第2話 あれ? この子……。

 久々の訪問なので、静夫の奴が、どんなことになってるかと思っていたのだが、生憎旅館には静夫の姿は無かった。

 どっか遠方にでも就職して不在なのだろうか?


「あーあ、疲れたな、風呂にでも入りたいな」


 長い旅路で疲れていた俺たち一家が、寛いでいると、件のその子が入ってきた。

 きちんと正座して、手を突いて、挨拶の口上を述べた。


「み、皆様……遠路はるばる当旅館にお越しいただいてありがとうございます。私は皆様の滞在中のお世話をさせて頂く仲居の……」


 ぎこちない。

 いかにも憶えたての言葉を読み上げているようなたどたどしい口調だ。

 多分、この子は入りたての子だろう。


 まだ若い子なのに、こんな礼儀作法とかやかましい業界にはいるなんて、見上げたもんだ。


「お、お夕食は午後7時からとなっております。浴場は6時から入浴可能ですので、それまでどうぞお寛ぎください」


「あれ? ここには昼からでも入れるって書いてあるぞ?」


 俺は部屋に備え付けの『ご案内』の冊子を広げて見ながら、尋ねた。


「え? そ、そんなはずは……」


「ほら、ここに午後3時から離れの露天風呂は、入浴可って書いてある」


 正確には、屋内の浴場が6時で、露天が15時からみたいだった。

 良かった。これからは入れるな。


「ひ、ひぇ、そうなんだ。し、失礼いたしました」


 また平伏してしまった。

 おっちょこちょいなとこがある子だな。


「そ、それでは私はこれでー失礼いたします。また何かあれば及びください」


 お茶の飲み残しの入った湯のみをお盆に片付けて、しずしずと立ち上がった―

 と思ったら、裾が乱れていた。

 足に絡まって危ないー

 注意しようと思った次の瞬間、思いっきり裾をふんずけて、こけた。

 しかも俺の方向に―


「うわっ」


「ぎえっ」


 バランスを崩して、お盆に乗っけていた湯飲みが宙に舞った。

 そして綺麗な水玉がアーチを描いた。

 その後にはガチャンというお決まりの音が響く。

 俺はその水、湯飛沫をもろに被ることになった。


「あちちちちーー」

「も、申し訳ありませんでした!」


 何遍も何遍も謝る。


「あーもう、いいっていいって。どうせ風呂に入るし浴衣に着替えるんだしな」


 なんつーか、その拙さが居た堪れなくて、怒る気も無くなる。


「お、お怪我はありませんか!?」


 俺に平謝りする彼女。

 初めてまじまじとその顔を俺は見た。

 この子、どっかで会った事あるような……。


「あの、君……」


「は、はい!」


「どっかであったことない?」


 言った瞬間、びくっと体が震えた。


「な、何のことでしょうか……」


 だが何度もしどろもどろに謝りつつ、そそくさと立ち去ってしまった。

 うーむ、あの子、何か引っかかるものがあるのだがー。

 まあいい、風呂行くか。


「え……と露天浴場は一旦地下に降りて、そこから外に出て渡り廊下を進んだ離れの建物……と」


 案内図を確認してタオルを片手に向かう。


 途中、あの子とまたすれ違った。

 何かタオルやらシーツやらリネンを運んでいる。これから布団の準備に使うのだろうか。

 またこちらをちらっとみやった。

 あの子、なんかやたらと俺を気にしてるような。

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