【鉄】フリージア

 ぼりぼり、ぼりぼり。

 かつかつ。

 臭くて汚いライブハウスの通路、飴でも噛んでいるような音と二人分の足音が大げさに響く。

 ぺっ、かちん。

 目の前を歩く女の口からボルトが飛び出す。

「汚えな」

「だめだ、まずい」

 わからん。

『失血』メアリは異様にあごが強い。ワニみたいな女だ。名前通り、常に金属を口に含み、飴を舐められない子どものようにぼりぼりとやっている。

 本人曰く、『鉄が足りない』らしい。

「輸血用のパックとか一般に販売してくれないだろうか」

「ドラキュラかよ」

 わたしの軽口には応えず、防音された重い扉を開く。

 絵に描いたような拷問の風景が、ライブハウスのステージに広がっている。

 メアリは何も言わずにポケットからもうひとつボルトを取り出し、口に含む。

 ぼりぼり。

「お疲れ、定時だろ。帰っていいよ」

「あ、はい」

 目の前に居る、Vシネのチンピラ役エキストラです、みたいな男に声をかけ、退出させる。

 目の前の、椅子に張りつけられた女を眺める。睨めつける、という言い方が正しいかもしれない。

 タイプだな、と思う。目がいい。さまざまな方法で痛めつけられただろうに、死ぬどころか、憎むどころか、穏やかなままだ。

「ごきげんよう」

「こんばんは」

「あなたたちが次のダンスのお相手かしら」

「映画の観すぎだ」

 頬を殴る。

「あんまこんな陳腐な台詞は吐きたくねえが、『その生意気な口叩けねえようにしてやる』からよ」

 ぼりぼり。

 メアリは何も言わずにボルトを噛んでいる。

「あら、あなた方はどんなおもてなしをしてくださるの」

 もう一度殴る。

 流石にこの程度でキレたりはしないが。

「殴るだけかしら」

「はやるなよ」

 胸ポケットからたばことマッチを取り出し、火をつける。

 燃え残るマッチはそのままこの女の口の中に捨てた。

 表情一つ変えない。

「たばこも一本分けてくださるかしら」

 なるほど、めんどくさい。

 っていうか、なんだこいつ。バケモノか何かだろうか。

 ぼりぼり。

「お前もただネジ食ってんじゃねえ」

「ボルト」

「知らん。画鋲出せ」

 メアリが取り出した画鋲は、駄菓子のようなサイズ感でプラスチックケースに収まっており、美味しそうに鈍く光っている。

「遠慮はいらん、食え」

 ざらざらざら。女の口腔内に画鋲を流し込む。

 頬を殴る。

「美味いか」

 女は切れた口から血を流しながら微笑んだ。

「あいにくと、わたくしの口には合わなかったみたい」

 流れていく血の中ににぶい金色が混じっている。

 若干ムカついてきた。

「少しぐらいいい声聴かせてくれてもいいだろ。ここはライブハウスなんだ」

「あいにくと、わたしのアリアに釣り合う舞台ではありませんので」

 殴る。

「ちっ、おいメアリ」

 返事がない。

「メアリ」

 彼女は何も答えず、ただ椅子の女を美味しそうに眺めていた。

「メアリ、血、飲むなよ」

 今にも吸い寄せられていきそうだった体がぴたりと止まる。我慢しているらしい。

 まるで犬の散歩だ。

「メアリさんとおっしゃるの」

「いい、返事すんな」

「こちらの方と違って、貴女は素直ないい目をしているわ」

「メアリ」

 いやな予感がする。

 噂だ。

 吸血鬼。

『失血』のような、通り名の一つだと思っていたけど。

 業界でも界隈でもなんでもいいけど、この辺はバケモノじみたやつが多い。だからきっと、バケモノそのものがいたとしてもわたしは驚かない。

 目の前の女から傷がひいていく。

 吸血鬼だなんて、オタクじゃないわたしにはどういう存在かわからない。

 映画で少し観たくらいだ。

 血を吸う。蚊じゃあるまいし。

 仲間を増やす。人間と同じだ。ゾンビに近かったような気がする。

 魅了。目を合わせて虜にする。

 そうだ、この女は何て言った。

『いい目をしているわ』

 まずい。

「メアリさん、この紐を解いてくださるかしら」

「メアリ、動くな」

 殆ど怒鳴っているかのような声。いや、そんな冷静に自分の声を聴いている場合じゃない。

「メアリ」

 ぐりん、と、首の骨でも折れるんじゃないかって動きでこちらを振り向く。

 目に力がない。

 ぼりぼり。

 だめか、このワニ女。

 入り口の扉に向かって飛び出す。鍵を開ける。

 ぼりぼり。

「寄るな、メアリ」

「せっかくのライブハウスなんだもの、いい声を聴かせて」

「うるせえ、殺すぞ」

「あら、貴女に、いまの、貴女に。吸血鬼が殺せるのかしら」

「うるせえ」

 逃げることしかできない。

「メアリ、今までありがとよ」

 懐から拳銃を取り出す。

 ぱん、ぱん。

 冗談みたいに軽い音と、手に伝わるしびれが実弾を撃ったことを実感させる。

 銀ではない。

「あら、そんなものでわたし達を殺せると思って」

 本来、確認するべきではなかった。

 そのまま扉の外へと出て、一目散に逃げるべきだった。

 メアリの口元に血がべったりと付着している。

 吸血鬼の血を飲むと、吸血鬼になるんだったか。ゾンビになるんだったか。どっちだっていい、いや、よくない。

 ぼりぼり。

 ワニ女が口を開けて迫ってくる。腹を蹴飛ばすが、それで吹き飛ぶようなやわな躰はしていない。

 ぱんぱん。

 もう二発撃ちこむ。

「やっぱり、軽音楽って下品なものね」

 ぱん、ぱん、ぱん。

 無言で吸血鬼女にも撃ちこむ。

「メアリさん、ワルツを踊って差し上げて」

 メアリに腕を掴まれる。いつもより更に強い力だ。

 ぼりぼり。

「やめろ、メアリ」

 ぼきり。

「くっそ、てめえ、殺す」

 そのまま首を絞めてくる。

 意識が遠のく。


 目が覚めるとわたしは椅子に張り付けられていた。

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