贖罪

 気が付くと私は広い部屋にいた。広いという表現が正しいかはわからない。私の周囲一メートルくらいの視界しかないほど部屋は暗く、その先が全く見えないから私は暗闇に果てがないほど広い部屋にいるのだと思った。

 私は政府警察の男に逮捕された。両足には銃で撃たれたときの痛みがまだじんわりと残っている。

 ガチャンと扉が開く音がして、僅かな光と共に一人の男性が真っ暗な部屋に入ってきた。

「暗い部屋は不安だっただろう」

開口一番に私を気遣うようなことを男は言って、部屋の電気のスイッチを入れた。ここは窓のない前面コンクリートの小部屋で、私はその中心で椅子に縛り付けられていたのだった。

 まっすぐ近づいてくるその男のことを私はよく知っている。毎朝欠かさずホログラムテレビで見てきた顔だからだ。軍服にいくつもの勲章を付けたこの国一番の権力を持つ男、偉大なるジョン・スミスだ。

「なぜ、君がここにいるか知っているかね」

 重い口を開いてジョン・スミスが言った。

「私が罪を犯したって言うんでしょう」

「ほう、それはどんな罪かね」

「食罪ですよ。調達罪、調理罪、調味罪。前時代はみんなやっていたことだ」

 私は水分を取っていなかったせいで枯れた声を張り上げた。椅子に座ったままの私を背の高いジョンが見下ろし、ふん、と軽く笑った。

「しかし、今は罪だ。私の声明を見たのならもちろんわかるだろう。今、この国は食糧難に直面しようとしている。君は人口が爆発的に増えたらどうするかね、しかも島国で爆発的にだ。私はこの国の権力者である前にひとりの人間だ。まさか溢れた者を殺して回るなんてことはしたくない」

「じゃあ、スラム街で人攫いをしているって噂は」

「そんなものは、あくまで噂に過ぎない。所詮、レジスタンスが私の失脚を狙ってのことだろう」

 政府はジョンの命令でゼリー食の普及を目指した。その結果、低コストで生産することができるゼリー食が今日のように料理にとって代わるようになったのだ。

 私はジョンの言葉をただ聞くことしかできない。反論すればすぐに腰に挿した銃が抜かれ、今度こそ心臓を撃ち抜かれるだろうと思ったからだ。

「本来なら君は想定外のはずだったんだよ。部下の報告では、料理教室などという反逆組織は三人のはずだった。しかし、いつの間にか君も加わり四人になっていた。そのあたりの理由を詳しく聞かせてもらおう」

 口を開かずに沈黙していると、パンと渇いた音が狭い部屋で何度も反射した。ジョンは腰から抜いた銃で一発撃ち、私の足元に小さな穴をあけていた。

「質問には答えて貰わないと困る。次はこの床のように君自身に穴を作ることになる」

 私は息を飲み込む。

「初めはほんの出来心だった。信じてほしい。途中まで、私は正しいことをしようとしていた。仕事帰りに目の前を歩いていた老人がメモを落とした。そこには料理の、カレーの作り方が書いてあった。私は政府警察に通報してやろうと後を付けた。すると雑居ビルにある料理教室についたんだ。本当のことだ。信じてくれ」

 私は短い言葉を何度も、必死に、紡ぎだす。

ジョンは弾を込めた銃を私に向ける。

「それから。続けたまえ、なぜ料理を口にした」

「若い頃、私は本で読んだことがある。前時代は、ジョン・スミスがこの国に来る前は普通に料理ができたと。それ以前に書かれた本にはほとんど料理が出てきていた。昔はきっと自由に料理ができたはずなんだ」

「もちろん、前時代は自由に料理ができたとも。昔は昔、今は今だ。理解したまえ、団結は繁栄であると。いかなる理由があろうと例外は許されない」

「捕まえた老人と女と男はどうした。殺したのか」

 ジョンはムッとして、眉間に皺を寄せたが、今度は引き金を引かなかった。

「さあ、どうだったかな。しかし、もう二度と君と会うこともない」

 あれを持ってきてくれ、とジョンはドアに向かって叫んだすると皿に盛られたカレーが運ばれてきた。ジョンは私と椅子を縛っている紐をほどき、その皿を持たせた。

「床に空けたまえ。わずかにでも私に対する、国に対する忠誠心が残っているのなら、その皿に載っているモノを床に空けたまえ」

 上着のポケットからジョンはゼリー食を取り出し、私の目にチラつかせる。従えば、これをやると言っているのだ。つまり、私がカレーを床に空ければ、私は助かるかもしれない。

「さあ、どうした。早くしたまえ。私は待たせる男が嫌いでね、なによりも嫌いさ」

 急かすジョンはそう言って、右手に持った銃で私を殴った。

 やっとたどり着いた自由への手がかりをあっさりと床に捨てていいのかと必死に思考した。床にはシミができていた。殴られた私の血液なのか、それとも捨てられたカレーのシミなのか。

 死にたくない、という生存本能が働いて私はまだ考えている途中であるというのに、私の身体というやつは皿を持っている手をひっくり返した。力を失って落下した皿が割れる。

「それでいい」

 満足そうにジョンが言う。

「おめでとう。君は生きて帰れるよ。他の奴らとは違ってな」

 なんということだろう。私は彼らを裏切ったのだ。料理を教えてくれた老人を。料理教室に誘ってくれた女性を。料理を一緒に食べて、笑ってくれた男性を。

 私は椅子から転げ落ちて泣き崩れた。

「大きな罪を犯した。ジョン、私を殺してくれ、お願いだ。彼らに顔向けできない」

 ジョンに縋ったが、すでに彼は銃をしまい、足にしがみ付く私を気にした様子もなく小部屋のドアに向かって歩き出していた。

「それはできない。改心した善良なる我が国民を殺すことなど、私にはとてもできないさ」

 おかえり、我が国へよく戻った、と呟いて部屋から出て行った。

 私はその後、部屋に入ってきた複数の政府警察に連れられて個室へと通された。そこで私はまるまる一か月間、日常生活に戻るための訓練を受けさせられた。ホログラムテレビの付け方から、風呂の入り方まで。そして食事の仕方まで徹底的に指導された。

 食事をするときはまず味を選ぶのだ、と思いださせられた。甘味、酸味、塩味、苦味、うま味それから無味の基本六味の中から好きなものを選ぶのだと。一つの味を食べ過ぎても、どうせ翌月には無償で補充されるのだから本当に好きな味を選ぶことができる。

 本当にこの国の食に関するシステムはよくできている。

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