第1話 信秀死す!

天文21年 (1552年)3月3日、『尾張の虎』と呼ばれた信秀が逝った。

1度しか顔を見せず、父上が死んだと言われても悲しくもなかった。

それとも歴史上の人物と思えたからだろうか?


魯坊丸ろぼうまる魯坊丸ろぼうまるはどこか?」

「若なら庭におります」

「千代か、魯坊丸ろぼうまるは庭か」

「はい、裏庭でございます」

「そうか、判った。城の警戒は厳に頼むぞ」

「承知しております。加藤ががんばっておるので問題ございません」

「ならばよし」


俺が住む中根南城は天白川てんぱくがわの河口に近い場所にある。

御器所台地(瑞穂台地)の南の端になり、天白川てんぱくがわを渡ると東には東部丘陵が広がっている。

裏が海なので石灰を用意して貰い、ローマン・コンクリートで段々畑のような内輪を作って遊び場にしていた。


養父が声を掛けたのは俺の側女だ。

名を望月もちづき-千代女ちよじょと言う。

あの有名な武田信玄の情報網を作った『くノ一くのいち』だ。

偶然と誤解で手に入れた。


俺は何でも変わった物を作る熱田大明神の生まれ変わりとか言われている。

特に喜ばれたのが清酒であった。

その清酒を帝に献上すると、父上(信秀)は帝からお褒めの言葉をいただくという栄誉を授かった。

父上(信秀)は喜んだ。

この清酒の秘密を守る為に岩室いわむろ-宗順そうじゅんが送られて、俺専用の忍者が迎えられることになった。

3歳だった俺が逆指名をしたのが千代女であった。


宗順もどんな人物が良いかと人柄を尋ねたつもりが、特定の名前が出てきたことに驚いただろう。

俺の勘違いだ。

宗順は人柄や性格を聞いたつもりだった。

俺が覚えている忍者と言えば、猿飛佐助とか、霧隠才蔵で実在の人物か怪しかった。

甲賀の望月出雲守も、望月家の筆頭の頭領だから最初から無理だった。


そこでふっと浮かんだのが、千代女だ。

望月盛時の嫁になっていたなら諦めるつもりで甲賀にいって貰った。

偶然にも嫁に行っていなかった。

指名された望月家の方が慌てたらしい。

帝に献上した清酒のことも承知しており、『熱田大明神の千里眼か』などと言ったとか、言わなかったとか?

かなり誤解されて、千代女が俺の側女として仕えることになった。


もちろん、望月 千代女もちづき ちよじょと言えば、武田の『歩き巫女』だ。

千代に『歩き巫女』の話をして、河原者から孤児や捨て子を拾ってきて養成中だったりする。

たくさんの幼女を集めたので、熱田大明神様は大の幼女好きという噂が流れている。

俺は6歳だよ。

気にしない、気にしない。


魯坊丸ろぼうまる魯坊丸ろぼうまるはどこか?」

養父ちちうえ、こちらでございます」

「一番外であったか!」

「ハンググライダーの模型を造っておりました」

「はんぐ? また奇妙なモノを…………まぁよい。今はそれ所ではない」


養父の中根 忠良なかね ただよしは信秀が亡くなったことを教えてくれた。

養父はかなり取り乱しているが、史実通りだ。

信秀の死因は戦いの傷が化膿して破傷風になった可能性もあるが、破傷風なら10日前後に死んでしまうので違うと言える。

ウイルスや癌や糖尿からくる肝硬変ではないだろうか?

あの甘いにごり酒を呑み続ければ、糖尿病になる。

清酒の呑み過ぎでないことを祈りたい。

呑み過ぎに注意するように言ったが、史実には逆らえなかったようだ。

末森城では今後を決める家老達による合議制の会議が開かれた。

養父は那古野に所属するので勝手に発言することも認められないが、会議を下で見守るくらいは許される。


「信秀様が逝かれましたか」

「おまえが末森に居ろというから居ったが、おまえの言った通りになってしまった」

「で、山口やまぐち 教継のりつぐ教吉のりよしの親子はどうでございました」

「何食わぬ顔をして会議に居った。本当に裏切るのか? 教継のりつぐは信秀様から信頼されて、今川との交渉の窓口に立っておられる。家老の末席に座られているお方だぞ」

「裏切ります。で、後継ぎはどうなりました」

「まだ決まっておらん。信秀様は土田御前と佐渡守に信勝様を後継ぎにされると申されたそうだが、信光様らが納得されておらん」

養父ちちうえはどうお答えされたのですか?」

「おまえが言ったように『大殿の意志に従う』と申したぞ」

「では、しばらくはどちらからも敵対視されずに済みます」

「さらりと申すな。これからどうするつもりか?」

「どうもしません。山口親子が裏切るのですから、中根家がどうするかなど誰も気にしません。熱田領として那古野と共に戦うだけです」

「なるほど、そうなるのか」


織田弾正家が二つに割れた。

山口 教継やまぐち のりつぐが織田を見限ったのは、織田が割れたことにあると俺は睨んでいる。

18歳の信長は家臣団から信頼がなく、17歳の信勝は津島衆・熱田衆の人気がない。

兄弟が仲良くすれば、教継のりつぐも見限るのを躊躇ったかもしれないが、信長は人心の掌握術に劣り、信勝も信秀に比べて武将として魅力が足りなかった。

18歳の信長が33歳で油の乗った義元に敵うハズもない。

足りない所を補うのが家老の役目なのだろうが、当時の家臣団は違った。

魅力がなければ、乗り換えるのだ。

教継のりつぐは義元と見比べて織田を見限った。


那古野城の南にある菩提寺の萬松寺ばんしょうじで葬儀が行われた。

周辺が不穏になっている中でのんびりと葬儀をすることに反対した信長を余所に、喪主を信勝が行うことを家臣団が決めてしまった。

信長は禅宗の信秀を浄土宗で葬儀を行うのにも怒っていた。

しかし、家臣の多くは浄土宗であり、来世でも信秀の家臣でありたいと願うのは悪いことではない。

信長は正装で葬儀に現れると抹香まっこうをわしづかみにするや、「くわっ」と吼えて仏前に投げつけた。

家臣一同は呆れたと言う。

帰ってきた養父(中根 忠良なかね ただよし)から俺は葬儀の話を聞いた。


「信長様の行動にはいつも驚かされる」

「兄上(信長)は禅方式で供養しただけです。禅寺の僧侶はいなかったのですか?」

「そう言えば、居ったのぉ。筑紫ちくしの客僧が『あのお方こそ国持ち大名ともなるお人よ』と褒めておった」

「家臣に気を遣っているようでは大名として半人前ということでしょう」

「お前も呼ばれていたのであろう」

「俺はまだ6歳で元服もしておりません。しかも熱田神社より神官の称号をいただいており、仏式の葬儀に出るのは不都合でしょう」

「信長様といい、おまえといい、どうして不調法なのだ」

「それより、皆の武具をそろえておいて下さい」

「それは判っておる。本当に山口親子が裏切るのか?」

「裏切ります」


葬儀が終わってまもなくすると、山口 教継やまぐち のりつぐが笠寺に砦を構えて岡部元信などの駿河勢を引き入れて桜中村城に立て籠もった。


養父ちちうえ、することをしておるのです。慌てても何ともなりません」

「河を挟んで、山口殿が敵に寝返ったのだぞ。これを慌てずにどうする」

「ですから、以前より寝返ると申しておりました」

「おまえは落ち着き過ぎだ」


そんなことを言っていると、養父(中根 忠良なかね ただよし)にも一緒に寝返らないかと使者が送られた。

その使者に20人ほど兵が付いてきた。


「使者殿のみお入り下さい」

「家老に対して無礼であろう」

「家臣をぞろぞろと連れてくる方が無礼でしょう。こちらが危害を加えるとお思いか」

「その口のきき方。覚悟はできているのであろうな」


対応の門番が慌てたが、俺が横に付き添って正解だった。

門番が「若、本当によろしいのでしょうか」というから、「構わん。そうだ、二人だけ許してやると言え」と言ってやった。

使者は護衛を二人だけ選んで広間に上がった。

養父の両脇には強者を配置し、屋根の上に千代女と加藤が待機して会談を行う。

千代によれば、河向こうの兵100人が身を隠している。

寝返ればよし、寝返らなければ、城を奪うつもりだったのだろうか?

養父が誘いを断ると使者は何事もなく帰っていった。


一方、水野忠氏父子が大高城を奪われた。

詳しくは聞いていないが、我が城と同じ手を使ったのではないだろうか?

平時の城には50人も籠っていない。

10人が殿を抑え、10人が門を開き、100人の兵を引き入れれば簡単に落城する。

沓掛城の近藤景春は山口父子に従って開城したらしい。


山口 教継やまぐち のりつぐは桜中村城に立て籠もり、子の山口 教吉やまぐち のりよしは鳴海城を守った。


天白川を挟んで中根三城が敵と接する場所になった。

安全地帯から最前線に大変更だ。

弓を抱えた山口の兵が浅瀬を隔てて動きまわっている。

そりゃ、慌てるわな!

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