召しませ我らが魔王様~魔王軍とか正直知らんけど死にたくないのでこの国を改革しようと思います!~

紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中

1.勇者が攻めて来ますので、我が軍を率いて何とかして下さい

「魔王様」


 赤い革張りが年代を感じさせる、日常生活ではついぞお目に掛かれないようなアンティーク調のひじかけ椅子が一脚、薄暗いホールのひな壇にどでんと置かれている。

 そんな映画にでも出てきそうな椅子が景色から浮いていない理由は一つ、この空間全体が洋館のような内装だからだ。大きな窓の外は落ちてきそうなほど暗い雲が垂れ込め、ゴロゴロという音の合間に時おり稲妻が光る。椅子は浮いていない。この部屋で浮いているのはその椅子に座らされている私の方だろう。だってビジネススーツ、だってストッキング一枚のほぼ裸足状態。


「暗黒城への帰還、誠にお喜び申し上げます」


 視線をグググとぎこちなく正面やや下に向けると、跪いて柔らかい笑みを浮かべる一人の男性が目に入る。耳にかかる程度の金髪をさらりと揺らし、仕立ての良いバトラーのような服装をピシッと着こなしている。よく晴れた冬の空のような瞳を細めた彼は、微笑みながら華麗にムチャ振りをしてきた。


「つきましては勇者が攻めて来ますので、我が軍を率いて何とかして下さい」

「……え?」


―召しませ我らが魔王様―


 言ってる事の半分も理解できなくて思わず間の抜けた声が漏れ出る。ま、待った。状況をよく思い出してみよう。ついさっきまで私は自宅のアパートに居たはずだ。


 ――やったぁ、やったぁ、なーに着てこっかな~!


 今日の私は一言でいうと有頂天だった。憧れの先輩へのお誘いが成功して、次の日曜に一緒にお出かけする約束を取り付けることができたから。帰宅するなり着ていく服を上機嫌で選ぼうとしたのも無理はないと言える。

 事件は慣れ親しんだクローゼットを浮かれ気分で開け放った瞬間起きた。ささやかなチェストと冬用コートの代わりに虹色が渦を巻く異空間がコンニチワしたのである。完全に思考が停止した。想像してみても欲しい、いつも使ってるエレベーターの扉が開いて床が無かったら誰だって固まるだろう。ハッキリ言ってそれ以上だ、だって目の前には明らかに現実ではない光景が広がっている。子供の頃、バケツに水を張ってインクを落として遊んだときの事をなぜか思い出した。赤・青・緑・黄色・それらがぐちゃぐちゃに混ざり合って、絶えず新たな模様を描き出している………。

 固まっていた私は背後から吹く風に我に返った。振り向けば一人暮らしのワンルームが普段と変わりなくそこにある。そこでようやく気づいた。これは風じゃない、虹色の亜空間が私を吸い込もうとしてるんだ。

 慌てて扉を閉めようとしたところで足元がふわっと浮いた。叫び声を上げながら取っ手を掴むのだけどスライド式の扉は左右に大きく振れて私を振り落とそうとする。吸引力の変わらないただ一つの亜空間は諦める様子もなく吸い込み続けている。しばらく奮闘していたのだけどついに握力の限界が来た。その瞬間を思い出すと今でもお尻の辺りがぞわっとする。叫び声を上げながら虹色の渦に落ちていき、色の洪水にもみくちゃにされている内にだんだん意識が遠くなって、気づいたらこの椅子に座らされていたんだけど……?


「主(あるじ)様、個人的に言わせて頂くと、あの時の『おぼまァ!?』という叫び声は女性としてどうかと思いますが」

「え、何で知って……」

「無駄な抵抗でしたね」

「犯人ーっ!!」


 慌てて立ち上がった私は少しでもガードするかのように椅子の後ろに逃げ込む。どうしよう、この人誘拐犯だ。海外の俳優にも負けないくらいのイケメンさんが何をトチ狂って私なんぞ誘拐したのか。どういうトリックを使ってうちのクローゼットに仕掛けを? 最新式のカギでセキュリティの高さが自慢ですハハハとか入居の際に言ってなかったっけ訴えてやるくそう、とか目まぐるしく考えていた私は一つの可能性に思い当たった。椅子の陰から少しだけ顔を出し、ぎこちない笑顔で切り出す。


「あのぉ、すみません、こんなおどろおどろしいセットまで用意して貰って申し訳ないんですけど、早めに帰していただけませんかね? どなたと勘違いしてるかは知りませんがうちの実家はフツーの一般家庭でして、とても身代金なんて払えるような身分では」

「金銭など要求しませんよ? 私は貴女と言う存在が欲しかったのですから」


 わ、わぁ、これマジなやつだぁ……。よーしオーケー、一旦落ち着こう、こういう人は下手に刺激しちゃいけない。きっと一般人とはかけ離れた思考をお持ちなんだろう。


「あの」

「はい?」

「あなたはいったい、誰?」


 まずは身元をハッキリさせようと尋ねると、男の人は整った顔立ちを一瞬だけ歪めてひどく寂しそうな表情を浮かべた。不覚にもドキッと胸が高鳴る。


「お忘れですか?」

「え。初対面、ですよね?」

「……そうか、記憶が」


 しばらく目を伏せていた彼は気を取り直したかのように立ち上がって優し気な笑みを浮かべた。耳障りのよい流れるような声が響く。


「申し遅れました、私はリュカリウス。『ルカ』とお呼び下さい、主様」

「ルカさん?」

「さん付けは不要です」

「ルカ」

「はい?」


 ニコやかにリュカリウスさ……ルカは笑う。おわぁ、映画のスクリーンでしか見れないようなイケメンスマイルがこんな間近で。見たところ年上っぽいけど呼び捨てで良いのかな。


 ――って


 なじんでる場合かぁぁぁ!! ほだされるな私! どんなに美形でもこの人は誘拐犯! そっ、そうだ。それに私には立谷(たちや)先輩という心に決めた人がっ!


「お願い、私を早く元いた場所へ帰して! 肉フェスデートが!」

「そうはいきません。貴女はこれから『魔王』として勇者と戦うという責務があります」

「それ! 魔王ってなに? 私ただのOLなんですけど」


 魔王っていうとアレか、ゲームの最後に出て来て「世界の半分をくれてやろう~」とか言いだすあの。私が分け与えられる物なんて個包装されたお菓子ぐらいなものだぞ。あ、いや、半分もあげないけど。


「それもお忘れですか」

「何を? っていうかそれ以上寄らないで! 大声出すからねっ」

「大声出したところで誰も来ませんけどね」

「おまわりさーん!!」


 顔を覆ってワッと泣き出すと、どこからかチッという舌打ちが聞こえた。聞き間違いかと思って顔を上げるも、ルカは先ほどと変わらない爽やかスマイルを浮かべている。……え、誰? この部屋、他に誰か居る? こわい


「話を戻しますよ。主様、あなたは先代魔王の生まれ変わりです」

「私が?」

「あなたにはこれから前世の記憶とスキルを少しずつ取り戻し、元の魔王様に戻って頂きます。よろしいですね?」

「じょ、」


 突拍子もない宣言に思わず声が詰まる。何とか肺からの後押しで声を押し出した。


「冗談じゃない! 私は私よ、他の誰にもならないんだから」

「承諾して頂けないのですか?」

「当然でしょ、早く元居た場所に帰して。出口こっち?」

「……残念です」


 うぅ、そんな悲しげな顔されても。いや、できないものはできないし!


「……」

「あの?」


 呼びかけに応えるように、目を伏せていたルカがスッと目を開ける。私はその目に見つめられ思わず息を呑んだ。澄んだ冬の晴れ空のようだった瞳は暖かみをすべて消し去り、血のような赤へと変化していた。視線に温度など無いはずなのに、ぞわっと全身を冷たい手で撫でられたような感覚が走る。


「できればこの手は使いたくなかったのですが」

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