第11話 悪魔の家と201号法廷

 



【木村 冬眞 十一】


 家に上げてもらうと、中はあまり綺麗な状態とは言えなかった。


 ――独りで住まわれているのだろうか……母親は精神を病んだと書いてあったが……


 娘がそんな風に殺されたら、精神を病んでも仕方がない。僕はひすみさんのお母様の異常なまでに痩せた姿を見て酷く気の毒に思った。


「大したものはないですが、良かったらどうぞ」


 と、お茶菓子を出してくれた。

 煎餅と饅頭。僕は酷く申し訳なくなり、大丈夫ですと断ったのだが押しが強くて断り切れなかった。そんなに痩せているのだから、自分で食べてくださいと言うのは気が引けた。


「それは娘が好きだったお菓子なんです。たまに買ってきてはみるのですが……食べるのはもう私しかいません」


 悲し気にひすみさんのお母様は声を震わせる。


「あの、突然お邪魔して申し訳ございません。実は……関野教授が先日亡くなりまして……最期のときに……この事件のことを聞きました。解決してほしいと……」

「関野教授、亡くなられたんですか……」


 驚いてひすみさんの母は口元を押さえる。言わない方が良かっただろうかと僕はしばしの後悔を募らせる。


「娘は……関野先生とのことを楽しそうに話していたんですよ。すごい教授なんだって。プライベートでもご飯に行ったり、話したりしていたようで……、父親のいない家庭なのもあって、父親のように感じていたのかもしれませんね」


 ――ひすみさんの家も父親がいないのか……


 僕の家も父親がいない。片親の大変さは僕も母さんを見ていて解る。


「関野教授が、この事件に僕が恐らく関係があると、遺言を遺されたんです。なんでも、お嬢様は僕のことを知っていたようで……僕も何度かお会いしたことがあるようなのです」

「娘とですか? …………今となっては、もう解決するのは諦めています。最近になってやっとメディアの方もこなくなって落ち着いたところなんですよ」


 ひすみさんのお母様はハンカチをとり、それを目に当てる。泣いているところは見せまいと顔を背けていた。


「『悪魔の家だ』とかって、壁にいたずら書きされたりもしましたが、それもやっとなくなったんです」


 外の壁の無理やり塗り直したような跡は、それを隠すためのものだったのかと考えると、僕はますます心が痛んだ。


「この家は、娘が働き始めて少しして自分でローンを組んで買った家なんです。娘が亡くなるとローン返済しなくてよくなる保険に入っていたのですが……嬉しくないです。そんなことよりも娘に生きていてほしかった…………」


 すすり泣く声。僕はなんて声をかけていいか解らなかった。


「だから、絶対守ろうと決めたんですけど……正直もう、どうしていいか解らなくて……」

「そうだったんですか……」


 ひすみさんのお母様は涙を懸命に拭いていた。


「あの……差し出がましいかとは思いますが、お嬢様のお部屋に入ってもよろしいでしょうか?」


 その言葉を聞いた瞬間、ひすみさんのお母様の表情は強ばり身体が震えだした。


「入ったら……駄目です……あの部屋は……」

「…………………」

「未だに入りたくないんです……。不気味で……何度か入ろうとしたときもありましたが……得体のしれない恐ろしさがあって……あの部屋に入った人たちが何人も発狂しています……」

「……そう伺っていますが、確かめなければならないのです……教授の遺言もありますし、なにより事件の解決の糸口を掴みたいんです」


 恐ろしい気持ちは勿論あったが、真相を知るには入るしかない。どうしてもそこに入らなければならないと僕は確信していた。


「僕なら大丈夫です。まずいと思ったらすぐに出ますから」

「……ええ……解りました……」


 ひすみさんのお母様はそれでも震えていた。

 おぼつかない足取りで2階に登っていった。僕もそれについていく。2階は3部屋に分かれており、その内の一部屋がテープで閉ざされていた。

 テープで閉ざされていない部屋を開け、僕に見せてくれた。


「娘は2階を2部屋使っておりました。こっちは娘が好きだったぬいぐるみを置くための部屋です」


 中を見せてもらうとソファーとテレビとゲーム機器が置いてあるのが見える。そしてソファーの周りには大量のぬいぐるみが置いてあった。全て同じキャラクターのぬいぐるみだ。返り血のついているクマの可愛らしい表情のぬいぐるみ。裕に30体以上はあるだろう。大きいものから小さいものまで。返り血がついているそのクマのぬいぐるみの量に、僕は少しだけ狂気を感じる。


「ゲームをするときや、映画を見る時などに使っていただけの部屋です。あまり女の子らしく育ちませんでしたが、このクマのぬいぐるみを集めていたことだけは少しだけ女の子らしい一面だったのかなと思います……毎年、娘の誕生日になると今でも買ってあげてこの部屋に置いているんですけど……」


 その部屋の扉を閉めると、もう一方の部屋のテープをお母様は剥がそうとする。しかし、手が震え始めてなかなか剥がすことができずにいるようだった。


「あの……無理だったら、僕だけで入りますから……」

「すみません……。お願いしていいですか」


 お母様は涙を拭い、僕に頭を下げる。僕はテープをゆっくりと丁寧に剥がした。


「娘は……部屋に入られることを極端に嫌っていました。何度か掃除の為に入ったときはいつも怒られました……少し物が動いているだけでもすぐに気づく子で……」


 相当に、記憶力と自己愛が強い人間だということが容易に想像できる。自分の世界に引きこもりがちなのだろう。

 教授の手記のイメージとは少し違う。外にいる時はまるで仮面を被っているかのような、酷く自閉的だ。


「そんな方が、部屋に誰かを入れるとは考えづらいですね……」

「そうです……それに、あの子は自己防衛の意思が強くて……部屋にナイフや竹刀、模造刀なども置いていました。私にも正当防衛の方法を教えてくれました……。眠っていても物音が少しするだけで目を覚ますような子です。誰か入ってきたならすぐに解るはずです」


 酷く神経質だったことがうかがえる。何かに怯えて生活していたのだろうか。


「……でも、誰も入ってきた気配もなかったですし、出て行く音もしなかった……。失踪していたのにある日はっきり話し声が聞こえました。空耳だったとは考えづらくて……」

「なんと言っていたか、覚えておられますか?」

「よくは聞こえなかったですが……『いざとなると少し、躊躇いもある』とか『契約』がどうとか言っていたのは覚えています……」


 どういう意味なのか、全く解らなかった。僕がいぶかしい顔をしてテープをはがし終わった部屋の前でひすみさんのお母様の方を向き直る。


「こんなこと……言いたくないですし、今まで誰にも言っていませんが……」


 泣きながら、酷く躊躇い口をつぐみ、そして数秒後にやっと口を開いた。


「娘は悪魔崇拝をしていました」

「悪魔崇拝ですか……」


 魔法陣と何か関係があるのだろうか。真っ先にそう感じる。

 それよりも、教授の手記とあまりにかけ離れている人物像に僕は驚いた。現実主義の聡明な方だという印象を受けたのだが。


「あの……大変失礼かと思いますが、娘さんは何か意味不明なことを口走ったりしていましたか? 根拠のない妄想を口走ったり……」

「いえ……そういったことは全くなかったです。むしろ科学や医学等が好きで、非常に現実的な子でした。占いなどは嫌いで全く信じていませんでした」


 ますます人物像が掴みづらい。しかし、二面性のある人間は珍しくない。とはいえ、これは極端過ぎる例だ。

 解離性同一性障害でも患っていたのかと疑いたくもある。


「部屋の中を見させていただきます。お母様は……お辛いのでしたらお待ちください」

「わかりました……よろしくお願いします。あと……これ、娘の鍵束です。部屋に開かない箱があるようなのですが……自分で開ける気にならなくて……開けていただけませんか」


 ジャラ……


 と、重々しい音がした。色々な鍵が一緒くたにまとめられていて、統一感はない。僕はその、鍵が十以上ついている鍵束を受け取り、扉を開けてその事件のあった部屋の中に入った。




 ◆◆◆




【水鳥 麗 十一】


 結局ラファエルを振り切って裁判所へ到着した。何故あんなにも裁判所に行ってはいけないと言ったのだろう。

 初めて彼の言葉に背いた。一体どれほどの酷い結末が私を待ち受けているのだろう。被告人が暴れ出して私を絞め殺したりするのだろうか。

 そんなことを考えながら京都地方裁判所で手荷物検査を受ける。カッターナイフやスプレー缶は一時的に預かりだ。

 その手続きを終えて、裁判の予定表を探した。東京地方裁判所とは異なり、裁判の予定表はファイルに綴じられている紙の予定表だった。


 ――なんか、東京と温度感が違うな……


 紙をめくって見ていて、一つの事件が目に飛び込んできた。


【殺人・殺人未遂】


 ――殺人……


 殺人を犯す人間というものの心理を私は知りたい。

 何故人を殺してまで成しえようとするのか。殺してまでなにを成しえようとするのか。頭にそういった思考がめぐる。

 201号法廷と書かれていた。


 ――ここか……


 その法廷を私は目指した。正面入り口から入って中央に2階へ登る階段があり、私はその階段を登って右にある法廷がその201号法廷だった。

 その法廷の前には係の人が立っていて、警備をしているようだった。恐る恐るその目を気にしながらも扉を開けると小さな中間の部屋があり、奥の左右にそれぞれ重々しい金属の扉がついている。

 そこから法廷に入ると、物々しい空気が漂っていた。

 かなりの数の傍聴人がそこにいて前方を静かに見つめている。私はキャリーケースも持っていたので、邪魔にならない一番後ろの空いている席に座った。

 他の法廷よりも壁の装飾が豪奢だ。草の模様だろうか? 金色のその壁紙を私は目で追った。

 私は裁判の内容に耳を傾けた。


「では被告人を呼んでください」


 と裁判長が被告人を呼ぶように書記の人に言うと、書記の人は内線電話をかけた。どうやら被告人尋問の前に滑り込んだようだと私は知る。

 殺人だなんてどんなクズ野郎がでてくるのだろう。

 私は内容のメモを取るためのペンをくるくると回しながら、ラファエルの事を思い出していた。


 ――なんであんなに必死に止めたのだろう。今警察から逃げ切っただろうか。捕まっていたらどうしよう……


 急に罪悪感が私に巣食う。


 ガチャリ。


 向かって右側の扉が開いた。被告人が手錠をかけられ、腰に紐をまかれた状態で入廷した。



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