23 遺品整理

 父との思い出はほとんどありません。

 いっしょの食卓をかこんだことさえ、数えるほどしかおぼえていません。

 そんな言葉が適切かはわかりませんが、父は在野の神官でした。山のうえにあるちいさな祠を管理していて、一年のほとんどをそこですごしていました。外部との交流はいっさいありません。ときどき神殿省の職員がやってきて、正式な登録手つづきをもとめているようでしたが、父は拒みつづけていたようです。

 わたしの母はわたしを生んでほどなく亡くなりました。父はあいかわらず山からおりてこないので、わたしは施設にあずけられます。過不足のない生活をわたしは送っていました、すくなくとも、わたしはそう理解しています。

 父はごくたまにわたしに会いにきましたが、わたしのほうではとくにその訪問によって、感情がうごくこともありませんでした。父もたぶん、おなじだったと思います。顔をあわせてもはずむような会話もなく、すぐにぎこちない沈黙に支配されて、わたしたちはおたがいにため息をつきあいます。わたしたちはたぶん、親子の才能がなかったみたいです。

 故郷をはなれることも、とくに父にはつたえなかったです。

 訃報をつたえる書面は、お世話になった施設の職員さんの名で送付されていました。かねてより胃を病んでいた父は、病状が重くなってからも山のうえの祠から離れることをせず、ある日様子を見にいった知り合いがベッドのなかで亡くなっているすがたを見つけたと、簡潔に報告されていました。書面の末尾には、父の住んでいた山小屋のなかに娘のわたしへあてた遺物があると書かれています。もし必要であれば、山小屋まで引きとりにきてほしい。

 引きとりにいこうとは思いませんでした。

 父の遺したものにとくに興味もありません。父の死も、わたしに感慨をあたえるものではなかったです。

 それでもひさしぶりに生まれ故郷にかえってみるというのはわるくないアイディアのように思えました。村をはなれてすでに四年が経過していました。おさないころに遊んだ森にもういちど足を踏みいれてみるのも、いい刺激になるのではと思いました。たとえもう〈かれら〉とは会うことがないのだとしても、〈精神波形〉についての考察を、リフレッシュさせられるのではと考えました。

 わたしは荷物をまとめると、運行を再開していた各駅停車の中央新幹線へ、その日のうちに乗りこんでいました。


 書面を送った施設の職員さんは、まさかその日のうちにかえってくるとは思わなかったようで、わたしの顔を見てとてもおどろいていました。

 荷物をあずけ、形式的に書面のお礼をいい、まずは森にでかけてみようと考えているとつたえるわたしに対し、職員さんは緊張した面もちでこたえます。できればすぐに山小屋へむかってほしい。長旅でつかれているところ、申し訳ないのだけど。

 理由をたずねても、職員さんは首を横にふります。いけばわかるから。その返事に納得したわけではないのですが、ひどく真剣なその視線にうながされて、わたしはひとまず山小屋にむかうことにきめました。

 山のうえの祠と山小屋には、ちいさいころにいちどだけいったことがあるきりです。

 そのころの記憶ではひどくけわしかった道のりも、いまはそれほど苦しく感じません。樹冠におおわれたふもとのくらい森とちがい、山みちはあかるく陽がさしこみどことなくのどかな印象をあたえます。標高があがるにつれ、いちめんにひろがる樹海がとおく見わたせるようになっていきます。敷きつめられたエメラルドのつぶのような輝度の高い照葉樹のさざめきは、内部から見る森のすがたと対照的に感じられ、わたしの認識をあらたにさせます。よく馴染んでいたつもりの森のすがたが、じつは一面的なものであった事実に、わたしは不思議な思いをいだきます。

 そんなことを考えながらのぼっているうち、目指す山小屋は、やや唐突に目のまえにあらわれました。

 わたしは思わず足をとめ、息を呑みます。

 記憶にあるよりもずっとちいさく、みすぼらしく、それはわたしの目にうつります。

 祠は山小屋をかこむ樹々をもうすこしだけ分けいったさきにあるはずでした。

 ここが、父が生涯のながい時間をひとりすごした場所です。

 わたしは山小屋のドアノブに手をふれます。それをまわすのが、なぜかすこしためらわれます。そのさきにひろがる光景を、どこかおそれる気もちがあります。

 父に興味はありません。

 父がどこで、なにをしていたとしても、それはわたしとはつながらないものごとです。

 どのように死んで、なにを遺したとしても、わたしには関係ない。

 なにをこわがる必要もない。

 わたしは息をとめ、迷いを振りはらうようにドアを開けます。

 カーテンのとざされた、うす暗い室内の様子が目のまえにあらわれます。

 そして目に飛びこむ、たくさんの本、本、本。部屋のあちこちにおびただしい数の書物がうず高く積みあげられています。ふるい紙の匂いが、鼻をつきます。

 その書籍の山にかこまれるようにして、部屋のなかほどに木製のベッドがおかれています。

 そしてそこに、もぞもぞと、身をおこすひとの影がありました。

 病んだ男の生気のない目が、わたしをとらえます。

 父でした。

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