第9話 セントレイ

 陽が沈み、夜がきた。

 街灯は、王都の通りをぼんやりと照らし、霞みがかった夜空から、大きな月が見下ろしていた。


 クラリスお嬢さまは、寮の自室で作業に没頭中だ。


 ネグリジェで床にペタン座り。湯上りの髪が、しっとりと濡れ、大きく開いた胸元のみずみずしい肌は、火照ほてっている。その奥の、未熟な谷間は見え隠れ、視線を落とせば、可愛らしい膝が、こんにちはをしている。


 なんという無防備。


 とはいえ、同室のメアリーは入浴の真っ最中。だから、部屋に一人きりの、無防備を責めてはいけない。


 それはさておき、お嬢さまは、今まさに、昼間からウズウズしていたものに、一心不乱の様子。


 ナイフを小さな手で握り、立派な枯れ枝を巧みに削る。ついさっきからなのに、床には木くずがいっぱいだ。


 ノックと同時に扉が開いた。


「お嬢さま、これはいったい……」

 髪をぬぐいながら入室して来たメアリーは、お嬢さまの頭の上に、ちょこんと居座っているモフモフと目が合い、「そして、アレはなに……」と疑問に思う。


「木刀を削り出してるのでござる」

 クラリスお嬢さまの鼻息が、ふんふんと荒い。


 いつものメアリーなら、「木刀は入りません」とか、もしかしたらもっと、気の利いたツッコミを入れるのだが、お嬢さまの頭の上の、丸いモフモフが、気になってしょうがない様子。


 それでも、どこからか、掃除道具を持って来て、床を綺麗にし始めるのは、流石、メイドというべきだろう。


 クラリスお嬢様は、一旦、手を止める。次に、片目をつむり、完成間近の木刀を水平に持ち上げて、そのできばえを確認中。


 一緒になって、丸いモフモフも、お嬢さまを真似るような動きを披露。


 さて、肝心の木刀のできばえだが、少し……かなり残念。

 それよりも、なによりも、「あの葉っぱは、もしかして耳?」と彼女は思う。


 そう、モフモフからは、ウサギの耳のように見える、二枚の長い葉っぱが生えていた。


 実際、クラリスお嬢様の頭の上には、丸いモフモフがちょこんといらっしゃるのは事実であり現実なのだが、人は得てして、未知なるものを受け入れるのに時間がかかるものだ。


 だから、どうしたものかとメアリーは、考える。挙げ句には、「この寮、ペットは禁止だったかしら」などと思い巡らすしまつ。


「あのう、お嬢さま、頭の上、重くありませんか?」

 とメアリーは聞いて見た。


「平気でござる」

 と言いながら、お嬢さまは、頭の上を手で探り、モフモフを捕まえた。


 モフモフとお嬢さまの目が合う。そして、見つめ合う。


 それから、クラリスお嬢様は、涙目であわあわとメアリーに助けを求めた。中身の「さむらい」も一人の人間だったということだ。


 助けを求められたメアリーも、突きつけられた現実にビックリして、あわあわとしている。


 となれば、ペットという概念がない「さむらい」が取るべき選択肢は一つ。捕らえた獲物は、「食うべし」と口をあんぐりと開け、今、まさに、食らいつこうと……。


「キュッキュッ! キュウーッ!」

 モフモフの悲鳴!


 中身が「さむらい」といえ、所詮はお嬢さま、しかも生粋、だから、あんぐり開けても口は小さい。


「キュウ、キュウ……」

 悲鳴を無視し、お嬢様も必死に、むむむっと頑張るが、やはり口が、小さい。


「お、お嬢さま、ダメです! お口にあいません!」

 メアリーがモフモフを取り上げる。

「そうだ! シェフに料理をしてもらわないと!」

 ポンと彼女は手を叩いた。


「なんでやねん! ちゃうやろ!」


 失礼な声に、クラリスお嬢様とメアリーがキョロキョロする。


「ここや、ここ!」


「まさか、その出来損ないの木刀が喋った……」

 メアリーが木刀に手を伸ばす。


「出来損ないではござらん!」

「こっちや、アホ!」


 ここに来てついに、声の主が判明した。

 訛りが強い声の主、それは……。


「やっぱり、シェフを呼んでこないと!」

 メアリーが、クラリスお嬢様から、取り上げた、丸いモフモフだった!


「だから、食べたらあかんやろ!」

「出来損ないではござらん……」


 クラリスお嬢様の自室には、不平不満と食欲が渦巻いていた。


「これは、立派な木刀でござる……」

 さて、クラリスお嬢さまのワナワナは、この際、置いといて、モフモフの主張から聞いてみよう。


「食べんといてや、わし、木の精霊やで」


 冷静になったメアリーは、部屋の窓を開けた。「モフモフしてても可愛いくないから、捨てちゃえ」と思ったのだ。ポイッと外へ投げた。


「これで、部屋が片付いたわ」

 彼女は、パンパンと手を叩いた。あとは、いじけているお嬢様を何とかするだけだ。


「捨てたらあかんやろ!」

 モフモフが、プンプンしながら、クラリスお嬢さまの頭をの上に現れた。


「どこから、湧いてくるのよ!」

 メアリーは、うんざりとし、クラリスお嬢さまは、すぐにモフモフを、また捕まえた。


 クラリスお嬢さまとモフモフの目が合う。二度目の見つめ合い。


「キューウ」

 モフモフの黒豆のようなつぶらな瞳。

 エイッとお嬢さまは床にモフモフを叩きつけた。


「扱いが雑すぎや、わしは、かわいい木の精霊やで」

「だったら、森へ帰りなさいっ!」

 メアリーは、即座に掴み、外へポイッと投げた。モフモフは、フワフワと飛べるようで、宙で踏み止まる。


「何度、投げても無駄やで、わしの宿木は、そこの、なんやあれ……、ゴミになっとる!」

 ここにきて、モフモフは、大変な事態に気づき、ワナワナと震えている。さて、モフモフもお嬢さまと一緒に出来栄えを確認していたようだが、彼は、何も見ていなかったようだ。


「なによ、このお嬢さまが削り出された木刀が宿木なの?」

 メアリーは、「出来損ない」という失言を無かったことにするようだ。さらに、木刀を掴むとポイッしようとする。これで、全てが無かったことになる。


「捨てたらダメでござる!」

 クラリスお嬢さまの必死な抵抗。


「ほら、捨てるな、言うてるで!」

 取り敢えず、メアリーはモフモフをポンと殴る。


 この世には二種類のモフモフがいる。

 愛すべきモフモフと、うっとおしいモフモフだ。


 大抵の人はこう思うだろう。目の前のは、後者だと……、だいだい訛りが強すぎる。お嬢さまはそれどころではないが、メアリーは、相当、イライラしている。


 彼女は、木刀を捨てるの一点張り。敬愛するお嬢さまの作品だからといって容赦しない。なんなら、後で、一流の職人に作らせれば良いと思っているぐらいだ。


「わがままを仰らないでください。木刀なんてどうする気なんですか!」

「それで素振りをするのでござる」


「素振りなら、そこの刀でして下さい! それが、ダメなら、ちゃんとしたのを作らせます!」

「それでは、ダメでござる! あと、ちゃんとしてるでござる!」


「そうやで、見た目で判断するのも大概にしとき」

「あんたは、ゴミって、言ってたわよね!」

 メアリーは、パァーンとモフモフを華麗にスパイク。


「なんで木刀じゃないと、ダメなんですか!」

「その、木刀で一緒に練習をするでござる……」


「一緒にって、どちら様とですか!」

 メアリーは、言い切った後で、ハッとして、「あらあら、まあまあ」と思いいたる。


「アレン殿とでござる」

 お嬢さまの耳が赤い。中身の「さむらい」は、恥じていた。別に恋愛とかではない。特定の人物との鍛錬を望むことにだ。師である、祖父や、母が聞いたら、「まるでわらべのようだ」と笑われることだろう。


 その感情を、生粋のお嬢さまが表現すると、乙女の恥じらいとなってしまう。


 そうなると当然、メアリーの方も、「やはり」となるわけだ。その内容は、おおむねこうだ。「あらあら、お嬢さまたらっ、アレンをアルフレッドに取られて寂しいのねっ! かわいいっっ! しかも、手作りを渡したいのねっ!」と……。


 メアリーは、キュンキュンしてモフモフを抱きしめちゃう。

「分かりました。ちゃんと明日、渡して下さいねっ」


「分かったでござる」

 クラリスお嬢さまは、そう返事した。


 コンコンとノックの音。


 メアリーが慌てて、お嬢さまの身なりを正す。

「なにか御用でしようか?」

 と聞くと同時に扉が開いた。


「こんばんは」

 返事も待たずに入って来たのは、寝巻きに着替えた金髪の女生徒、ソフィ、森の中では、光魔法で結界を張っていた人物だった。


 そして、平民の彼女は、学園の有名人。


 クラリスお嬢さまとメアリーは、森での実習の際、彼女の自己紹介を受けている。


 クラリスお嬢さまは、手元にあった棒(立派な木刀)を握り、ガルルルと唸り声。メアリーは、彼女のをキッと睨んだ。


 平民が公爵令嬢の部屋に、呼ばれて無いのに入ってはいけない。


 でも、クラリスお嬢さまとメアリーが怒っているのは、そんな理由ではないのだが……。


「あら、許可なく、部屋に入ったらダメでしたね……。申し訳ありません。まだ、慣れてなくて……、だから、そんな怖い顔しないで下さい」

 ソフィは、部屋から一旦、出た。


 彼女の名は、ソフィ・セントレイ。

 姓がセントレイ学園と同じだ。


 そして、セントレイ学園と、その所在地、王都セントレイ、どちらもある人物から名を頂いている。


 扉が再びノックされる。


 返事をするのを躊躇ためらうメアリー。


 学園も、王都も、王の姓を頂いていた。

 彼女の名、ソフィ・セントレイ、そして金髪の、あの容姿。


 公爵令嬢の部屋へのノックが、しつこく続く。


 ソフィ・セントレイ、彼女の名に、似た名前の王族がいる。ソフィア・セントレイ、王国の第三王女、身分の高い姫さまだ。


 ノックを繰り返すのは、無礼な行為にあたる。

 なのに、やまないノック。彼女は、人柄は良いのだが、その行動に姫さまが抜けきれない。


 ソフィは、身分を上手く隠しているつもりだが、学園では、彼女のソフィという名は偽名で、その正体が、ソフィア・セントレイ、王国の第三王女というのは、公然の秘密となっている。そして、誰もが、ソフィとの主従を結びたがっていた。


 ノックは続いている。


 メアリーも、当然、彼女の正体を知っている。そして、その人柄も嫌いではなかった。


「ソフィさんどうぞ」

 だから、こう返事した。


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