白檀の闇

中村ハル

第1話 変身

 私は知りたかった。あの子が、急に綺麗になったその訳を。

 つい、先月まで、佳奈はさほど目立たない地味な女性だったはずだ。それがここ数週間で、見違えるほどに美しくなった。パサついていた髪はしなやかに背に広がり、痩せぎすだった身体はふっくらと柔らかに、泣いているようだった顔は、晴れやかで溌剌とした魅力に溢れて、社内の誰もを驚かせた。そればかりではない。私の意中のあの人さえも、佳奈と親しげに話すようになっていた。

 何か、理由があるに違いない。同僚たちは明け透けに、整形だのなんだのと噂をしていたが、彼女の顔には傷一つ、なんなら毛穴の一つだって見当たらないくらい滑らかだった。

 私が口さがない噂話に乗らなかったせいか、私と佳奈は仲良くなった。「最近綺麗になって、どうしたの?」と素直に尋ねてみたが、笑ってはぐらかすばかりで何も教えてはくれない。

 やきもきする私を余所に、佳奈とあの人が付き合いだしたのは、先週の話だ。

 佳奈は日に日に、美しさを増していく。焦った私は、ひっそりと、佳奈の後を着けてみた。知っているのだ、毎週水曜日の夜八時、佳奈はあの人との誘いさえも断って、どこかへ通っている。そうしてその翌日には、また輝くように姿を変えているのだった。

 仕事が終わり、ほんの少し時間を潰して、佳奈は四駅隣の薄暗い路地裏へと入っていった。飲食店の裏口を抜けて、人気のない雑居ビルの入り口で辺りを見回すと、人目を憚るみたいにエレベータに滑り込んだ。

 止まった階を見届けて、私は集合ポストを確認する。六階には三部屋あるが、そのうち一つだけが、ポストが綺麗に片付けられていた。残りの二つからは、盛大にチラシやダイレクトメールがはみ出している。

 居住者の名前は記されていなかったが、ここに違いないと、私はゆっくりと階段を上った。「止しておきなさいよ、お嬢さん」

 唐突に頭上から声を掛けられて、私はびくりと身体を揺らした。あまりに驚いたものだから、咄嗟に立ち止まって、そちらを見上げた。

 妙にこざっぱりとした男がひとり、踊り場で気怠げに私を見ている。

「さっきの人を追いかけてきたんでしょう。上から見てた」

 私が言い訳を口にするより先に、男が片手を振って首を傾げた。私は叱られた子供のように縮こまったが、帰る気にはなれなかった。無言で階段を上がろうとする私に、男が溜息を吐く。

「人の秘密など、暴くもんじゃないさ。どうしても、てんなら止めやしませんがね。見たって気持ちのいいもんじゃあない」

「……突然あんなに変わるなんて、おかしいじゃない。まるで、別人みたいだわ」

「別人、ね。まあ、あながち間違ってもいないけど」

 肩を竦めて男が私を見透かす。

「……それで、知ってどうするんです。あの人の秘密を。バラしますか」

「まさか。私も、ああなりたいの」

「ああなりたい、とは。彼女と同じに、ってことですか」

「そうよ。顔も身体も、綺麗になりたいの」

 男は束の間、考えるような顔をして、それからふむ、と顎に手をやる。

「彼女が変えてるのは、顔だけなんだが。まあ、何、それでもどうしてもって云うんなら、紹介するけどね」

「本当?」

 声が華やいだのは、明らかだったのだろう。男はにやりと唇を歪めて笑った。

「お客様のご要望なら、俺が断る理由はないよ。でもねえ、お嬢さん。自分のためじゃないなら、止めておきなさいよ。誰かの望み通りの生き物になんて、なるもんじゃないさ」

「私の為よ、決まってるでしょ」

「ならいいんだ」

 さあ、こちらに、と男に誘われるままに、私は階段を上がっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る