親友

 ご機嫌斜めな妹と幼馴染を伴って十分ほど歩くと、学校に着いた。


 普通ならこのまま教室へ向かうところだが、俺はその前に担任の先生のところに顔を出すように言われている。


 俺は職員室の場所を知らないので、登校中に引き続き愛佳と香織に案内してもらった。


 職員室前で二人とは別れてから、職員室内に入る。記憶喪失で以前の学校生活のことは何も覚えていなかったが、入院中に何度か顔を合わせたことがあったので探し人はすぐに見つけられた。


 先生とは俺の現状に関する話――主に記憶喪失のことをした。丁度話が終わったタイミングで予鈴が鳴ったので、そのまま先生と教室まで向かうことになる。


 俺のクラスは二年B組らしい。明日からは一人でここまで来ないければいけないから、場所はしっかりと把握しておこう。


 ガラっと音を立てて教室のドアが開かれ、まず先生が中に足を踏み入れる。先生が入ってきたことで、視線が集まり教室内が静まり返る。


 けれど先生の後に続いて俺が入ってきたことで、今度はざわめきが生まれた。


「はーい、静かにしてください」


 担任の女教師が教壇に立ちパンパンと手を叩きながらそう言うと、再び教室内を静寂が支配した。


 先生は隣に立つ俺をチラリと見ながら、説明を始める。


「はい皆さん。すでに知ってると思いますが、事故で長い間入院していた笹村君が今日から無事復学となります。ですが、笹村君は二ヶ月ほど前の事故で以前の記憶がありません。そのせいで学校生活をする上で、苦労をすることもあります。ですからそんな時は、皆さん助けてあげてくださいね」


 先生が言い終えると「はーい」というまばらな返事が聞こえてきた。


「それじゃあ、笹村君も自分の席に向かってください。笹村君の席は、窓際の後ろから二番目の席ですから」


「はい、分かりました」


 一度頷いてから、言われた通りの席に向かう。途中、少し前に職員室で別れた香織の席の横を通るが、今は自分の席に向かってる途中なので、立ち止まって言葉を交わすような真似はしない。


 ただ通り過ぎる間際に視線だけ送ると、香織は口元を緩ませた。立ち止まることなく歩を進め、目的の席に着いたところで腰を下ろす。


 先生は俺が席に座ったのを確認すると、ホームルームを開始した。内容は特筆すべきこともなく、ホームルームは十分足らずで終了した。


 一時間目の授業が始まるまで、少し時間がある。今の内に授業の準備をしておこうかと考えていると、背後からトントンと軽く肩を叩かれた。


「よう、友樹」


 その人物は俺のことを親しげな声音で呼ぶ。声の主が誰なのか。その答えは振り向かずとも、声だけで分かった。


 だから俺は、振り向くと同時に名前を呼ぶ。


「何だよ、細川」


 細川信二。それが俺のことを下の名前で呼んだ男子生徒の名前だ。記憶を失う前の俺とは、付き合いは香織に次いで長い、所謂親友というやつだったらしい。


 彼は入院中の俺のところに頻繁に来ては、俺の記憶を取り戻させようと色々な思い出話をしてくれた。多分、家族を除けば俺に会いに来た回数は一番多いと思う。


 俺が事故に遭ったのが夏休み直前で、入院生活の大半が夏休み中で時間に余裕があったのも頻繁に訪れた理由の一つだろうが、それでも俺の身を案じてくれたのは単純に嬉しかった。


「おいおい。俺たちは親友なんだから、そんな他人行儀な呼び方はやめてくれよ。俺が友樹って呼んでるんだから、お前も俺のことは信二って気軽に呼んでくれ」


 ニっと人のいい笑みと共に、下の名前で呼ぶよう勧めてくる。


「分かったよ。じゃあ、これからは信二って呼ばせてもらうよ」


 香織のことも下の名前で呼んでるし、今更もう一人それが増えるくらい何の問題もない。あっさりと了承した。


 信二も満足げに「おう」と頷いた。


 多分ではあるが、信二のことは混合学校では一番頼りにすることになると思う。同性というのもそうだが、家族以外で今の俺が気安く話しかけられるのは、こいつだけというのもある。


 他のクラスメイトとは、また一から関係を構築し直さなければいけない。当然ながら、それにはまだまだ時間がかかる。信二には負担になって申し訳ないが、しばらくは頼りにさせてもらおう。






「ふう、やっと昼休みかあ……疲れたな。友樹も久し振りの授業は疲れただろ?」


「いや、俺は別にそこまで疲れてはないな。……というか、疲れたなんて言ってるけどお前ずっと寝てただけだろ」


 自分は真面目に授業を受けていたという態度の信二に、ツッコミを入れておく。驚いたことに、こいつは授業中爆睡していたのだ。幸いとでも言うべきか、一番後ろの席だったから先生たちには気付かれることはなかったが。


 ノートすら取ることなく四時間の授業を通して堂々と眠っている様は、ある意味驚愕ものだった。


「そんなんじゃ試験で赤点しか取れないぞ」


「大丈夫大丈夫。一夜漬けでいつも赤点はギリギリ回避できてるから」


 信二はあっけらかんと言ってのけた。この様子だと、これまでも一夜漬けでやってきたようだ。


「そういう友樹の方こそ、久し振りの学校だろ? しかも記憶喪失で何も覚えてないのに、授業の内容に付いて行けたのかよ?」


「爆睡決め込んでたお前と一緒にするな」


 俺は真面目に授業を受けてたし、板書された内容も全てノートに書いている。授業中ずっと寝てた奴と一緒にはしないでほしい。


「あと一つ言っておくけど、何も覚えてないってのは誤解だからな。一口に記憶喪失って言っても、忘れる記憶にはいくつか種類があるんだ。俺の場合は、思い出に関する記憶だけ忘れたんだ」


 以前医者に受けた説明をそのまま信二にも話した。


 仮に信二の言う通り全ての記憶を失っていたとしたら、こうして会話が成り立つことはありえない。何せ全部忘れてしまっているのだ。言葉を話せるわけがない。


「だから以前の俺が学んだ知識に関する記憶は、失われていない。授業の内容はちゃんと理解できてたよ」


 実際のところは俺が欠席だった分の授業は、担任の先生が入院期間中にプリントを持ってきてくれていたというのもあるが。


 入院中は退屈だったので、暇潰しも兼ねて先生の持ってきたプリントをやっていた。おかげで、他のクラスメイトに遅れることなく授業を受けられている。


「へえ、そうなのか。……何か記憶喪失ってややこしいな」


 実際はややこしいなんてものじゃないが、それを記憶喪失になった経験のない人間に言っても意味はないのでやめておく。


 決して長くはない昼休みなので、話もそこそこに俺は今朝愛佳が作ってくれた弁当をカバンから取り出す。あんなに美味い朝食を作るだけじゃなく弁当まで用意してくれるとは、俺の妹はどれだけハイスペックなのだろうか。


 信二が一緒に食べようと提案してきたので、机の向きを変えて向かい合う形で座り直す。胸の内で愛佳に感謝の言葉を送りながら、食事を始めた。


 しばらく愛佳の手作り料理に舌鼓を打っていると、正面の信二がふと食事の手を止めて話を切り出してきた。


「あ、そうだ。なあ友樹、メシ食った後暇だろ? ちょっと付き合えよ」


「別にいいけど……何するつもりなんだ?」


「大したことはしねえよ。ただ、せっかくだからお前に学校の案内でもしてやろうと思っただけだ。ある程度場所は把握しておかないと、後々面倒だろ?」


 信二の言うことは最もだ。教室を移動するのが必要な授業もある。信二がいるから分からない時は訊けばいいと思うが、自分で把握しておいた方が訊く手間が省けていい。


 今度機会がある時にでも自分で確認しようと思っていたから、信二の提案は渡りに船。断る理由などない。


「そういうことなら、悪いけど頼むよ。俺、今のところ職員室とこの教室くらいしか場所が分からないからさ」


「おう、任せとけ」


 頼り甲斐のある言葉と共に、信二は人のいい笑みを浮かべた。

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