レジの店員の話

秋野清瑞

レジの店員の話

「合い挽き肉298円、鯖が半額で150円、玉子180円、ホイップクリーム211円、ショウガが108円、合計で947円になります。」


 誕生日か。


 彼女が小銭を差し出す前にそんなことが浮かんだ。

「947円ちょうどいただきます。ありがとうございましたー。」


 作業着の彼女はこの時間帯の常連で(とはいってもこの小さな街のスーパーにはほぼ常連さんしか来ないのだが)、いつも人間の言葉を話しだしそうな動物がパッケージのお菓子やジャガイモ、人参、玉ねぎをまとめ買いしている。前に財布にぼろぼろの紙きれが入っているのがレジを打つ視界の端に見えたことがある。


 スーパーのBGMが遠くなり、県営住宅の一室で小学生の男の子と先ほどの彼女の姿が浮かぶ。女手一つで息子を育てる彼女の家庭は裕福ではないが、とても幸せそうに見える。明日は息子の好きなハンバーグとケーキを手作りして誕生日を祝い、その次の日は魚があまり好きではない息子に鯖の醤油煮を勧めながら「好ききらいしちゃだめでしょ。魚は体にいいんだから。」と言う。渋々食べる息子だが、数十年後この光景を思い出し、母の愛情の大きさに涙するのだろうと思ったところで聞くだけで胃痛のしてくるBGMが遥かから聞こえ、それと同時に、意識が県営住宅の一室からスーパーに戻った。


 自分のレジと周りを見回すと別に客が待っているわけでもないし、他のレジが混雑しているわけでもなくほっとした。ただこんなことは稀ではなく、私の勤務する18時から23時の中でもこの20時以降はいつも客足がまばらなのだ。品出し等もなく、言ってしまえば暇なのである。そのため、いつしか客の買い物からその人の生活を想像する癖がついてしまった。むしろ最近では無意識に想像の世界に飛んでしまっている。


 しばらくぼーっとしていると常連の主婦が機嫌よさそうにレジに向かってきた。

「・・・・合計で3,366円になります―1,634円のお釣りです―ありがとうございました」

 …はじめから結婚しなければいいのになあ、と連日ため息をつきながらビールを買いに来るあの主婦を見てそう思っていたが、彼女は最近「プロテイン 大きなココロづくり」を買うようになってから機嫌がよさそうだ。漢方などを配合し、精神を穏やかにする作用を持たせているらしい。しかし、きっと彼女はこれを自分で飲んでいるのではない。夫に飲ませているのだ。いつも酒を買ってこいと怒鳴るような癇癪持ちの夫を、そんな薬でごまかしてまで一緒にいる意味とはなんだろうか。なんだかやるせない気持ちになっていたところにいつもの男がやってきた。



「弁当1点が半額で210円です。」ついに1人分の半額弁当か…。

 男はレジをしている間にもスマホをちらちらとみて落ち着きがない。少し睨んで

「ありがとうございました」と言うが、真意は男に全く伝わっていない。

 あの男は半年くらい前までよく奥さんと一緒に買い物に来ていた。しかしいつからか、男は一人で来るようになった。買い物時代も前によく買っていたお酒ではなく、若い女の子の好きそうなフルーツやゼリーばかりが浮ついた様子でカゴに入っていた。


 ふっと部屋が浮かぶ。生活感もあるが片付いた部屋。夫のスマホを見る妻の姿。女の子からのたくさんの着信を問いただしたところ、夫は会社の若い部下と浮気していたことが判明する。男女関係において潔癖の気がある妻は夫と距離を置いた生活を始めた。家庭内別居というやつだ。妻は洗濯もご飯も買い物をする場所も、何を持っても夫と同じことを嫌がった。そんな2人の生活の寂しさは夫の自尊感情を着実に削っていき、そこを補うように夫はまた浮気相手の家に通うようになった。しかし、ついに今日妻は決意したのだ。帰宅後この男はしばらく座っていなかったリビングのテーブルで半額の弁当を食べるだろう。部屋は暗く、寒い。スマホに照らされて浮かび上がる顔は浮気相手のSNSに一喜一憂しており気味が悪い。


「佐伯さん、代わります。」

という声が聞こえ、はっと我に返る。


「深夜も人少ないといいんですけどね、これまでは結構お客さん来ました?」

隣に23時からのシフトの黒川くんが来ていた。この店は最近流行りの24時間営業スーパーというやつで、深夜の時間帯はこの子のように大学生が多く入っている。バイトの大学生同士は飲み会などもしているみたいだが、短大を出て数年フリーターをしている私は誘われたことはない。誘われたとしても、飲み会と称した出会いの場には死んでも行きたくない。


 「黒川くん、まだ23時まで10分もあるでしょ。まだ少し休憩してきたら?」

 「いやいいんですよ。それより、佐伯さんこそ10分早く上がっちゃえばいいのに」

 「それができたらいいけどね。タイムカードに時間記入しないといけないし。」

 「じゃあ10分間ここで2人で話して時間つぶしましょうか、客来るなよー、なんつって。」


 前に黒川君に2人でご飯に行こうと誘われたことがある。断ってからもよく私に話しかけてくれるが、あどけないこの陽気さを見ていると父を思い出して、少しだけ、苦しくなる。


 私の父は、明るくてよく笑う人で、親戚の集まりではムードメーカーになっているのを何度も見た。けれど、わたしが小学生の頃、浮気が原因で母と離婚した。笑顔で「じゃあな。」と言った父の顔を忘れない。わたしは母のすすり泣く声となぜか濡れている頬をぬぐいながら、いつも笑っている人はやはり笑いながら人を傷つけるのだな、と思った。それ以来わたしは、明るい人や笑顔も恋も結婚も愛も信用しておらず、否定はしないが一種の宗教みたいなもので、すがりたい人が心の拠り所にしている靄のようなものだと思っている。


 昔のことを思い出したせいか、なんだか頭がぼーっとする。少し疲れもたまっているようなので、スーパーのレジの前で一人23時になるのを待って、早めに家に帰り、寝た。


 次の日起きると、頭は痛いし手足や腰は重く、今にも体全部が布団に沈み込んでしまいそうだった。スーパーに病欠の連絡をすると、少しため息をつかれたがこればかりはしょうがない。今後体調管理を改めるとして、今日は一日眠りこけることにした。朦朧とする意識の中で、レジのカタカタジャリンという音といつものBGMが繰り返していた。すると遠くからシングルマザーの旦那の男が歩いてきて私を殴ったかと思うと別の男がビールと白い粉をぐちゃぐちゃに混ぜ私に飲ませ、半額弁当の男はそれを見て笑っていた。またその後ろで半額弁当の浮気相手を父が抱きしめていて、急に黒川君が現れたかと思うと全てが混ざり、押し寄せてきて目が回り、吐いた。


 目が覚めるとすっかり翌日の昼になっていて頭痛もだるさも少しはましになっていた。だけどやはり仕事はできそうにないので、スーパーに電話してため息をもらった後、支度をして病院に向かった。今日は土曜日で少し向こうの病院しかやっていないようだった。車も持っておらず、自転車に乗るのも心もとない体調ではあるけれど、タクシーを呼ぶお金はないのであきらめて歩いていくことにした。


 スーパーの前を見つからないように歩き、大通りを抜け小道に入ると小さな墓地があった。一人でこの地に越してきた私には縁のない場所なので特に気にも留めず通り過ぎようとしたら、手前のお墓の前にいる人の顔に見覚えがあった。あのシングルマザーだ。しかし、彼女の隣には男がいて、二人は寄り添いながらお墓を見つめているようだった。お墓には少ししおれてはいるがたくさんの花と、動物のキャラクターのお菓子が供えられていた。通り過ぎるときに「本当だったら雄太も昨日で9歳だもんな」と男の声が聞こえて、彼女の嗚咽が聞こえ、それは何かに抱きしめられているようにくぐもっていった。


 墓地の脇の道を歩き、河川敷に出ると熱っぽい頭には心地よいさわやかな風が吹いていた。春には運動を始める人が多いと聞くが、これほどまでに多いのかというぐらい河川敷には走っている人や手を大きく振りながら歩いている人でいっぱいだった。なんだか普段着でのろのろと歩いている自分を恥ずかしく感じたが、前を歩いている夫婦も同じようなむしろ少し遅いスピードで歩いていたので、まあいいかと思いつつ、妻の方を見ると驚いた。それはいつもプロテインを買っていく主婦だった。2人ともなんだか難しい顔をしていて無言が続いていたので、後ろを歩いているのが気まずくなってスピードを上げて追い抜こうとしたとき、夫が口を開いた。


「俺、知ってたよ、プロテインのこと。お前の代わりにビール買いに行ったときに、プロテインのコーナー見ちゃったんだ。はじめは、『大きなココロづくり』って書いてあるの見て、その、めちゃくちゃ腹が立ったんだけどさ、なんか、お前につらい思いさせてたんだなと思うとすごい、悪かったなと思って、それから俺少しずつだけど変わろうって思えたんだ。」

 わたしは夫婦に追いつかれないように、追い抜いたスピードのまま息をきらし歩いた。


 河川敷を下りて、もう少し歩くと病院に着いた。そこは内科、婦人科、産婦人科が一緒になった病院で、産婦のために土日も空いていることが多いとネットに書いてあった。入口に入り、受付をして待合室で待っていると、あの半額弁当男が待合室を横切っていった。男はそのまま産婦人科とその入院施設のある2階に上がっていった。わたしはそろそろ熱も上がってきていたが訳も分からず男をつけていくと、ちいさな面会スペースで寝間着姿のあの奥さんと話していた。


 そのとき、急に頭に血が上ったようになって目が回り、立っていられなくなり、その場にうずくまると、その奥さんが「あなた大丈夫!?」と言って男と一緒にかけよってきて、ふわっとミルクのにおいがした。それと同時に下の階からランニングウェアのあの夫婦や墓地にいた夫婦がやってきてハンバーグとケーキをわたしの口にぎゅうぎゅうと詰め込んでくるから吐いた。すると父が小さい頃のように優しく頭を撫でてくれてまた吐いた。


「佐伯さん、佐伯さん!聞いてますか」

 気が付くと、22時58分のレジの前にわたしは立っていた。訳が分からずぼーっとしていると、「だから、明日2人でご飯に行きませんかって聞いてるんですけど…」と黒川君が言っていたので、わたしは少し考えてうなずいた。


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