Ashiya Subaru:アルバイター奮闘記

1. アシヤ・スバルの職責

 大衆酒場「デルフィネ」は、紫の刻午後六時からがかき入れ時だ。

 スバルも働き出してその身をもって痛感したのだが、デルフィネは王都ソルティードでもなかなかの人気店らしい。日中はランチをやっているため勤め人も足繁くやってくる。ピークが過ぎればデザートの時間だ。大衆酒場の割に女性層も取り込めているのはこのデザートメニューが美味しいからだと言う噂もあるくらいだ。しかし、この店は腐っても酒場。メインである稼業だから夜からが最も人がなだれこんでくるし、しかもこの世界において「酒場」というのは単なる酒飲みの集いだけを意味しないのだった。


 古き良きRPGでは、酒場とはすなわち仲間との出会いの場所であるという。大衆酒場「デルフィネ」もその例に漏れない。


 加えて、王都ソルティードという国で最も栄える都市の特異性もその特徴に拍車をかけている。転生者が集まりやすい土地であるということだ。大規模なギルドの紹介所が設置されているこの街は必然、冒険者を多く呼び寄せる。そして余所者とされ浮いてしまう転生者の選ぶ職業ナンバーワンが冒険者だ。そういった王国の流れから、冒険者同士で情報を交換したりアタックするためのメンバーを集めたりするのに、アルコールの入った人脈の輪というのは最適な環境というものだ。


「スバルくん、次三番テーブルの注文取って!」

「はいっ!」

「スバル、それ終わったら五番テーブルのオーダーが出せる。カウンターから持ってけ」

「はいっ!」


 デルフィネの従業員は主に三人。マスター、サシャ、そしてスバル。実際は三人では回しきれないほどの繁盛ぶりなので、スポットでアルバイトが入っている。今日は厨房に三人の料理人が詰めているはずだ。しかしホールは末恐ろしいことにサシャとスバルの二人だけなのだった。人件費を切り詰めているわけではないようだが、そこはどうやらマスターに考えがあるらしい。

 スバルは雇われている身だし(しかも渋っていたマスターに頼み込んで働かせてもらっている経緯がある)店主の意向に異を唱えたいとは思わないが、目が回るほどの忙しさはまだ慣れない。注文を間違えることもほとんどなくなったし、安定する料理の運び方もわかってきた。それ以上に客が多いということだ。


 カウンターに三番テーブルの注文票を置き、五番テーブルのジョッキを一気に抱える。視界の端で柔らかそうな桃色の髪がふわりと揺れた。


「ご注文をお伺いします。……はい、はい。ありがとうございます。繰り返しますね」


 淀みないはきはきとした口調でサシャが応対している。もちろん営業スマイルは忘れずに。ずっと動きっぱなしだというのに呼吸が大して乱れている様子もない。スバルはサッカー部だったから多少スタミナには自信があるけれど、サシャは普通の可憐な女性だ。これも経験値の差というやつだろうかとスバルは感心していた。


「店員さん、すみませーん」


 すっかり上機嫌な甲高い男の声が背後から聞こえる。サシャはまだ向こうのテーブルで対応中だ。


「はい、少々お待ちください!」


 五番テーブルのジョッキを給仕してからスバルが向かった方が早い。雑念を振り払い、スバルは四つ抱えたジョッキを運び出した。


 ***


 エリンダス王国に法律はあることはあるのだが、スバルの生きていた現代日本と比べるとだいぶ。たとえば刑法。王国ではどんな行為が処罰の対象とみなされるのか、逆に何がセーフなのかを知っておく上でも必須の知識だが、王国の刑法に定められた「悪」の基準は非常にざっくばらんだ。「王国民に危害を加えた者は処罰の対象とする」――自由裁量を極めたような抽象的すぎる文言である。法律家の解釈によれば人体への損害はもちろん精神的、経済的、社会的な損害も危害の対象になるというのが通説だ。死刑は存在するが執行される例は非常に稀らしい。

 他の法律もこんな感じで、「王国民に悪影響を及ぼさなければ特に罰しない」基本信条に則って制定されている。つまり何が言いたいかというと、青少年の深夜勤労を罰する規定は存在しないということだ。


「はあああああ……」


 宵の刻午前二時。スバルが勤務を終えた時間だ。デルフィネ自体は藍の刻午前三時までの営業なのだが、この時間になると客の数もだいぶ減ってくるのでマスターがもうあがっていいと言ってくれる。客の波にもよるがだいたいこれくらいだ。

 労働基準法などという法律は王国に存在しない。この仕事を始めてからすっかり夜型人間になってしまった。緊張の糸が切れたように一気に疲労感が襲い掛かる。近くにあった椅子に腰かけ、深いため息を吐いた。


「お疲れ様、スバルくん」


 鈴が鳴るような愛らしい声。スバルが慌てて視線をあげるとコップを持ったサシャが淡く微笑んで立っていた。


「あ、はい。えっと、お疲れ様です」


 サシャを前にすると挙動不審になってしまう己に辟易する。労りの意味が込められたコップを軽く頭を下げて受け取る。冷たい温度がてのひらを伝う。コップの中では炭酸がしゅわしゅわと絶えず音を立てて弾けている。「今日の一杯」はサイダーのようだ。

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