二十四日目 スズメバチ

「あの、さ」


 そっと心の中でエールを送ったとき、今度は悲しそうな声音で彼女は語りかけてきた。


「虫が好きな女の子って、やっぱり、気持ち悪い、よね?」


 俯いたままなので、表情は分からない。けれど答えは明白だ。俺は虫はキライだが、虫が好きな人間を否定しようとか、そういうことは思っていない。

 家族の件もあるだろうし、きっと悩んでいるのだろう。そんな彼女をさらに悲しませるようなことはできないぞ、幹也。


「いいや? 確かに珍しいとは思うけど、好きなものは人それぞれだし」


 だからそれが少し、羨ましい。俺だってカラダに集ってこなければ何とも思わず虫と接せられたかもしれない。


「俺は応援するよ」

「あ、あり、がとう……。こんなこと話せるの、黒木くんしか居なくって……」


 その言葉は何とも嬉しい。ここまで頼られたら男冥利に尽きるってもんだ。でも頼られ慣れてないから、こういうときどんな顔すればいいかわからないの。笑えばいいと思うよ。


「ご先祖様が虫が嫌いだったから、寄せ付けないようにいままでその決まりを守ってきたんだって。平安時代から。私の家、古臭いよね」

「平安時代?」


 それがどのくらい古いかは分からないが、すごい昔のことだってことは分かる。だって、1000年くらい前でしょ? 俺の記憶が正しければ。


「『虫めづる姫君』。私が借りた本なんだけどね、ご先祖様がモデルなんだって」


 そうなんだ。でもそれならどうして虫が嫌いになったんだろう。俺が不思議そうな顔をしていると羽田さんは続けてくれる。


「バカにしないんだ。みんなはそんなことないって言うんだけど。まぁー、正確に言うとちょっと違うんだけどね」


 バカになんかしない。俺だって不思議な現象を体験しているし、羽田さんの話の方が現実味が強かった。昔の偉人の子孫なら、現代に生きていても不思議ではない。その本自体はファンタジーなのかもしれないが、実在したモデルが居るのであれば話は別だ。


「私の先祖は藤原宗輔(ふじわらのむねすけ)。その子どもの藤原俊通(ふじわらのとしみち)の家系なの。何やかんやあって苗字は変わっちゃったらしいけど。俊通はね、妹だった若御前(わかごぜん)を恨んでた。それが、あの本を産んだのよ」


 昔の人間の考えてたことって、俺には分からない。どうして恨んだりするんだろう。兄妹なのに……。

 プリンを取られたとか、大事にしていたゲームを壊されたとか。それなら確かに俺だって姉と喧嘩するかもしれない。たいていは俺が負けるけど。でもだからって呪いをかけることなんて、なかった、のに。




「……あれ?」


 気付いたら俺は、着物を着て畳の上に座っていた。昔出会ったという実家にいた老婆に状況が似ている。右手側が開けていて、外から風が舞い込んでいた。

 でも俺のカラダには虫は寄って来ていない。恰好はおかしいけれど、この方がずいぶんと快適だった。


「姫様、法皇様がお呼びです。お着替えののち、宮廷へお越しください」

「へっ?」


 どこからともなく現れた女性に何か言われたが、何のことやらさっぱり分からない。しかしあれよあれよと着替えさせられ、馬車に乗りどこかへ向かわせられる。動きやすい服だけど、やっぱり和装だ。


「馬だ! 初めて見た!」


 地面は土だし、建物はでかい屋敷ばっかりだし、いったいどうしたと言うんだろう。一際大きい家に着いたかと思ったら、誰かが待っていた。羽田さんだ。


「良かった! 羽田さん、いったいここは――!」

「寄るな、女が! 汚らわしい!」


 え? どういうこと? 女性は羽田さんの方じゃないか。しかし確かに服装はいつもの可愛らしいワンピースやスカートじゃなくて、変な着物だった。良く見る女性用のものとは違っているようで、ずんどうな黒い服を引き摺っている。


「若御前様、俊通様のことはお気になさらず。ささ、早う法皇様の御元へ」


 若御前……? ああ、俺のこと? さっきは姫様って言ってなかった? あれ、その名前どこかで聞いた気が……。どこだったっけ?


 ぽかんと考え込んでいたが、どうやらその法皇とやらは早く俺に会いたいらしい。羽田さんならぬ俊通様とともに急かされて、座敷に上がることにした。どうにも落ち着かない。そわそわと見慣れぬ装飾品や後ろに座る俊通を交互に見ていたが、その人には睨まれてしまった。


 羽田さんと同じ顔をしているなんて卑怯だ。俺の心が折れるから止めてほしい。少ししょげていると、どこからか声がする。


「蜂飼大臣(はちかいおとど)、宗輔が子、若御前よ。よく参った」

「んん?」


 きょろきょろと見渡しているが、人の姿はない。しかし何だって? はちかい……、の子どもの、俺?


「ビワを用い、ハチを追い払った宗輔は実に見事であった。聞けば子も笛の音は優秀とのこと。是非聞かせ給え」

「え、えぇー!?」


 そんな急に言われても! 笛って、リコーダーのこと? そんなの小学生からやってない!


「いや、あの、その、俺は別に……」

「遠慮せずともよい」

「――チッ!」


 舌打ちされたと思ったら、羽田さんだったらしい。悲しいぞ。本当の彼女はそんなことする人じゃないのに……。


「どうしたのじゃ? 早う聞かせ」


 おろおろとうろたえていると、何とも嫌そうに声が掛かる。後ろに控えている俊通羽田さんだ。


「鳥羽法皇様、妹は緊張している様子です。恐れ入りますが、日を改めることはできますでしょうか?」


 妹? じゃあ、この人とは姉妹ってことか。ん? いや違う。俺は男だし、羽田さんは女の子だし。……どういうこと? 男女が逆転して……、もしかして入れ替わってるぅ!?


 いや、しかしそんな風には見えない。いったん落ち着こう。法皇様とやらは残念そうにしていたが、なんとか俺を開放してくれた。彼女に感謝だ。




「あの、さっきは助かったよ。ありがと――」

「ハッ! いざと言うときに何もできないはしためが! ちょっとばかり雅楽ができるからと、調子に乗るでないわ!」

「え、ええぇ……」


 この建物の玄関を案内されている途中で、その背中に話しかけたが、なぜか怒られてしまった。待って、本当に、分からないんだよ。


「その、ごめん。俺、何が何だか分からなくて……」

「女は自分の屋敷で和歌でも読んでいればよいのだ! もっとも、虫ばかりに構って男に好かれるようなことはないだろうがな! いま引く手数多あるのは父の偉業であるぞ。感謝せよ!」

「父の、偉業?」


 そういえばさっきの法皇とやらも何か言っていた気がする。ハチを追い払ったとかなんとか……。だが俺は虫ばかり構っているつもりはないぞ!?


「なに、知らんのか!? これだから女は……! この宮廷がハチに襲われたとき、好物のビワに注意を惹き付け、法皇様をお守りしたのだぞ!?」


 そうだったのか。目を吊り上げて叫んでいても可愛いと思えてしまう辺り、羽田さんの容姿は得だと思う。


 あれ、ちょっと待てよ? ビワとハチ。どこかで見たような組み合わせだが……。


「あっ! もしかして、それってスズメバチ!?」

「は……? スズメではない、ハチだ」


 それは分かってる。そうじゃなくて……、それとも、もしかして、ハチの種類を知らない? この羽田さんが?


 やっぱり別人ってことなのだろうか?


「虫ばかり世話して頭もおかしくなったと見える。……変わり者の父と同じだな」

「そんな、お父さんをそういう風に言うのはよした方がいいと思うよ」


 思わずなだめる声を上げてしまったが、羽田さん似の俊通さんは鼻を鳴らして不快そうだった。えー、だって家族は仲良い方がいいじゃんか。隠れてグチは良くないと思うよ。


「虫ばかり飼って、周りには蜂飼大臣なんて呼ばれて……! 冗談じゃない! 私はそんな父のようにはならない! そちらとて、そんな父にばかり好かれおって!」

「つまり、羽田――、俊通さんは虫がキライ?」

「当たり前だ! 気味が悪い!」


 羽田さんの顔で言われると新鮮だ。いつもあんなに昆虫を愛でているのに。『虫めづる姫君』って、羽田さんにこそふさわしいと思っていた。でも実際は、おとぎ噺より人間味があって恨みつらみが残っているんだろう。


 お父さんが昆虫が好きだから、子どもは虫をキライになったんだ。ただそれだけなのに、どうしてそこまで怒っているんだろう。

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