第29話 温泉旅行

それから数日が経った。

仕事を終えて、いつものようにスーパーで晩ご飯に食べる総菜を買って帰ってきた。

レンジで温めて家でテレビを見ながら食べていた。

テレビからは、ニュースが流れてくる。

イケメン俳優の大鳥亮介と女優の九条真美が、電撃結婚を発表したというニュースが流れていた。

そういえば今日は、職場でも朝からその話題ばかりだった。

大鳥亮介の結婚は、職場のおばちゃん達には、相当ショックだったらしい。


もう私、大鳥ロスよ。仕事にならないわ。なんて言っていた。

いつもそんなに大した仕事していないくせにと口から出てきそうになった心の声を、俺は必死に抑えたのだった。


相手の九条真美も男性ファンが多い可愛い女優だし、きっと世の男達もショックだったに違いない。

交際のきっかけは、嘘と影というドラマで共演した事から二人の仲は、急速に近づいたという。

嘘のような結婚に、嘘婚などと言われている。


「いや、何か……嘘婚だなんて言われてるのは、ちょっと可哀想だな」


テレビに向かって独り言を言っていると、スマホに着信がきた。

液晶の表示を見ると加奈からだった。

いきなり電話がかかってくるなんて珍しい。


「もしもし」

「もしもし。智也君。もう仕事終わった?」

「うん。終わったよ。今に帰ってきて、家でテレビ見ながらご飯食べてたところだよ。大島亮介と九条真美が結婚したね」

「ねー!!ほんとビックリしちゃった。えーって思ったよ」

「あの二人、全然噂なかったのにな」

「嘘と影のドラマで共演した時くらいから付き合ってたって言ってたね」

「嘘婚だってね」

「ビッグカップルだよねー」

「うん。もう朝から晩までこのニュースばっかりやってるね」

「だよねー。私の職場でもさ、その話題ばっかりだったよ」

「俺の職場でもそうだよ。おばちゃん達がさ、大鳥ロスだとか言って、いつも以上に仕事しなくてさ。もう嫌になっちゃうよ」

「あはは。大変だねー。智也君は、九条真美が結婚したのはショックだった?」

「いやー、別に俺はショックとかはないかな。だって芸能人だしね。まあ可愛い女優だし、モテそうだし結婚相手には困らなさそうだなとは思ってたよ」

「そっかぁー」

「むしろ好きな声優が結婚でもする方が、俺にとってはショックがでかいと思う」

「あー、でもそれは分かる気がする」

「ところで加奈、電話してくるなんてどうしたの?何か用があったんじゃないの?」

「あっ!!そうそう!!大鳥亮介のせいで忘れるところだった。用件があって電話したんだよ!!」


急に加奈の声が明るくなった。


「どうしたの?」

「確か智也君の仕事ってシフト制で、休みを大体好きな日に決める事ができるってメールで言ってたよね?」

「ああ、うん。そうだね」

「来月の第一週目の月曜日と火曜日が連休になったんだけど、智也君は休みにできたりしない?」

「うん、大丈夫。連休にする事もできるよ」

「やった!ねぇ、旅行行こうよ!ちょっと遠出して一泊。旅館に泊まって温泉入って観光して帰ってくるの!私、前から行ってみたかった温泉旅館あるんだ!」

「旅行かぁ。いいね。行こうか」

「やった!じゃあ私が旅館予約しておいていいかな?」

「うん。いいよ」

「月曜と火曜は平日だし、旅館も良い感じに空き部屋あると思うんだよね」

「そうだね」

「じゃあまた部屋取れたら連絡するね」

「うん。わかった」


電話は切れた。温泉旅行か。

それから数日後。加奈から連絡があり、無事に旅館の部屋が取れたらしい。

旅行の日楽しみだねと連絡し合いながら過ごして二週間が経って来月になり、第一週目の月曜日がやってきた。

加奈との旅行の日だ。

着替えなどを入れた荷物を持って、待ち合わせ場所である駅前に行く。

予定よりも十分早く来たのに、今日は加奈の方が先に来ていた。


「ごめん!!待たせちゃった!?」

「ううん。今来たところだよ。楽しみすぎて早く来ちゃった」

「そっか。じゃあ行こうか」

「うん!」


予定の時間通り、高速バスに乗り込む。


「私さ、バスの独特の匂いがあんまり好きじゃないんだよね。だから今日も酔い止めの薬飲んできたんだ。眠くなるやつだから途中で寝ちゃったらごめん」

「ううん。いいよ」


道中、加奈と温泉の話で盛り上がった。


「それでね。江戸時代から続く由緒ある温泉旅館なんだよー。効能も凄いらしくてさ、健康にも良いし、肌にも良いんだって」

「へぇー」

「露天風呂から見える景色も凄く綺麗なんだってさ」

「楽しみだなー」

「うん!それで次の日はさ、旅館からちょっと行ったところにある郷木神社に参拝に行こうよ。商売繁盛から健康、恋愛、金運、仕事運。全体運がアップする神社なんだってさー」

「全体運アップの神様かー。そりゃ凄いね」


散々喋った後、加奈は酔い止め薬が効いたのか眠ってしまった。

寝顔が可愛いなと思いながら俺は、加奈の寝顔を横目でたまにチラチラ見たりしているうちに温泉旅館のある駅に着いた。

そして駅付近で止まっているタクシーに乗り込んで温泉旅館まで連れて行ってもらう。


「九十九温泉旅館までお願いします」

「はいよ」


しばらく走っているとタクシーのおっちゃんが話しかけてきた。


「観光で来たの?」

「はい」

「九十九温泉旅館、今日は平日だしゆっくりできると思うよ。土日は多いんだけどね」

「やっぱりそうなんですか」

「売店に温泉卵売ってるからアレは食べたほうがいいよ。美味いから」

「へぇー。温泉卵ですか」

「後はアレだなー。蜜柑が名産だから蜜柑で作った地酒も美味いよ」

「おおー、地酒。良いなぁ、せっかくだし飲んでみよう」


タクシーのおっちゃんに色々美味しい食べ物の情報を教えてもらいながら移動して、ついに目的地である九十九温泉旅館に到着した。


「色々教えてもらってありがとうございました」

「おー、ゆっくりして楽しんできなー」

「はい、ありがとうございます」


九十九温泉旅館の入り口は、和の趣があってとても立派だった。

日本の伝統建築で造られた建物も、まさに伝統的というような温泉旅館の雰囲気が漂っていた。

品位と格調の高さに驚かされる。


「うわあー。立派な建物だなー!!凄いなぁ!!」

「ネットの画像で見たけど、やっぱり目の前に来ると迫力あるねー!!」


建物に入り、受付でチェックインする。

着物を着た女の人が部屋まで案内してくれた。

部屋に入ると、畳の落ち着くような良い匂いがする和室だった。

窓からは庭園が見え、立派な松の木も生えていた。


「本日はようこそお越しくださいました。木下様と矢口様のお部屋は、230号室でご用意させて頂いております。本日の担当の森田です。先に温泉についてご説明させて頂きます。当施設の温泉は月ノ華と星ノ華という二種類の温泉がございます。

一階に月ノ華。ニ階に星ノ華となっております。当温泉は、かけ流し温泉となっております。入浴可能な時間帯は、午前3時から5時の間は掃除の時間とさせて頂いておりますので、それ以外の時間帯となっております。お夕食の時間は、午後7時にお部屋にお持ち致します。また何かございましたらお気軽にフロントまでお声かけください。それではごゆっくりお寛ぎください」


説明してくれた人が部屋を出ていったので、畳の上に寝転んでみる。


「ああー!!気持ちいい!!落ち着くー!!」

「窓からの景色も良いし、のんびり過ごせそうだねー!!」


机の上に置いてあるお菓子を手に取ってみる。


「蜜柑サブレットだってさ。食べてみよっと」

「私も食べてみようかな」


二人して蜜柑サブレットを食べながらお茶を飲む。


「おお、美味しい。爽やかな味」

「うん、美味しいね!」

「これ売店に売ってるかな?」

「どうだろう。売ってそうな気はするけどね」

「売ってたらお土産に買って帰ろう」

「うん」


しばらくテレビを見て寛いでいると加奈が……


「温泉って一階と二階で二種類あるって言ってたね」

「うん」

「月ノ華の方行ってこようかなー。で、夜になったら星ノ華に入るの」

「そうだよね。せっかく温泉旅館に来たんだし堪能しないとね。じゃあ月ノ華行こうか」


二人で温泉に入る用意をして、一階の月ノ華に行く。


「それじゃ、また後で。出てきたら部屋戻っててくれていいから」

「うん。わかった」


加奈と別れて男湯の暖簾をくぐり、脱衣所に入る。

服を脱いでタオルを持って中に入る。


「おお……!!広い!!良い感じだ!!」


かけ湯をして体を洗い、湯舟に浸かる。

心地良い温度に思わず声が漏れる。


「おお……!!これ最高!!」


平日の昼間という事もあって、泳いでも怒られないんじゃないかというくらい他の客も少なかった。

夜になったらまた増えてくるのかなと思いながら、ゆっくりと過ごす。

よし、露天風呂に行ってみるか。

露天風呂の湯は白く濁っていた。

中の風呂よりも温度が高く、体が温まる。顔は外の風で涼しく、良い感じだ。


「この露天風呂も最高だわ」


しばらく温泉を堪能した後、上がる事にした。

服を着替えて自販機で珈琲牛乳を買って飲む。


「あー!!美味い!!」


なんで風呂上りの珈琲牛乳ってこんなに美味いんだ。

ちょっと売店も見ていくか。

置かれているお土産の中に、さっき食べた蜜柑サブレットが売っていた。

後で加奈に教えてあげよう。


「そういえば温泉卵が美味いってタクシーのおっちゃん言ってたな」


俺は、売店で二人分の温泉卵と蜜柑の地酒を買って部屋に戻った。

加奈はまだ戻ってきていなかった。

温泉をじっくり堪能しているんだろう。

さてと俺は、温泉卵を食べながら地酒でも飲もうか。


「おお!!美味い!!」


部屋の中で一人、温泉卵を食べる。

そして蜜柑の地酒を開ける。

昼間から温泉入ってお酒飲むなんて、なんという贅沢。

俺にとっては、初めての経験だ。


「おお!!この酒も美味いな。後で加奈にも飲ませてあげよう」


のんびり酒を飲みながらテレビを見ていたら、加奈が部屋に戻ってきた。


「あっ!ずるい!お酒飲んでる!!」

「タクシーのおっちゃんが言ってた蜜柑の地酒買ってきたんだ。美味しいよ。加奈も飲んでみなよ」

「えー!昼間から飲むのー?」

「こういう特別な時だからこそだよ」

「それもそうだね。じゃあ私も飲もうかな」


加奈も蜜柑の地酒を飲んだ。


「美味しい!これ売店で売ってたんだよね?絶対お土産に買って帰ろう」


加奈も気に入っていた。


「さっきの蜜柑サブレットも売ってたよ。チェックしてきた。他にも色々お菓子売ってたよ」

「また後で売店覗きに行こっと」

「温泉卵もあるよ。食べる?」

「うん!」


二人でのんびりとした時間を過ごした。

そして夜になり、夕食が運ばれてきた。

前菜に煮物、刺身に鍋料理。ボリューム満点でどれこれも美味しかった。


「いやー、どれも美味しかった!!」

「うん!料理も当たりだね!!」

「ちょっと休んだら今度は、星ノ華の温泉入りに行こうかな」

「月ノ華の露天風呂、ほんと気持ちよかった!!星ノ華も楽しみー!!」


休憩が終わり、星ノ華に行った。

星ノ華の方の温泉もとても良かった。中でも特に薬湯が気持ちよかった。

月ノ華とはまた違った温泉を楽しむことが出来た。


風呂から上がったらすでに部屋には、布団が二つ敷かれていた。

加奈と喋りながらまたお酒を飲んだ。

良い感じに酔ってきて時間も遅くなり、そろそろ寝る事にした。

こんなに楽しい一日を過ごすことができて本当に良い思い出になった。

こうやっていつまでも加奈と一緒に過ごせたらいいのにと思う。

こんなにも価値観が合って一緒にいたいと思える人に出会う事は、もう二度とないかもしれない。

俺は、布団に入りながら加奈との結婚を真剣に考えて始めていた。

今、同じ部屋で隣で寝ている加奈に、俺は言う事にした。


「加奈」

「ん?何?」

「あのさ……」

「うん?」

「こう……なんていうかな。上手く言えないんだけどさ……」

「うん」

「加奈とこうやって旅行してさ、一日中一緒にいてさ。凄く楽しくて、それでさ……」

「うん」

「いつまでもずっと一緒にいたいなって思って。それでさ、加奈。今後なんだけど結婚する事も少し視野に入れて考えてくれないかな?」


少し間が空いてから加奈が言った。


「そうだね。じゃあ今度、両親に会ってもらおうかな」

「いいの?」

「うん。いいよ。……明日は神社行くし、そろそろ寝よっか」

「うん。おやすみ」


朝になった。加奈はすでに起きていて、月ノ華にもう一回行ってくると言って朝風呂へと行った。

俺も目覚まし代わりに月ノ華に行くか。

タオルを持って月ノ華へと行く。

朝風呂も気持ちが良い。しっかりと目が覚めた。

部屋でご飯に味噌汁、卵焼きや茶わん蒸しといった品数の多い朝食を食べた。

その後、売店でお土産を買って旅館をチェックアウトした。

そして旅館から歩いて十分程して郷木神社に着いた。

お参りをして二人でお揃いのお守りを買ってタクシーに乗って駅まで行き、帰りの高速バスに乗り込んだ。

この楽しい旅行も、もうすぐ終わる。

加奈は疲れたのか、飲んだ酔い止め薬が効いたのかまたバスの中では寝ていた。

無事に何事もなく帰ってきて解散となった。


「じゃあ今度は、両親に会ってもらうね。ちょっと話しておくね」


帰り際に加奈が言った。


「うん。よろしく」


とても楽しい温泉旅行は、こうして終わった。


それから一週間が経った。

加奈から連絡が来た。


「今度の日曜日、両親いるけど会ってみる?」

「そうだね。挨拶に行こうか。あ、あのさ、加奈」

「ん?」

「手土産は、和菓子と洋菓子どっちがいいかな?」

「うーん……。ケーキでいいと思うよ」

「わ、わかった。準備しておくよ」


加奈の両親に会う。

もちろん結婚を視野に入れるなら、その過程で両親に挨拶する事は当然だ。

だけどやはり緊張してしまう。

加奈の両親ってどんな人だろう。

お父さん怖い人じゃなかったらいいけど……。

そんな事を考えながら、ついに日曜日がやってきた。

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