人生旅日記・鷹と小雀

大谷羊太郎

鷹と小雀 ~終戦の日に寄せて~(前編)

  足の向くまま あてどもなしに

  流れ流れて 白髪に変わり

  たどり着いたぜ このシリーズに

____________________


 今年も終戦記念日が近づいてきました。この頃になると、私などどうしても、中学初年級だった戦時中の記憶を、感慨深く思い起こしてしまいます。


 私の家は、東京から少し離れた郊外にありました。その日、私は人家もない田舎道を、一人のんびりと歩いていました。ふと視線を、正面空遠くに向けると、そこに小さな黒いものが、ポツンとひとつ浮いているのに気がつきました。

(あ、あれはアメリカ軍の戦闘機だ)

 日本の空軍機は、もうないも同様。先刻、大きな爆撃機の大集団が、東京方面に向って行きましたから、米戦闘機群も現場でそこに合流したのでしょう。

 あれこれ考える前に、その黒点はみるみる姿を膨らませながら、まっすぐこちらに向ってきます。

 こんなとき、どうするか。日頃、先生から強く強く言い聞かされている緊急時の心得が、耳の奥で再生されます。

「すぐに、身を隠す場所を探して走り込め。もし、そのような場所がそばになかったら、絶対に体を動かさず、石のように固まっていること。ただし飛行機は滅法速い。あわてて少しでも動けば、もう逃げられないものと思え」

 動かなければ、空から見下ろしても、人間の姿には見えないのだとか。先生のこの言葉を、忠実に守ったお陰で、こうして今でも生きていられるのです。

 獲物を探していた飛行機は、ぐんと低く降りてくると、いきなり方向を変えました。速度も遅くなった。そして私の目の前を通過したのです。私には、操縦席に座って、まっすぐ前を見据えている若い兵士の横顔が、実にはっきりと見えました。感じの悪くない青年でした。もし彼が、無意識のうちにでもこちらを見たら、いくら私がじっとしていても、この近さなら、人間だとわかるはず。

 そのときは、どうなっていたか。まずは私の命はなかったでしょう。


 身近な空襲の体験はこれだけではありません。まだ少年だったあの当時、とりわけ印象的だったできごとがあります。心の中に焼き付いたそのときの光景は、死ぬまで消えることはありません。

 空襲は毎日ありました。爆撃機がしっかりと編隊を組み、轟音を撒きながら、私の家の真上を東京方面に向ってゆきます。体をぐるりと回して、後ろの空を眺めます。

 先頭が視界から消えているのに、後方の空には編隊機が、まだ後から後から現れてくる。つまり空一面を、爆弾を積んだ米軍機が占めているわけです。

 当時は毎日の見慣れた光景に過ぎませんでしたが、今、平和な時代に思い起こすと、なんと恐ろしいことでしょうか。

 この町にも、高射砲陣地はありました。最初のうちは、発射音が聞こえました。しかしそのうち、音もしなくなった。なぜなのか。

 米軍爆撃機の腹部は、特殊な鋼鉄で覆われている。日本の高射砲の弾丸には、それを貫通する力がない。つまりやっと敵機に命中しても、打ち落とすことはできない。

 真偽のほどはわかりませんが、そのように聞いていました。つまり敵は、まさに傍若無人、勝手気ままに飛んでいるのです。私の住む町など、爆弾を落とす価値もないと判断したのでしょう。一糸乱れぬ隊形で、ゆうゆうと飛び抜けてゆきます。

 ですから地上にいる私も、恐怖はまるで感じません。ただ複雑な想いで、空を見上げているだけです。


 そんな時間が過ぎ、空から機影は消えました。東京に着き、思うまま市街地を爆撃しているに違いない。彼らは帰りには、もうこちらには来ず、直接海に出てしまいます。

 南にある島の基地から、日本に向うコースは二つ。東側組は銚子から本土に入って、西に向う。西側組は富士山を目標に北上し、静岡県の御前崎から侵入して、東に向きを変え、東京の空を目指す。

 空襲がはじまると、編隊も乱れてしまい、ちょっとした操縦操作のせいでしょう、東京を離れることもしばしば。先ほど書きましたあの戦闘機も、そうした一機だったと思います。

 こうしたはぐれ飛行機は、すぐに東京に引返してしまいます。あの一人乗りの戦闘機の場合も、あっという間に姿を消しました。


 ある日のことです。この日も、編隊からはぐれた米軍の爆撃機が一機、我が町の上空に姿を見せました。ここで爆弾を落とすようなことはないので、私もまったく警戒心など持たず、空に浮かぶ巨体を見上げていました。

 すると、また別な一機が登場してきたのです。こちらは爆撃機のような巨体ではなく、小型の戦闘機です。私は、あっと思いました。それはアメリカの艦載機などではなく、なんと日の丸のついた日本空軍機だったからです。

 日本の空に、日本空軍機が現れて、なぜ衝撃を受けたのか。読者の皆様は、不思議に思われるでしょう。恥ずかしながら、事情を言います。その当時はもう日本には、敵を迎え撃つだけの飛行機がなかったのです。

(いよいよ、空中戦がはじまるぞ)

 私は緊張しました。大空を背景にして、二機が戦います。一方は巨体。それにくらべてもう一方は、いかにも小さい。

 勇敢な日本軍ですから、身軽さを活用して、巧みな戦いを展開するはず。そのとき思い出したのは、米軍爆撃機の外装の堅固さです。耳にした話では、高射砲の弾丸も歯が立たないとか。それなら、小型戦闘機に搭載した機銃ぐらいでは、太刀打ち出来ないのでは。

(そうだ、操縦席を狙えばいい)

 そこは鉄鋼ではなく、前方を目で見るために、透明板を使っている。あそこなら、こちらの弾丸も、きっと貫通するぞ。素人考えで想像して、胸をときめかせました。

 どこから攻めてもだめなのであれば、たった一機で立ち向ってゆくはずはありません。

 それにしても、両者の大きさには、桁違いの差がある。鳥にたとえれば、鷹と小雀です。雀が鷹に刃向って勝てるのか。


 このときの二機の位置関係ですが、米軍の爆撃機は機首を、私から見て左に向けていました。そして日本の戦闘機は、遙か右の方向から現れ、低い高さで左方にと飛んでいます。

 米軍機はかなり高い場所にいる。そして戦闘機は、それよりもぐんと下方を水平飛行しています。しかしその動きはいかにも機敏です。

 戦闘機のスピードが、さらにあがった。そして機首を真上に向けたかと思うと、あれよあれよという間に、米軍機の胴体目指して、そのまま突っ込んでゆく。

 あっという間に、戦闘機はフルスピードで、米軍機の巨体に激突。戦闘機の片翼がもぎ取れて機体から離れ、下に落ちてゆく。機体がこれほど破損したからには、機内の損傷もかなりのはず。壊れて機外に飛び出した小物の類が、バラバラになって落下してゆきました。戦闘機自体も、むろん墜落です。

 では、急襲を受けた米軍爆撃機はどうなったか。激突の瞬間、大きく左右に揺らぎはしましたが、そのまま浮いています。

 私の目は、爆撃機に釘づけです。いくらか高度が下がったものの、無傷で浮いているように見える。そして少しずつ前に進んでいます。

 しかし進みながらも、がくんという動きで、何度も高度を下げます。スピードも落ちてゆきます。そして、このような低空飛行を続けているうち、その姿が見えなくなりました。視線の先の地面が、樹木の茂った丘になっているせいです。敵機は、その森陰に隠されてしまいました。


 いつの間にか、夕暮れが迫っていました。姿は見えなくても、私の目は森陰に向けられたままでした。少しずつ高度を下げるというあの状態で、ゆっくりと左手にと前進しているはず。すると、今は森陰のあの辺にいるのかな。

 そんな想像をしていると、そのあたりに、突然、明るい光が、ぱっと閃いたのです。閃きが収まっても、そこは明るくなったまま。光度は少しも衰えず、むしろ強まってゆく感じさえする。なにがそこで起きたのか、想像するのは容易です。

 爆撃機は、衝突のショックで、かなりの損傷を受けた。その瞬間にはこらえたが、それ以上は無理だった。なんとか、しばらくは機体を浮かせていたものの、耐えきれなくなって地上に激突。機体は炎上した。

 その一切を、あの光が私に教えてくれたのです。森陰に現れた光は、一向に衰えず、むしろ勢いを増して、薄暗くなってゆく夕暮れの中、森の形を鮮明に浮き立たせていました。(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る