【羨望】センボウノゴウ

 エマは傲慢な女だった。

 だから死んだ。


 しめやかに行われた葬儀も終わり、この屋敷にも少しずつ日常が戻ってくる。

 鯨ヶ崎くじらがさき邸。

 最も巨大な、最も空虚な妾宅。

「リリ、勉強を見てもらえるかしら」

「ええ。お茶もお持ちしましょうか」

「そうね、温かいニルギリにレモンを」

 かしこまりました。

 美しい娘がわたしの元を離れていく。アルマ、エマの娘。

 現在の館の主。

 エマの友人だったわたしは、この屋敷でエマの、アルマの従者となった。

 聡明なアルマ。

 愚かさが故に愛妾であった母と違い、館を維持すること、若くして人を使うことを覚えた娘。

 生きるためには聡明であるしかないと知った娘。

 わたしは彼女とどう距離を取るべきなのか、掴めずにいる。

 お茶を用意し、アルマの部屋をノックする。

「お嬢様」

「だから、やめてって言ってるじゃない」

「しかし」

「いいから、入って」

「失礼致します」

 エマの個人的な友人であることと、屋敷の従者であることについては分けて考えている。

 エマが居た頃もそうだったし、いまもそう。

「かしこまらないでよ。リリはお母様の友達だったんでしょ」

「いえ、エマ様ともこんな感じでしたよ」

「うそ」

「アルマ様も見たことがあるでしょう。わたしはただの従者です」

 アルマはまだ何か言いたそうにしていたが、雑談は打ち切って勉強を始める。アルマは頭の回転こそ速いが、学力は年相応だ。飛び級するような圧倒的な天才というのとも違う。

「ねえ、リリ」

「どうされました」

「お母様のこと、教えて」

「だからその話は」

 わたしの返答を遮るように続けた。

「主人としての命令、と言わなければだめかしら」

 いかにも子どもらしい台詞だが、そこにあるのは等身大の権力ではない。わたしはアルマの好きなアニメのように大げさなため息をつくと、わかりました、と答えた。

「で、何が知りたいんです」

「全部、かな」

 もう一度、今度はシンプルなため息をつく。

「長いですよ。お茶のおかわりを持ってきましょう」

 アルマの部屋を離れ、キッチンで湯を沸かす。手早く用意を済ませながら、ふと思う。

 エマに似てきた。

 かわいらしさが美しさに変わろうとするその姿が、出会った頃のエマと重なっていく。

 いくつかの感情が混ざり合う。

 やめてほしい。

 なつかしい。

 かなしい。

 面倒くさくなりそうな感情をすっと一時停止し、紅茶の支度へと戻る。

 早く戻ろう。

「お嬢様」

「何回言ったらわかるの」

「癖ですので」

 カップに紅茶を注ぎ、テーブルに置く。

 わたしが先に口をつけたのを見てからアルマも飲み始める。

 別にわたしを用心している、というわけではなく単に疑り深さから来る習慣、だろう。

「それで、何から話せばいいんでしょうか」

「全部よ」

 どうせ時間なんてたくさんあるじゃない、と言われてしまえば返す言葉もない。

 友達にする昔話と子どもにする読み聞かせの中間ぐらいの感じでわたしはエマについて話した。

 学生時代のこと。

 エマの屋敷に呼ばれたこと。

 エマの従者になって初めて訪れたこの屋敷のこと。

 エマが死ぬ前の日のこと。

「リリ」

「なんでしょう」

「つまらないわ」

「話し下手なもので」

「そうじゃないの。もっとリリ、貴女のことを話して」

 貴女とお母様のことが知りたいの。

 そう言われても、わたしは自分の話をするのが苦手だ。まして、エマとの思い出なんて。

「では、この件は資料を用意するために持ち帰って宜しいですか」

「たまに面白いわね、貴女」

 本当に、自分のことなんて履歴書に書いてあることぐらいしか話したくない。それはアルマにであったとしても。

「ひとつ。ひとつでいいから印象的な話をしたら許してあげるわ」

 今日の所は、と末尾に付いたのが気になるが、そういうことらしい。

 確かに、ぱっと思いつくようなエピソードがないわけじゃない。しかし、この場で、アルマに話せるような内容となると。

「本当にリリは仕方ないわ。じゃあ、リクエストしてあげる」

 お母様と初めてキスしたときのことを教えて。

 どきっとした。その表情がエマにそっくりだったから。

「もちろん、主人として命じるわ」

「わかりました」


 エマが家出をしてきました。当時、わたしも親とあまりうまくいっておらず、ふたりで夜の街へと出ることにしました。

 まだ学生の頃です。家に入ってからのエマはあんな風でしたが、学生時代はもう少しおとなしく、またわたしも優等生、と自分で言うのも恥ずかしいですが、そう呼ばれるような生徒だったため、何かこう、ただ夜に外を歩いているというだけで、犯罪にでも手を染めたような気持ちになったのを覚えています。

 それでいて、一度吹っ切ってしまえばお祭りにでも行ったかのような気楽さで、夜でも空いている店、夜しか空いていない店をいくつも回り、補導されないかとどきどきしながら歩きました。

 どんなお店、ですか。そうですね、たとえば、喫茶店です。昼には行ったことがあったのですが、夜はバーになり、お酒を出すのです。

 わたし達は大いに迷いました。お酒を飲むかどうか。もし飲むなら何を頼むか。お酒なんて何も知らない年齢です。

 結局、お酒は飲みませんでした。エマは冴えていました。

「わたし達は大人になりたいわけじゃないのよ」

 そうですね、今の貴女に似ています。その瞳の、奥にあるもの。

 複雑ですか。そうでしょうね、わたしもです。

 ラブホテルに泊まりました。特別セックスをするという気もありませんでしたが、いえ、向こうはどう思っていたかわかりませんが、まあ楽しそうだし、いいかなと。

 もしかしたら、飲んでいないのに酔っていたのかもしれませんね。

 無駄に広い部屋の、ぎとぎとした可愛さの中で笑い合いながら、わたし達はキスしました。


「こんなところで宜しいですか」

「一番いいところじゃない」

「いえ、本当に、それだけだったんです」


 エマの家の者、と名乗る人達が突然部屋に入ってきて、わたし達を引き剥がしました。

 ずっと尾行されていたみたいです。

 エマはずっと抵抗していましたが、わたしはそれどころではありません。エマを連れ出したとして殺されるのではないか、とまで思いました。

 もちろん、エマやアルマ、貴女の家は大きいけれどそんなマフィアのようなところではありません。ですが当時のわたしにとって、大きな家というのはそれだけで怖かったのです。

 殺されるのは無いにしても、これから一生エマと会えなかったらどうしよう。その事の方が、親や学校に叱られることなんかよりよっぽど恐ろしかったです。


「で、どうなったの」

「そうですね、結果から行くと、わたしはこの屋敷に勤めることになりました。エマが、貴女のお母様が掛け合ってくださったおかげです」

「ふうん」

 あらためてアルマに声をかけられた。

「リリ。貴女は、この家が好きかしら」

「そうですね、いまの生活を気に入っていますよ」

「本当に、こんなつまらない家に仕える価値があると思っているの」

 本音で話して。

 その目が本当に、心から。

「ええ。アルマ、貴女が居るからでしょうか」

「お母様、エマの代わりではなくて」

「わかりません」

 紅茶に口をつける。微笑む。

 たとえば。

「わたしも連れ出してくれるかしら」

「アルマは、考えなく飛び出すような人間ではないでしょう」

「ずるいわ」

 わたしも連れて行きなさい。

「だめです」

 アルマもエマ、貴女のように傲慢な女に育つのでしょうか。

 楽しみだけれど、早死にだけはしないで。

 聡明なアルマ。

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