ビートを止めないで。——Break me into little pieces ほか

「さあ、踊りに行くよ」


会社の飲み会のあと部長はよくそう言って、妙にハイテンションで不思議な空間へ、部内の若い連中を引き連れて行ったものだった。


昔バンドをやっていて、50になってもかっこよくダンスを踊る人だった。

色白で目がギョロリと大きくて、笑顔がお茶目なのが印象的。

明るくおしゃれな雰囲気で、人たらし。

敵を作らない人だった。



そこは部長の知り合いがやっている、いわゆる平板発音の「クラブ」という風情を装った店。


♪〜Break me into little pieces

  Use me up and throw me away

  Break me into little pieces

  promise me you're gonna stay


扉からもれてくる曲が、私たちを浮き足立たせる。

早く音のシャワーを浴びたい。


重いドアを開くと音が分厚い層になって襲いかかってきて、熱気に押し返されそうになる。

私たちはキャアキャア言いながら、肺呼吸から特別な呼吸に切り替えて、音と熱気のプールに飛び込むのだった。


曲のサビで最高潮に達する時、このまま体が弾けて、バラバラに砕け散ってしまうのではないかと思うくらい、自分の内から湧き上がり脳天を突き破っていくような快感があった。



若いモンたちが意外におもしろがってこの店について来ていた理由の一つは、いかにもクラブ風の流行りの曲だけでなく、オールディーズからユーロビートまで、年代問わず踊って盛り上がれそうな曲をDJが幅広くチョイスしてくれてることだった。


たとえば、ビートルズなんかもかかったりする。

ホールで「おぉ〜?」とどよめきが起こり、スイングの波が一瞬途切れる。

どうやって踊るの? と顔を見合わせる女子たち。

ブースに目をやると、DJは満足そうにニヤリとしている。


それでもすぐに、みんな適当に揺れながら、それぞれのダンスを編み出していく。


何でもありな、そんな雰囲気はとても楽しかった。



オールディーズがかかると、部下たち皆で部長を輪の中心に押し出す。

部長も、待ってましたとばかり押されるがままに中央に立ち、満面の笑みで体を弾ませたりくねらせたり。


当時、アンニュイにただ揺れてるような、汗をかかない踊り方やパラパラが流行っていたようだったけど、私は部長や先輩が体を存分に動かして踊るダンスの方が好きだった。

ゴーゴー、モンキー、ツイスト、チャールストンなどなど、漠然と見知っていた動きに名前があることをあらためて知り、部長の見様見真似で体を動かすのが新鮮におもしろかった。


最初こそ、目上の上司をもり立てて、みんな大人だなぁと思ったりもしたけど、実際、自分たちも楽しんでいたのだ。


私たちの会社は、同僚だろうと、上司と部下だろうと、仲が悪くなってるヒマもないほど恐ろしく忙しい会社で、その日の勤務を解かれれば、戦友同士のように仲よく繁華街へ繰り出していた。


そして、その店には、誰もが年齢の差を超えてバカになれる、優しい無関心があった。


やんちゃになりきれないまま大人になって、初めてハメを外して弾けることの楽しさを知った私。

誘ってくれる部長や先輩に感謝したいくらいだった。


***


♪〜Oh almost paradise

  We're knockin' on heaven's door

  Almost paradise

  How could we ask for more?


照明が急にトーンダウンするのを合図に、静かなバラードが流れ始めると、我先にと手近なお目当ての異性が体を引き寄せ合い、チークタイムに没入。


同期の彼が私の腰に両手を回す。

私は両手を彼の肩にのせて、胸に頬を預けて、静かに音楽に揺られる。



見た目は全然カッコよくない彼。

でも、そんなこと気にしないで、我が道を行く彼のカッコよさは、私だけがわかっていればよかった。


私だって、こんなところで踊って盛り上がるなど本当は場違いな、地味なオンナなのだ。


そんな私たちが、体をピタリと組み合わせてチークを踊るなんて。


でも、ここでは誰も、何のマウントも取らない。


ただ音楽があり、熱気があり、目の前の仲間や恋人と楽しくやれていればそれでいい。

ダンスがヘタだって、誰もかまわない。


みんな、お酒に酔ってるか、自分(のダンス)に酔ってるか、目の前の恋人に酔ってるかなんだから。

周りを気にする必要なんてない。


汗でお化粧が取れたって、誰も気づかない。

第一、うす暗くて見えやしない。


すべては音楽次第、ノリ次第。

まるで、DJに操られてるみたいだった。


周りにたくさん人はいるけど、そこには連帯感と同時に、心地よい孤独があった。



私と彼は、空が白むまでそこで踊り明かすこともあれば、チークタイムに耳元でそっと「二人で抜けよう」と言われて、コッソリ行方をくらますこともあった。


♪〜You you you take my heart and break it up

  Get me to the doctor

  My heart goes bang bang bang bang


——彼が私をあんまり激しく揺さぶるから、私の心は壊れそうになる。

誰か、お医者に連れてってー——


遠くでピートが叫んでる。


ドアを開けて、店をあとにしようとする時、ピートの歌声はいつも私の後ろ髪をつかむ。

だけど私は、私の手を引っ張る彼の圧倒的な力に、いつもあえなく屈するのだった。


大丈夫。

ここに来れば、いつでもまた踊れるのだから。


そして、私たちは繁華街のはずれの仄暗い裏道へ消える。


夜は、お酒とダンスと恋でできていた。

果てしない闇の底で、私たちの若さは尽きることがなかった。


***


今はどんなクラブが流行ってるんだろう?


その後、私と彼は別れ、あの店がまだあるのかわからないし、部長は亡くなったし、私もトシを取った。

あのころみたいに朝まで弾けていたら、ガチでお医者行きになるくらいに。



のちに若いモンの私たちは、部長抜きでもいろんなメンバーでつるんで店を訪れるようになっていた。

彼と別れてからも、同僚たちと行ったりしていた。

実は、曜日によって、曲のジャンルをある程度かけ分けてることもあとで知った。


彼のいないチークタイムは、陰のロッカーコーナーに逃げ込むか、テーブルに戻るか。

知らないオトコと言われるままに踊ることもあったけど、上の空だった。



♪〜Goddess on a mountain top

  Burning like a silver flame

  Summit of beauty and love

  And Venus was her name


アップテンポの曲に戻ると、ヒューと歓声を上げながら、カップルたちがほどけてホールにばらけ散る。


私はユーロビートがお気に入りだった。

歌詞に深い意味なんてない。ビートと語呂だけ。それがまた、ちょうどよかった。


逆に、当時流行っていたようなクラブミュージックはどれも似たように聞こえて、おそらく一つも覚えてない。



その店で知った少し古い曲は、今でも聞くと血が騒ぎ、胸が締め付けられるような懐かしさに包まれる。

体の奥にあの快感の断片が蘇って、鼻歌交じりでちょっとステップを踏んでみたりするのだ。


あそこでは、女子の誰もが自分の中のヴィーナス気分に酔えた。

あの熱狂は、あの時だけのもの。


今、私を求めてくれるのは、クラブなんて無縁で生きてきた夫だけ。


奥底に、似合わぬ小さな炎を隠し持って、私は彼の胸に頬を埋める。



♪「Break me into little pieces」ホット・ゴシップ

https://www.youtube.com/watch?v=uVu5eQedvak


♪「Almost Paradise〜Love Theme from Footloose〜」マイク・レノ&アン・ウィルソン


♪「My Heart Goes Bang (Get Me to the Doctor)」デッド・オア・アライブ

https://www.youtube.com/watch?v=QBpF0NTUTnA


♪「Venus」バナナラマ

https://www.youtube.com/watch?v=d4-1ASpdT1Y

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