二十六日目 ムネアカオオアリ

「アンタたち、何やってるの?」


 姉は不機嫌そうにふんぞり返っている。バイト中に来てくれたのだろう。カフェの制服らしかった。父さんは仕事だけど、母さんは何をやってるの! 寄りによって姉貴に迎えに来てもらうことないじゃんか!


「ご、ごめん……」

「あの、ごめんなさい。私のせいなんです!」


 昆虫を見せていただけだと羽田さんは説明してくれたが、警備員のおじさんにはあまり信じてもらえなかったようだ。女の子は虫がキライ。そんな一般論振りかざして、羽田さんの話はほとんど聞いてもらえなかった。


 不順異性交遊の疑いありとのことで、俺の家族を呼び出された。俺らだって高校生なのに、俺に至っては彼女すら居たことないのに……。最悪、厳重注意程度だと思っていたのにぃ!


「――ふぅ。……あの、弟がご迷惑をおかけしました。ふたりは家族公認の仲とはいえ、やりすぎてしまうところがありまして」


 誰がヤりすぎるだって? いや、ちょっと、いま家族公認の仲って言わなかった? え、いつの間に?


 姉は営業スマイルならぬ、困り顔を作っておじさんに媚びている。恐ろしい女よ、姉貴。見慣れているけれど、化粧した姉はそれなりに美人だし、少し加減をすれば深窓の麗人にも見えなくはない。幸薄そうに蒼白な顔を見せれば、男であれば気を揉むに違いないのだ。


「まぁ、公認ということであれば……。ですが、こういうところで、そういった行為をされると困りますのでね」

「はい! 良く言って聞かせます。父が放任主義のため、弟はひねくれてしまって……。アタシが面倒を見ているのですが、男の子は良く、分からなくて……」


 またこの人は口から出まかせを……。あれ? 羽田さんも俺と姉のことを、憐れんだように見ているぞ? 口元に手を当て、目が潤んでいる。

 信じちゃったのね、そうなのね。


「そう、でしたか。いや、お姉さんもお困りでしょう。おい、きみたち! お姉さんを悲しませないように!」

「はい! 黒木くんがそんな家庭とは知らずに、私、私……」


 おいおい、マジかよ。確かに誤解されたのは羽田さんのせいだけど、そこまでしょげられると俺が悪者みたいじゃんか。


「でも、学校には報告されちゃうんですよね? また、訪問しなければ……」


 また、って何だよ、姉貴! 一度も来たことないだろ!?

 でもその文言はおじさんには効いたようだ。同情したように顔をしかめている。


「そうですなぁ。まぁ、今回は、本人たちも反省しているようですし、特別に見逃してあげましょ――」


 その言い終わるか終わらないかのところで、姉がすかさずまくしたてた。


「本当ですか!? ありがとうございます! さ、幹也くん、橙子ちゃん。お勉強がまだ残っているのでしょう? 一緒に帰りましょうね。ではおじさま、ごきげんよう!」


 一瞬でそこまで言ったかと思いきや、俺たちを引っ張ってドアを潜り抜ける。うろたえているおじさんに申し訳なく思いながら、早足でその場を去ることにした。図書館の門を抜けてもなお、むしろ館内よりも急いで走り、コンビニの前まで来たときにやっと止まる。


「ハァハァ……!」

「こんの、アホ幹! 変なことで呼び出すんじゃないわよ!」


 お姉さまは走った反動か、仮面が剥がれて俺を怒鳴り付けている。好きで呼んだわけじゃないのにぃ。姉貴、羽田さんも見ているよ?


「あー、羽田……ちゃん? 勝手にごめんなさいね。別れたきゃ別れなさい」

「まだ付き合ってないから!」


 勝手に人の恋路を邪魔しないでほしい。馬に蹴られて何とやら、と言うが、姉はその馬に乗って俺を潰しに来そうだった。黒王号のごとく、きっとオーラを纏わせて巨大な馬を生み出すに違いない。いやそれは大豪院邪鬼(だいごういんじゃき)。いやいや、そういう話ではなかった。


「なに、アンタたちまだ付き合ってなかったわけ?」


 姉はどっかとベンチに腰掛けて、俺たちを舐めるように見る。それが何だか悔しいが、事実なのだからしょうがない。


「あ、あの、さっきはありがとうございました。お、お姉さん、私……たち、その、公認……なんでしょうか?」


 姉からは羽田さんと付き合うのは避けたほうがいいと言われたが、そういえばそんなことも口走っていたな。走るのに夢中で少し忘れていた。

 もじもじと羽田さんは姉に質問している。


「あれは言葉のアヤよ。そうでも言わないとあのオッサン信じないでしょ? コイツを好きになるとか、止めといた方が――」

「そっ! そんなヒドイこと――! ……あっ、いえ、その」


 そうだ、もっと言ってやれ! と思ったけど、どうしてか羽田さんは次の言葉を選んでいるようだった。助けてくれた姉貴に反論してしまったことを悔いているのだろうか? 耳たぶまで紅潮している。


「ふーん。まぁ、ふたりが合意ならいいんだけどさ。幹、アンタ、知ってて側に居させてるのよね?」


 知ってて、って、呪いのこと? それならさっき聞いた。けど羽田さんは俺の呪いを解くように調べてくれてるって言うし、すごくいい子なんだ。もちろんそれだけじゃないけどさ。別に他人でも友達で居ても俺の体質が変わるわけでもないし、それなら仲良い方がいいじゃんか!


「うん、知ってる」

「……そう、じゃあアンタに任せるわ。アタシには呪いは来なかったし、当事者ふたりの方が分かってるでしょ」


 静かに黙って頷くと、そう言えばこっちはすっかり忘れていたことを思い出す。


「あっ、そう言えば姉ちゃん! バイトは大丈夫なの!?」

「あぁ、大丈夫よ。今日はそこまでお客さんも来てないし、早上がりしたの。でも着替えだけしてはしてこなきゃ」

「俺のせいで……ごめん」


 気にするなと言わんばかりに姉はひらひらと手を振る。するとこの場に存在しない声が振ってくる。それは本来小さな虫のものだ。


「あっ! しらすのお姉ちゃんだ!」

「あら、いつぞやのムネアカ。お母さんは良くなったの?」


 へ? 俺、その話したっけ? とはいえ姉にこの個体が判別できるのか怪しいものだった。俺の頭によじ登ってきたアリと、まるで会話しているようだ。


「しらすのおかげで良くなったよ! ありがとう!」


 アリだけに。ってあれ、前も言ったっけ。うん? もしかして、やっぱり、……話してる?


「あの、お姉ちゃん? コイツ、見えるの?」

「は? ムネアカオオアリでしょ? 見えるわよ」


 見える……。あぁ、いや、なんか聞き方間違った気がする。そりゃあ見えるよね。幽霊じゃないんだから。


「いやその、そうじゃなくて、……人間に、見えてる?」

「そう、って言ってるじゃない」


 いやいやいや、それだけじゃ分からないよぅ。見えてる、って虫が見えてるよ、って意味かもしれないじゃん? 虫が人間に見えるって言ってくれよ。頭がおかしいのは俺だけじゃなかったのね!


「どうしたの? 何の話?」


 すると見兼ねて羽田さんが質問してきた。ちゃんと紅茶を飲んでくれていたようだ。嬉しい。


「えーっと……」

「黒木の虫姫は、虫を人にできるのよ」


 俺がどう説明しようか迷っていると、姉が言葉を奪っていく。またざっくりした説明を……。と思っていたら、なぜか羽田さんは何かに気付いた顔をしたようだった。もしかして、あなたも人に見えていたとか、ないよね……?


「それ、羽田家の伝文に書いてあるかも! 呪いに掛かった若御前は、さらに虫と仲睦まじくなったんだけど、それはある不思議な力を父から受け継いでいたからなの。宗輔はハチと会話ができて、働かせることができたんだって」

「ハチを使って暗殺してたとか、そういう話ね」


 乗ったのは姉だ。え? それって予備知識? 俺全然知らないんだけど!?


「そうなんです! だから若御前ももちろん会話はできたんだけど、呪いの影響なのか彼女はもっとすごかった。虫を人間に変えられたんです!」


 おー、そうか。じゃあ確かに俺がいまこうなっているのは、羽田さんの先祖である『何とか』ってヤツのせいだな。それなら前に姉が言っていた、呪いを掛けた相手の側に居るのは避けた方がいい、って意見も納得できる。

 イヤでも意識しちゃうからだ。このカラダにしたのは、確実に彼女のご先祖なのだから。どうやら会話ができるのはデフォルトらしいけど、虫を人間にする能力は後付けっぽいし。


 でも興奮してるのは羽田さんなんだよね。それなら呪ったことは大成功だ。


 だけど、俺の気持ちも考えて……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る