Cyril White:冴えない僕とお師匠さま

1. のどかな村のはじっこで

 エリンダス王国 ベルモント辺境伯領 フェルディア村――


 シリル・ホワイトの故郷の正式名称はそうなっているが、ベルモント辺境伯というのがどういった人なのかシリルにはまったくわからない。そもそも王国の貴族の位だって農民には無縁の話なのだ。お貴族様というのはシリルたち平民を導く存在である、とは教わっている。でも導いてくれるはずの人が下界に降りてくることはなく、シリルは辺境伯の顔だって知らなかった。もしあぜ道ですれ違っても気づくことはできないだろう。いや、お貴族様は高級な仕立て屋があつらえた洋服を着ているというし、話し方も「いけてる」のかもしれない。もし会ったらどうすればいいのだろう、いつもお国を守ってくれてありがとうございますとお礼でも言えばいいのだろうか、などと見当違いな想像を膨らませていた。


「なんというか。都市まちってのは本当、おっかねえところですね、お師匠さま」


 堅牢さを売りにしている要塞都市の聳え立つ砦を見て、シリルは感嘆の声を漏らした。手作りのナップザックを背負った彼の出で立ちはいかにも「田舎者」である。都市では当たり前に売られている上質な生地の服すら身にしていない。貧乏までは言わないにしろ、質の低い麻の丸首シャツとパンツではお里が知れるというものだった。

 都市部では悪い意味で浮いてしまうシリルを異端たらしめているのがもう一点ある。肩に乗っている小さなトカゲだ。トカゲというか、羽根が生えているから厳密にはトカゲではないのだが、黒光りするボディはなんとなく生理的嫌悪感を覚える色味をしている。魔物を手懐ける者も職業として存在するし愛玩用に飼っている者もいるが、このトカゲはそのどちらでもなかった。


「耳元ではしゃぐな、小童が。貴様はいちいち驚きすぎなんだ。たかだかのひとつだろうに」


 そのトカゲは人語を解し、操るのであった。

 魔物は魔法生物の略称だという説もあるが、その凶暴性から「悪魔の産み落とした動物」と解する者が多い。センスのない言葉遣いだ、とそのトカゲは常々恨み節を吐いているが、魔物は身体能力に長けている代わりに知能が低下しているものがほとんどだ。だから罠にもかけやすいし討伐対象にもなりやすい。しかしこのトカゲ――彼自身の希望により「師匠」と呼ばせているが――は非常に高度な、人間と同等以上の知能を有するのだという。すべて師匠から聞いた話だから真偽は確かめようがないが、シリルは複雑なことを考えることが苦手だった。だから師匠の言うことをまるごと信じた。


「そんなこと言ったって。ほら、あの砦はすっごく高さがありますよ。物見台も兼ねてるのかな。師匠が飛んで行ってもけっこう時間かかりそう」

「たわけ。我を莫迦にしているのか貴様」

「いだっ」


 べしん、と黒い尻尾がシリルの頬をぶった。肩乗りできるサイズとはいえ尻尾の一撃は重い。師匠のボディはなかなかに硬質なのだ。身体を回転させた勢いを乗せたビンタであれば、もっと痛い。

 ひりりと痛む頬をさするシリルは涙目で師匠を見た。軟弱者め、と師匠は吐き捨てる。


「小童、貴様はとにかく堂々としていろ。丸出しであちこちきょろきょろと……情けない」

「すみません、でも見慣れないものばっかりで。村は空と羊しかなかったから、すごく気になるんですよ」

「我らの為すことを忘れたか?」

「忘れてはいませんけど」


 師匠はぎろりと琥珀色の瞳でシリルを睨みつけ、呆れたように言った。


「本当かのう……」

「お師匠さまのお手伝いをするのが僕の役目、でしょう? わかってますって」


 力説するシリルだが、師匠にはたかれた頬にはまだ赤みが残っていた。「格好がつかんな」と師匠は愚痴をこぼしたが、それ以上の追及はやめたようだ。


「まあよい。街に入ったらまずはその田舎者全開の衣服をどうにかしろ。変に目立ってかなわん」

「僕たちがじろじろ見られているのはお師匠さまが珍しいのもあると思いますけど」

「他人のせいにするでないわ、小童のくせに」


 早く行け、と師匠に小突かれ、シリルは追い立てられるように街の入り口に向かった。王国西方の守護を目的として作られた要塞都市。その名前に偽りなく入り口からすでに物々しい雰囲気がある。街に入るのにボディチェックや身元確認を行うのはここくらいじゃなかろうか。

 まるで関所みたいな入り口に黒いトカゲを連れた無防備な青年が一人で向かう、というのもまた場違い感が甚だしかった。入り口には憲兵が二人、両脇に立っている。シリルを見て瞬時に胡乱な眼差しが交差したが、シリル自身はおっとりした口調で目的を告げた。


「あの、すみません。この街に入りたいんですけど」

「身分証明書は?」

「あ、はい。これです」


 事前に別の街で発行してもらっていた身分証明書を手渡す。


「フェルディア村?」

「はい。ここから北に山を登ったところにあるんですけど。空がきれいで、羊がいっぱいいる村ですよ。いいところです」


 シリルの後半の言葉にはさほど興味を抱かなかったようで、憲兵二人は淡々と手続きを始めた。書類の確認、ボディチェック、持ち物検査。街に入るのにいちいちこんなことをしていたらお出かけなんてしていられない、とシリルは欠伸を噛み殺しながら考えていた。

 審査が終わり、入ることが認められたのは四分の一刻十五分経ってからだった。

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