UTAKATA珈琲店

一帆

第1話

 

 一緒に映画を見ようと誘われて立川駅まで行ったのに、待ち合わせの時間になっても由美は現れなかった。いらいらして、スマホを眺めると、謝るおだんごむすめのイラストと『るーに呼ばれた』の一文。

 はあぁとため息をつく。由美は新しくできた彼氏と仲直りしたわけだ。私はとんだ当て馬だったのね。これなら、断って家で雑貨作りをしていればよかった。

 後悔しても、往復300円は無駄になる。珈琲でも飲んで帰ろう。


 私は、あてもなく立川駅から歩き始めた。行くはずだった映画館の方に行くのも癪だったので、映画館と反対側のモノレールの立川南駅の方へ歩く。




ふと、道を覗いてみると、茶色い小さな立て看板が見えた。珈琲屋? 近寄って看板をよく見る。


 UTAKATA 珈琲店 という文字と三方向を向いた黒い犬と水仙のイラスト


 やはり珈琲屋だわ。私は、迷わずその扉を押した。


 カランカランカラン


 扉に取り付けられていたドアベルの温かい音が耳に届く。お店の中は、カウンター席四つとテーブル席が三つ。奥には小さなステージになっていて男性が座っている。照明もほんのり暗くて、壁にはエアープランツがかかっている。テーブルには水仙が飾られ、ふわっといい匂いが漂っている。


 「いらっしゃいませ」


 カウンターで、グラスをふいていた男性が声をかけてきた。背が高くて銀縁の眼鏡をしている。声もよくて知的な感じを受ける。このお店に入るのはちょっと冒険だったけれど、はいってみて正解だったかなと私は小さく笑みをこぼした。

 私は、店員さんの近くのカウンター席に座った。私が座ったのを合図にしたように、ステージにいた男性がハープを小さくしたような楽器を弾き始めた。竪琴なのかな? 心地よい音色が耳に届く。その男の人の前では黒い犬が三匹仲良く丸くなって寝そべっている。私も心が癒されていくような気がする。



 

 聞いているうちに心の中でくすぶっている後悔が顔を覗かせてきた。


 そう言えば、武彦に別れを告げたのも珈琲店だった。


 後悔しているかと聞かれれば、すごく後悔している。どうして、武彦の気持ちを理解してあげられなかったのか、どうして、自分の気持ちばかりを押し通したのか、今更になってひどく後悔している。

 

  結婚したかった私と、仕事を優先にした武彦。

  親のそばにいたかった私と、鎌倉に住みたい武彦。


 もうあれから三年になる。私は結局結婚できず、実家でだらだらと過ごしている。そして、ふとした瞬間に武彦のことを思いだす。

 

  恥ずかしそうに片手で顔を隠す癖。

  髪から香る微かなキャスターの香り。

  繋いだ大きな手。

 

 今なら、仕事優先にしたって構わない。鎌倉に住むのだって構わない。また、あの腕に抱かれることができるのなら、なんだってする。今なら見栄も張らない。会社の同僚の言葉にも惑わされない。武彦だけを見ている。そう思っている……。


 でも、武彦とはあれ以来音信不通だ。

スマホから武彦につながるデータはすべて削除した。自分のアドレスも変えてしまった。武彦も引っ越したらしいと大学の後輩に聞いたけれど、怖くてその先を聞けなかった。そうこうしているうちに後輩とも連絡をとらなくなった。


 「……会いたい……」


 自分から別れを切り出したのに、未練がましいと心の中で自虐的に笑う。





 「アイリッシュコーヒーです」


 店員さんが、ことりと私の前に珈琲を置いた。グラスに注がれた珈琲の上に生クリームがふわっのっている。


 「アイリッシュコーヒー? 私はまだ注文していませんが?」

 「今、貴女にはちょうどいい飲み物だと思ったので、用意しました」

 「??」

 「きっと、心も体も温まりますよ」


 このお店は、お客の様子を見て珈琲を出すシステムなのかもしれない。押しつけがましい感じを受けて私はすこし眉を顰める。


 「後悔したままでは前には進めません。自分なりの結論をつけることも大事です」


 とても優しい顔で私をみて店員さんが言う。何故だか、その言葉がすうっと心の中に響いた。そうかもしれない。でも、抜け出す方法も見つからないのよ。喉まで登ってきた言葉を飲み込んで、手元に置かれた珈琲のはいったグラスをもつ。


 「温かい……」


 店員さんは僅かに口角をあげると、もといた場所に戻って行った。


 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る