第9話 帰ってくる場所

 お盆がやって来る。

 うちは一応、本家なので親戚がそろそろと集まる。と言っても泊まっていくことはほとんどなくて、15日にちらっと顔見せに来るくらいだ。

 そんなわけでわたしと蓮ちゃんは頼まれてお墓掃除に行った。お墓はうちの家庭菜園とは比べ物にならないので、虫除けスプレーを念入りに振り撒く。暑くない午前中に薄手のUVカット素材の長袖パーカーを着込み、長いデニムパンツを履いて、首元にはタオル、手には軍手。更に帽子も被る。これでも刺される時には刺されるんだから不思議だ。

 鎌を持って、まずは草刈りだ。

 わたしも蓮ちゃんもこの辺は黙々とやる。

 ご先祖さまには悪いけど、早く終わらせたい一心だ。とは言え、お母さんがたまに来ているのでそれほどの草はない。

「喉乾いたー」

「麦茶の水筒、あるよ。氷入りの」

 お墓の入口の石段に二人でしゃがんで交互にお茶を飲む。ぷーんと嫌な音が漂っている。一匹ではなさそうだ。……親戚以上家族未満なので今日の

ボトルは1本だ。

「麦茶って美味いよなぁ。麦茶飲むと千夏のとこ、思い出す」

「都会にいても? 麦茶なんてやかんに入れて5分も煮出せばすぐだよ。水出しもできるし」

「うちは千夏が言うほど都会ってほどじゃ全然ないよ」

 照れくさそうに蓮ちゃんは笑った。陽子さん、つまり蓮ちゃんのお母さんは仕事しやすいように今のところに越したくらいなんだから、都会だろう。不便がないってすばらしい。

「いつも学校行ってる日、お弁当とかどうしてるの?」

 ここで、また答えられても何もしてあげられないことを聞いてしまい、そんな自分にがっかりする。

「いつも? 起きたら食パンと牛乳。で、慌てて家を出て学校の売店で運が良ければご飯もの、悪ければ昼もパンを食べるわけだ」

「……栄養は?」

「そんなもんは千夏の家に置いてあるんだよ。また今度来る時のための楽しみにね」

 ふぅん、と相槌を打ったのは、なんと言ったらいいのかわからなかったからだ。

 家にいればいつでも蓮ちゃんの好きな収穫したばかりの野菜をたくさん食べさせてあげられるのにな……何しろ「うちの分」と言いつつ、余るほどできるから。

 そう考えて、それでは蓮ちゃんと四六時中一緒にいたいみたいじゃないかと、勝手に赤くなる。

「千夏? 顔赤い、暑いんじゃないの? あともう少しだから俺やっちゃうよ。お堂の方で涼んでたら?」

「大丈夫だよ、うちのお墓だしさぁ」

 そうなのだ、このお墓はうちのお墓で、うちとは血縁関係にない蓮ちゃんにはまったく関係の無いものだった。いつかはわたしもお嫁に行って他のお墓に入るんだけど、わたしの場合、少なくともご先祖さまはここにいる。

「もし、俺が千夏と……」

「俺が?」

「ううん、何でもないよ。この墓には入らないんだなって思っただけ」

 なんでもないとか変なの、と箒を動かす。ご先祖さまが帰ってくる準備は大体できた。

「あー、暑かった!」

「やっぱり暑かったんじゃないか、無理すんなよ」

「あの状況で暑くないなんて有り得ない。蓮ちゃんだって汗、すごいよ」

「あの状況で汗かかないとか有り得ない」

 わたしたちはお互いの目を見合わせてくすくす笑った。そこには長年知っているからこその親密感があった。

 長袖を脱いで、タオルと軍手を外すとそれだけで世界が違って見えた。涼しい風が、ひとつに結んだ髪の脇を通り抜けていく。

「放課後はやっぱり遊びに行く?」

「どこへ?」

「えーと、スタバとかカラオケとか、ファミレスとかマックとか」

「行かねーよ。そんな金もないし」

「近いのにもったいない」

「ここにだってあるじゃん、スタバ以外は。ファミレスなんかうちの方より多いだろう?」

「……バイパス道路に出ればね。あれは駅から徒歩圏内とは言わないよ。もっともわたしは毎日自転車で横断してるけどさ」

 情けない気持ちになってくる。

 地元の友だちと遊ぶ時はバイパス沿いまで、まるで遠征だ。みんなでぞろぞろ歩いて遊べるところまで行くんだ。

 駅近に、せめてあの小さな商業施設の周りにそれらがあったら、もっと気軽に別の高校に行った子とも遊べるのにな、と思う。

 蓮ちゃんの住んでいるところはそれが叶うのに、目の前にあるからこそ、その恩恵は当たり前になってしまって感覚が麻痺しちゃうんだろうか?

「俺はそんなのよりバイトが忙しいし」

「バイトしてるの?」

「してるよ、うち、片親だぞ、忘れてんの?」

 忘れてるわけじゃないけど……。確かにそれじゃ遊び呆けてはいられないか。携帯代くらいはせめて自分で払わなくちゃいけないだろうし。

「何やってるの?」

「コンビニ。週三」

「週三? え、夏休み、ここに来てる間困らない?」

「困るよ。だから代わってもらってる。田舎に帰るからって。間違ってないだろう?」

 どういうことだろう? 世の中で一番よく知っているはずだった男の子に、こんなにたくさん知らないことがあるなんて。

 困惑する。わたしの知らない蓮ちゃんがたくさんいる……。例えば、彼女がいたり。

 とても聞けないけど、彼女といる時の蓮ちゃんはどんな感じなんだろう? 自惚れかもしれないけどわたしは蓮ちゃんにかなり甘やかされている。彼女さんには、更に輪をかけてやさしいんだろうか……。想像の範囲外だ。

「千夏の方がずっと恵まれてるよ。って、こんな言い方したくないけどさ。俺、ここ好きだよ。『帰ってくる』って言葉を使わせてもらえて、贅沢だと思ってる」

 ずーっと続くかと思う青い稲が風にざざざんと波のように揺らされる。そのうねりは海を想像させる。うちから車で30分も行くとそこは海だ。観光地の一歩手前という時点でも笑っちゃうくらい田舎だ。

 それでも、ここは蓮ちゃんの「帰ってくる」唯一の場所だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る