マガ・ギガンティア ~巨獣対人類・地上最大の戦い~

緑茶

プロローグ

 不良5人を相手にした喧嘩がもたらしたのは、頬の切り傷だった。


「っいてて……」


 妹を――白羽を背負いながら、直次は夕暮れの河川敷を歩いた。

 藍色はまだやってこない。世界の全ては、橙の微睡みの中にあった。


「おにい……白羽なんかのために」


 後ろでもぞもぞと動きながら、そんなことを言った。そいつを笑い飛ばす。


「何言ってんだ。相手が悪いだろ。お前は絵描いてただけだ」


「でも、あんなとこ座って、絵描くなんて、おかしいのかも」


「向こうが悪いんだよ。お前の絵は世界一だ。にいちゃんが認める」


 思い出すだけで腹が立ってくるので、その代わりに、妹を更にしっかり抱える。

 ……妹の吐息がすぐそばにあった。何かを、言おうとしたらしい。

 通り過ぎていく時間。自転車。散歩している人。見知らぬ学生。


「ありがとう、おにい」


「……おう」


 なんだか照れくさかったが……その言葉だけで、傷の痛みが吹っ飛んでしまいそうだった。


「白羽ね、おにいのいる世界がすき」


 妹は、呟いた。


「おにいが居るなら、この世界が……どうなったっていい」


 厄介な妹だ、と思った。

 だけど、彼はお兄ちゃんだったから。気持ちを、伝えるべきだと思った。


「俺もな、白羽。お前のことが、大好きだ」


 不思議と、それを言うことに照れは感じなかった。


「お前が居るなら、俺だって。この世界が、どうなろうと構わない」


 ……後ろで、息を吸い込む音が聞こえた。

 二人で、沈黙を噛みしめる。かけがえのない時間。家路につくまでの、二人だけの。


 夕暮れは何もかも煌めいて見えて、世界は素晴らしいものであるように見えた。

 しかし彼は――後になって知った。


 夕焼けの色も、炎の色も、何も違いはないのだと。



 激しい紅蓮のなかを、彼は歩いた。

 何もかもが曖昧だった。きっと、瓦礫が、死体が、いたるところに転がっているのだろうと思った。だが何もわからない――世界は暁に染まっていて、彼はただ、探していたのだった。妹を。

 何度も地面が揺れて、そのたび足場があやふやになる。柔らかい何かを踏んだ。

 ……世界は、唐突に、残酷な地獄に突き落とされた。


 息を吸い込むと熱いチリが喉に入り込むので、ろくに声は出せなかったが……それでも彼はさまよいながら妹を探した。周囲には、見知った町並みが広がっているはずだった。今は全て形を変え、燃え落ちる廃墟の群れとしてあるだけだった。

 やがて彼は――妹を見つけた。


「おかあさん、お父さん……おばあちゃん、あああ、ああ」


 白羽は、崩れ落ちた家の下でしゃがみこんで、必死に叫んでいた。

 その瓦礫の隙間からは、黒焦げになって、ぽっかりと空いた眼窩がいくつも並んでいた。


「……白羽」


 彼女のところに駆け寄って、肩を抱いた。妹はびくりとしたが、すぐに兄だと気付いた。


「おにい、おにい……みんなが、みんなが……」


 ああ――そうだ。分かるとも。

 みんな。死んでいたのだ。自分たちの目の前で、逃げ遅れて。

 妹の肩を抱いてやる。

 それで何かが崩れたのか、白羽は支離滅裂なことを叫びながら泣きついてきた。

 みなが死んでいる。みなが死んでいた。


「……」


 不思議と、彼は冷静だった。家族が死んだと分かっても、妙に落ち着いていた。

 だが、それでも許せないことがあった。

 それは……妹を、こんなふうに泣かせたことだった。

 

 大きな振動があった。大地そのものが震えた。

 目の前で家が完全に崩れ落ちて、何も見えなくなる。

 妹を抱きしめて、離れる。途中で、尻もちをつく。

 そして――見上げた。そいつが、現れた。


 燃え盛る廃墟の間から見える巨大な黒い影。

 だがそれは影ではなく、一歩前に進むたび大地が揺れて、彼を拒絶した。

 

 一体の、巨獣だった。

 黒い冷えたマグマのような体表を持つ、神話に出てくる怪物だった。

 琥珀色をした目が体側面にいくつも並び、輝いていた。その口は首元まで裂けていて、乱杭歯が剣山のように生えていた。

 それは咆哮し――彼らの視界の中へ、姿を現したのだった。

 あまりにも巨大すぎて、一瞬直次は、本当に山と錯覚しそうになった。

 つんざくような、人間の悲鳴を何種類も混ぜ合わせたような絶叫。周囲が振動する。

 妹と自分の耳を抑えながら、その場から離れようとしたが……揺れる地面の上では、無理からぬことだった。


 別の音が、巨獣の反対側から聞こえた。連なって。

 そちらに視界を巡らせる。

 黒い煙の尾をたなびかせた戦闘機が、轟音を響かせながら編隊を組んで自分たちの上空を翔んだ。そして、そのまま巨獣へ向かった。

 何か、ちかちかするものが放たれた。

 ……炸裂。炎の華。

 ミサイルのようなものが吐き出されて、向かっていった。

 巨獣の体表面でそれは爆発。

 またぞろ、振動が起きる。悲鳴を上げる妹を抱きかかえる。背中に熱いチリがかかったが、今はそれどころではなかった。自分たちのところに、何も降りかからないことだけを願った。

 巨獣は咆哮し、身体を揺らした。

 だが――効いてはいなかった。まるで。

 その琥珀色の目が輝いて、戦闘機にねらいをつけた。

 その体の側面から、ぎざぎざした腕が伸びた。

 ……動揺するように軌道を変えようとした目の前の敵を、叩き落とす。


 翼をもがれ、身体をえぐり取られた戦闘機が、ぐるぐると回転しながら炎を噴き出して落下する。それは直次達のところに向かって飛んできたが、ギリギリのところでそれた。甲高い轟音は、自分達のものか何なのか、分からなかった。

 後方で爆発が起きて、戦闘機は背景の一部と化した。


 ……何度も、炎の華が咲いた。

 そのたび、巨獣は迎え撃ったが……まるで、まるで効いていなかった。

 難攻不落の要塞――あるいは、神話の生物のような。


 妹が、腕の中で目を覚ました。


「白羽……白羽っ……」


「あははは……みんな、みんな……みんな橙いろ……みんなが、おなじいろ」


 ……正気を失っていた。うつろな目で、ここではないどこかを見ていた。

 その瞬間……知った。大事な何かが、かけがえのない何かが、奪われた。

 何に?

 ……この世界に。

 いや――あの、化け物に。


 顔を上げる。

 巨獣の進撃は、おそろしく緩慢だったが、続いた。

 一歩足を踏み入れるたび、その周辺で廃墟が崩れ、倒れ込む。

 歩き回る災害ともいえる存在だった。

 もう、味方はいなかった。

 誰も、どこにも。たしかに、すべて、同じ色のなかにあった。


 直次は、無謀にも……その巨獣を睨みつけた。

 すると、その巨大なシルエットは、僅かにこちらへ首をもたげたようだった。

 ……琥珀色の瞳が、不思議そうにこちらを見下ろしているように見えた。


 無性に、腹がたった。

 お前のせいで、何もかも奪われた。それなのにお前は、俺達の名前すら、知らない。


 ――直次は、とうに気を失っていた妹を抱きかかえたまま、巨獣に向かって吠えた。

 巨獣は、呼応するように、紅蓮の中で咆哮した。

 ふたつの、違うものを見ている目が、交錯しあった。


 それが、直次の全ての終わりで、はじまりでもあった。

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