞こえてきた声に目を向ける。そこには、高校の制服を着た女の子が、風に靡く黒髪を押さえこちらを見上げていた。どうやら在校生のようだ。

 少し恥ずかしくなった俺は、黙って木から飛び降りた。

「凄いのね。忍者みたい」

「まあ、忍者っすからね」

 忍者であることは秘匿事項なのだが、どうせ信じるわけが無いだろうと、俺は適当に返事をする。本心を押し殺し生きてきた自分への細やかな抵抗だ。

「あなた新入生でしょ。受かってた?」

「受かってました」

「あらそう。おめでとう。じゃあこれ。あげるわ」

 渡された一枚の紙は、『入部希望先』に『文芸部』と既に記入された入部届だった。

「……斬新な勧誘だね」

「素敵でしょ」

「あーでも俺、小説とかあんまり読まないんですよね。漫画はよく読むけど。文芸部って何する部かイマイチ分かんないし」

「そうね。大雑把に言えば、読みたい本を適当に読み漁って時間を潰せばいいの」

「大雑把どころか木端微塵じゃん」

「私の今週のオススメはこれ」

 俺のツッコミに触れることなく、彼女はカバンから一冊の本を取り出した。

 その本はとても見覚えのある本だった。B5サイズのカラフルな再生紙が、何層にも積み重なっており、賑やかな表紙の上には特徴的なフォントで『ジャンプ』の文字が印字されていた。

 呆気にとられ黙り込む俺を尻目に、彼女は小さく笑って口を開いた。

「貴方、さっきから妙にクールぶってるけど、木に登って双眼鏡で合格発表を見てる時点で本性が丸見えよ。ジャンプはエッチなラブコメから真っ先に読んじゃうタイプでしょ?その上、暇さえあればオリジナルの必殺技とか作っちゃう系男子」

 不意に放たれた言葉によって、俺の心を縛り付けていた何かがプツリと千切れた。咄嗟に緩む口元を押さえ隠し、こみ上げてくる笑いをぐっと堪える。

 本当に全てを見透かして言ったのか、それとも冗談で俺をからかっているだけなのか。そんなことはどうでもよかった。

 何年も気にしていた靄が消え失せ、いかに自分が小さな問題で悩んでいたかを実感した。生まれて初めて、身内以外の人間とまっすぐ正面から向き合えた気がする。

「ごめんなさい。冗談のつもりだったのだけれど。気を悪くしてしまったかしら?」

「いいえ、全然っ。大当たりっすよ」

 心配そうに問いかける彼女に、俺は微笑交じりに言葉を返す。俺はすぐにリュックからボールペンを取り出し、入部届の氏名欄に自分の名前を記入した。

「一年……えーと、何組かはまだ知らないや。服鳥律月です。よろしくお願いします。先輩」

 いつもなら一旦家に持ち帰って検討するところだが、俺は一切躊躇せず氏名欄を埋めた入部届を返した。

 こんな事をするのは柄ではないが、不思議と悪い気はしなかった。本当の自分を瞬時に見抜いてくれた先輩への感謝の気持ちとでも言うべきか。中学で存在が浮いていた俺だが、浮足立つのはこれが生まれて初めての経験だ。

 先輩は入部届を受け取ると、「ハットリ」ボソッと呟き、紙を凝視したまま硬直した。

 数秒動かない先輩に「なんか書き間違えましたか?」と尋ねると、先輩は溜息を洩らしカバンから鉄製の板を取り出した。

「今年度から二年になる、文芸部の部長の時雨坂黎明です。よろしくね服鳥君」

「へー部長だったんですか……あの、その鉄板は?」

 俺の問いかけに答えることなく、先輩は黙々と鉄板の留め具を外していく。するとグリップのようなパーツが飛び出し、四角いフライパンのような形状に変形した。合格祝いに、出し巻き卵でもご馳走してくれるのだろうか。

 先輩は鉄板を見ながら数回頷くと、小さく手招きして近づくように促した。応じた俺が一歩踏み出すと同時に、先輩は大きく飛び上がりフライパンを上段で構えた。

「可愛い後輩ですが。父の仇なので死んでもらいますね。さようなら服鳥君」

「は?」

 先輩が手に持ったフライパンは、遠心力で伸びて大剣に変形し、一直線に俺の体に振り下ろされた。

―――あークッソ。やっぱ人間、急に変わっちゃダメだ。

 これが、俺と先輩のファーストコンタクト。

 ようやく霧が晴れたのもつかの間、新たな霧が生まれた瞬間である。

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