第二章 襲いくる闇夜 3

 ユウが撃退したせいか、それ以降「敵」が現れなかったので、非常事態宣言はレベルEに引き下げられ、待機中の兵士達が上級者に指示された任務に従事している以外は、基地は緊迫感に包まれながらも、平常に近い状態に戻っている。

「整備班の連中は全員意識が戻ったみたいだね。でも、キャタピラのほうは、直すのに随分時間がかかる。何しろ四十基を一度に破壊されたからね。暫くの間、ぼく達は夜の住人って訳だ」

 医務室を訪れたヴァシリの説明に、椅子に座ったイルシンは、目の前の寝台に寝かされたユウの寝顔を見つめたまま、眉間に皺を寄せた。四十基のキャタピラは、ただ動かなくなるようにではなく、回らなくなるように破壊されている。つまり、ブレーキがかかっているのと同じ状態だ。全部で百基のキャタピラの内、二十基くらいまでなら、ブレーキがかかっていても他のキャタピラが引きずる形で、基地自体は何とか動く。だが、四十基ものキャタピラが回らなくなると、さすがに進まないのだ。サン・マルティン地表基地は、いつものように夜前線を追い越して昼の世界へ出ることが叶わず、長い長い夜の中に居続けることになる。

(あの幽霊――カヅラキ・アサが言った通りの状況になった訳か)

 ぼうっと浮かび上がった、やや透けた幼い少女の姿は、カヅラキ・アサのものだった。「声」も、以前聞こえた「声」と同じだったので、やはりカヅラキ・アサのものだろう。

(やっぱり、もう死んでて、幽霊になってたのか、それとも、生きてて、あの姿も、テレパシー能力なのか……? おまえ、姉さんと一体何を話したんだ……? 何か、恨まれてたのか……?)

 倒れてから一時間が経ったが、ユウはまだ目覚めない。意識は戻らないまま熱が出て、水分と栄養補給の点滴をされている。

「整備班の連中は、全員、上等兵曹殿の『声』を聞いたんだってね」

 ヴァシリがイルシンの隣に立ったまま、ユウを見下ろして、ぽつりと言った。

「ああ」

 イルシンは頷く。ユウをこの医務室に運んでから、イルシンはずっとここにいるが、周りは医療科外科部隊の兵士に運ばれてきた整備班の兵士達で埋め尽くされている。そして彼らの口から、一様に、ユウの「声」のことが語られたのだ。

「こいつの『声』が、〈一時的意識不明〉って言った途端、整備班の連中は気を失って……、目が覚めたら我に返ってたらしい」

「〈一時的意識不明〉か……。ぼく達には分からない用語だな」

 ヴァシリの独り言めいた言葉に、イルシンは顔をしかめる。自分は――自分達は、精神感応科兵のことを、テレパスのことを、何も知らない。

――「だから、じぶんが派遣されました。精神感応科と、他の科との連携を深めるというのが、軍のこれからの方針です。それと、テレパシー能力自体についても、協力して、理解を深め、知識を増やさないといけません」

――【だから、お願いします。ソク・イルシン。どうか、じぶんの目になって下さい。じぶんは、この惑星で、しなければならないことがある。そのために、あなたの力を貸してほしいんです】

――「あなたには、精神感応科の用語についても、勉強して貰わないといけないですね……」

 ユウの言葉の数々が脳裏に蘇る。

(分かったよ)

 イルシンは胸中で呟いて、椅子から立ち上がった。

「ついててあげないの?」

 ヴァシリの問いに、イルシンは自動扉へ向かいながら答えた。

「おれがここでぼうっとしてても、何も解決しねえだろ? こいつが起きた時に、一つくらい、いい報告してやらねえとな」

「へえ……」

 ヴァシリの返事を背に聞いて、イルシンは資料室兼図書室へ向かった。


          ○


「あいつ、自覚してるのかな」

 呟きながら、ヴァシリは先ほどまでイルシンが座っていた椅子に座る。

「あなたに対する態度が、百八十度変わってることを。あなたは、少なくとも、あいつの心を変えることに成功したんですね……」

 あどけなさの残る顔で、十五歳の上等兵曹は昏々と眠り続けている。

(正直、ぼくはまだ、きみのこと信頼し切れないし、許すこともできない。でも、あいつはきみのことを受け入れた。だから、あいつを大切にしてほしい。裏切らないでほしい。本当に、いい奴だから)

 イルシンやヴァシリの過去がUPOとどう関わっていたのか知ろうと思えば、推測も、調査も、いつでもできるだろう。恐らく、知った上で、カヅラキ・ユウはイルシンを利用している。そして、ヴァシリのことを避けているのだ――。

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