あいをんさま

綿貫むじな

第1話

 朝のバス停に人々が並んでいる。

 出勤出社の為、遅れ気味のバスを苛立ちながら待っている。

 もう何分定刻を過ぎただろうか。

 遅れれば遅れるほどに、人々の苛立ちは募っていく。

 バスの待合場所には、今バスが何処を走っているのかを示す電光掲示板が付いている。

 ランプによれば二つほど前のバス停を過ぎた所だ。


 毎度のことながら、朝の通勤時間帯の道路は混みあっている。

 大体の会社が時刻は多少ズレがあっても、大体は午前中の7時~9時くらいには出社しなければならないからだ。

 リモートワークと言う響きに高城早智子は憧れていた。

 家で働ければどんなに楽だろうかと。

 しかし、早智子の働く会社はリモートワークを取り入れてはくれなかった。

 ため息を吐きながら、早智子はバスが来るであろう方向を見ている。


「縺薙s縺ォ縺。縺ッ?」


 その時、向かいのバス停から聞き取れない音が聞こえて来た。

 音の方向を見ると、早智子は目を丸くする。


「あいをんさま……」


 祖母の住んでいた田舎で一度だけ目にした事はあったが、都会にも居るのか。

 その割には子供の時以来見かけた事が無かったので、早智子は思わず視線を外せずにいた。

 あいをんさまは白くつるっとしたゆで卵のような肌をしていて、人型ではあるものの背中の肩甲骨の辺りに何かの痕跡器官がある。

 顔はのっぺらぼうかと思いきや、口の辺りに黒い穴が開いている。

 そこから音を出している。


 あいをんさまは向かいのバス停に居る待ち人たちに、誰彼構わず声を掛けている。

 誰も反応はしない。

 明らかに顔をしかめているけど、そちらは見ない。

 見てはいけない。


 見えてはいるが見えてはいけない。

 聞いていても聞こえてはいけない。

 話しかけられても、話しかけてはいけない。


 目を合わせた瞬間、きっと酷い目に遭う。


 世の中にはそう言った類の存在が居る。

 まして今は忙しい朝。

 そんなものに関わり合っている暇はない。

 誰も反応しない事に飽きたのか、あいをんさまはそのままバス停の隅に座っている。

 バスが来るのを待っているのだろうか。


 早智子は子供の頃に聞いた、祖母の言葉を思い出していた。


「あれと目を合わせんな。あれは獣だ。目を合わせたらこうなっちまうかんな」


 祖母の右腕の服の袖はひらひらと風に揺れていた。

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